google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。: 2010-08-29

2010年9月2日木曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」(3)

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 日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」(3) 



引続き厚木周辺の「ハイキングコース」の紹介です・・、



★ 鳶尾山コース(コース多彩)

鳶尾山は小生宅の裏山といっていい程の至近距離にあって、トレーニンググラウンドでもある。
厚木、この地に在住して以来30数年この山の世話になっていて、今でもほぼ毎日のように1時間前後は徒歩、強歩を楽しんでいる。

山は、家族で十分楽しめるコースで、明るく開けた野道がつづき、時おり猿の軍団に出会う事もある。

ルートは最短で15分から、山道を延長すると半日ルートまでと多彩である。
最長のルートは鳶尾団地1丁目の取り付きから鳶尾山中腹の林道を通り、八菅神社の八菅山から中津川カントリーのゴルフ場を経て国道412号へ至る約10kmのコースである。

一般的には鳶尾団地4丁目の明治天皇が行幸したとされる「天覧台公園」から金比羅宮、石碑、展望塔を経て、砕石跡の窪地から鳶尾本峰(235m)に登って松蔭団地へ降りるコースである。 
道々、丹沢大山や相模湾、中津川の展望を楽しむことができる。

鳶尾山には「鳶尾山に桜を植える会・・?」という愛山会があって、既に数千本もの桜が植えられており、さらに増植中である。
春の桜の時期は、特に良い。


又、小鳶尾山には、金毘羅宮(跡)があり、小生はその都度、祈願御参りしているが・・、

金毘羅宮は慶安3(1650)年、伝染病予防沈静化、養蚕繁盛祈願のために四国・讃岐の本社より勧請し、建立されたもので庶民信仰が厚かった。 
だが、昭和30年代に焼失し、現在は社宮小屋とわずかな石仏のみが残る。


小生の住む鳶尾団地は鳶尾山の山麓、東南の台地に拓かれている風光明媚な地柄である。 
叉、清流中津川に隣接し、相模川にも近い。

鳶尾団地は、昭和40年代に造成された住宅団地で、造成される前に県により埋蔵文化財の発掘調査が実施された。 
その結果、この地には多くの住居跡が発見され、高床式の住居もあり、ここが古代平安期の愛甲郡衙(郡役所)の跡である事が推定されている。

古代から鳶尾山麓は地形的にも高台で風光も良く人間生活には適地であり、この地方を支配するのにも好立地にあり、愛甲郡の文化的中心地であったとされている。

◎ 徒歩時間:30分~半日  バスは本厚木⇒鳶尾団地、松蔭団地行き



厚木近郊には、その他にも丹沢大山、大山三ッ峰山、そして丹沢山塊など身近に自然を楽しめる地域が満載である。 

又、海にも近く、横浜、東京の大都会へ出るのにも短時間ですむ。

厚木が気に入っている所以である・・、ビバ厚木・・!!


尚、厚木ではハイキングMapや各種観光ガイドを発行しております。
問い合わせは
厚木観光協会、 http://www.atsugi-kankou.jp/

厚木市役所  http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/

へどうぞ・・!。



山好きな小生の勝手に感じた「山の歩き方」数ヶ条、(長時間の登降:2時間以上、ただし岩場、沢筋、雪上・・など、特殊な歩程は含まず)



登り編

1、登山靴は底が厚く、踝(くすぶし)が隠れるもの
2、歩き始め、ウォーミング・アップ区間を多く
3、いきなり急な登りの場合、普段のペースより意識的に遅くする
4、足の底の全面をつかい、体を預けて一歩一歩前進(ベタ足、)
5、小幅、小股で足を引きずるように安全な着地面を歩く
6、急斜面は避ける(有れば迂回路を取る)
7、滑りに注意(濡れた木の根や石、靴底に注意)
8、急登の場合両手を腰に当てる(ステッキを上手に)
9、息切れ時は意識的に深呼吸(できれば腹式呼吸)
10、息切れした時、大きく一吸二吐(肺からCO2を排出)
11、チョイ休止(息入れ)、小休止、大休止を計りながら・・
12、水分の補給(飲み過ぎない)、食べ過ぎない、
13、・・・



