夏泊半島と下北半島の狭間の町、野辺地の江戸期の「常夜灯」
日本周遊紀行(33)野辺地 「或る旧会津藩士」
「野辺地」(のへじ)は、俗に「斧形」の下北半島と夏泊半島の付け根に位置している。
北を陸奥湾に面し、南東部には緑豊かな丘陵をいただき、かつては南部盛岡藩唯一の商港で江戸期には北前船で賑わい栄えた歴史ある町である。
このため、古くから交通の要衛として物資、物流の重要な役割を果たし、商港として千石船が多く出入りしていた。
港の岸壁にはこれら出入船の安全のため、夜は灯をともし、現在の灯台の役割をつとめた「常夜灯」が常時灯されていた。
当時、地元の豪商・野村治三郎が船の出入りの安全を願って建造したもので、野辺地湊の尖端に常夜燈が灯ったには、江戸末期(1827年)の頃であった。
青森特産のヒバや南部の大豆や鰯など、京・大坂や外国向けへ積み出され、往路には大阪で生活用品や上方の文物に荷を代えた船が、この灯火を目指して港へ帰ってきたものである。
この常夜灯(灯台)は、現存する日本最古のものといわれている。
野辺地と旧会津藩士・・、
幕末から明治にかけて、大きく世の中が変革を遂げようとする時期、この野辺地の港に明治3年、旧会津藩の船が入港してきた。
その中に、会津藩士280石取の柴佐多蔵の五男として会津若松城下に生まれた「柴五郎」が含まれていた。
品川沖からアメリカの外輪蒸気船に乗った五郎らは、まず野辺地港に入り、島谷清五郎の呉服屋を経て「海中寺」という寺に止宿していたようである。
このときの様子を柴五郎は、「野辺地日記」に記している。
その後、田名部(現、むつ市)の「落の沢」に移り、柴家永住の地との決意を持って移住した。
旧会津藩士(斗南藩士:明治期、廃藩置県で藩はなくなるが)柴五郎は、後の会津若松初の陸軍大将に栄達する。
斗南藩・落の沢について五郎は、後にこう述懐している・・、
『 落の沢には新田初五郎の家一軒と、それより五十間ほど隔たりたる低き川辺に分家の一軒あるのみなり。 これよりさらに十丁ほど離れて干泥田村の十四軒が最も低く、隣村の大平村には二十余丁、金谷村には一里ばかりあり。 霊媒にて有名なる恐山の裾野は起伏し、松林、雑木林入り交じり、低地に数畝の田あるのみ。 まことに荒涼たる北辺の地にて、猟夫、樵夫さえ来ることもまれなり。 犬の声まったく聞くことなく、聞こゆるは狐の声、小鳥の声のほか、松林を吹き渡る風、藪を乱す雨の音のみ。 』と。
戊辰戦争で苦杯をなめた会津藩は戦後、新政府により会津松平家の再興を許された。
領地として旧領内の少区域の猪苗代湖畔、もしくは北奥の旧陸奥南部藩領のいずれか三万石を提示された。
その際「農業により領地の財政基盤を築くこと」との条件があったため、衆議の結果、農業に有利である思われる領地の広い北奥への移住が決定した。
新しい藩名は「斗南」(となみ)と命名され、旧藩士と家族1万7千人余りが移住した。
その中に柴五郎らの家族もいたのであったが、そこは火山灰土の風雪厳しい、農業には全く不向きな不毛の土地であった。
柴五郎は、旧会津藩士柴佐多蔵の五男として若松城下に生まれてる。
会津・日新館に学ぶが、戊辰の戦乱のため日ならずして休校。
新政府軍の若松城下侵入に先立ち、郭外の沢集落にあった柴家の山荘へ難を逃れたが、家に残った母と妹は自刃して果てた。
八歳の時、斗南藩への転封が下され、その後は北奥でのどん底の開拓生活が待ち受け、一家は辛酸をなめた。
彼は後に、斗南藩時代を書いた「野辺地日記」や不屈の生涯を書いた「ある明治人の記録」などの著を残した。
彼は廃藩後、上京して陸軍幼年学校・士官学校へと進み、日清、日露戦争での活躍により大正2年(1913)には陸軍中将に、大正8年(1919)には陸軍大将なる。 その後に12年の予備役となっている。
昭和20年(1945)、太平洋戦争敗戦の報に接して参内、12月13日に東京上野毛の自宅で亡くなっている。
なお、実兄の柴四朗は文人・政治家として名を為した。
薩摩・長州の藩閥(はんばつ)によって要職を独占されていた明治政府であるが、陸軍大将にまで進んだ人物・柴五郎は、武士の謙虚さと温情を持ち、常に敗者の尊厳に配慮するなど、多くの人々に慕われた「会津人」であったという。
新天地斗南藩(青森県)へ移住した後、北の冷涼の痩せた大地で、藩士たちは飢餓のため、生死の境をさまよった。
「挙藩流罪」とも言える敗者へのこの仕打ちに対し父は・・、
『 薩・長の下種下郎武士どもに笑わるるぞ、生き抜け・・!!、ここは戦場なるぞ・・! 』と、常に叱責していたという。
次回、「むつ」
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