下り編

1、走らない、跳ねない、急がない
2、リズミカルに・・
3、有ればステッキを上手に利用する
4、両手は必ず空ける(手に物を持たない・ステッキは除く)
5、小幅、小股(左右の膝を並べる感じで)
6、登りとは逆に、軟らかい着地
7、浮石、根っこ、枯葉など足の取られに注意・・!!
8、濡れ靴、濡れ石、濡れ根っこに注意(滑り注意)
9、急斜面は避ける(迂回路を取る)
10、きき足の反対の脚をカバーしながら
11、膝の笑いだしに(ガクガク・・)ゆっくりと
12、膝関節が痛みだしたらステッキを利用(棒切れでもよい)
13、・・・、



★今回で「日本周遊紀行:東日本編」は終了しました、御拝読有難うございました。

この後引続き、「日本周遊紀行:西日本編」をお楽しみに・・!!、近日中に公開いたします。




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2010年9月1日水曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」(2)

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 日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」(2) 



前回に引続き「厚木周辺のハイキング・コース」の紹介です・・、


★ 日向山コース(家族向き)

広沢寺温泉から日向薬師へ向かうコース。 
大沢川からは水のせせらぎが聞こえ、小さな鳥居が見えたら大釜弁財天で、川音を聞きながらの森林浴は格別である。 
山道に入ってしばらくは七曲りといわれる急な上り道、上りはやや急であるがほんの5分ほどで尾根道に出て、更に緩やかな上り道を歩くと標高404mの日向山頂上へ到着、木々の間から相模平野が眺められる。 
下りきったところに重厚な造りの「日向薬師」がある。

日向薬師」は平安時代後期には霊場として栄えていたといわれる。 
寺伝では奈良期の霊亀2年(716年)、行基の開山といわれる。 だが、境内からは奈良時代にさかのぼる寺院跡は発掘されておらず、実際の創建は10世紀頃と推定されているという。 修験道の霊場で、本堂、薬師三尊像は文化財。
柴折薬師(高知県大豊町)・米山薬師(新潟県上越市柿崎区)とともに「日本三大薬師」に数えられることもある。
又、峯の薬師(相模原市津久井町)・高尾山薬王院・新井薬師とともに「武相四大薬師」としても信仰を集めており、源頼朝、政子も深い信仰を寄せていたという。 
一時期は勅願寺になり、江戸時代末期には 13坊を数えたと言われる。

◎ 歩行時間:約2時間15分 バス本厚木⇒広沢寺温泉入口



★ 鐘ヶ嶽コース(ハイカー向き)

広沢寺温泉付近の鐘ヶ嶽の登り口から山頂手前の浅間神社まで、二十八の道程に分けてそれぞれの箇所に1丁目から28丁目までの石碑が置かれている。 
鳥居をくぐり野道を進むと、やがて標高561メートルの釣鐘状の山が見える。 
石碑や石仏が置かれた急な坂道を登りきると大岩を抱いた展望地が在る。ここから急な石段を登り切ると浅間神社があり、山頂はその裏手にある。
下りは大山を正面に見ながら尾根道をゆき、山ノ神トンネルへ下りて林道から広沢寺温泉へ。昔の人々が「山の神」として深い信仰心をこの山に寄せ、名残を残す旧跡などが点在している。 
このコースはせまい急坂などチョット危なっかしい箇所もあるので、幼児連れのハイキングには遠慮したほうがいい。
広沢寺温泉玉翠楼」は、山間の落ち着いた和風一軒宿で、男女の露天風呂もあり、周囲は竹林に囲まれ、春には桜が見事である。 
源泉泉質は ph10.3の強アルカリで美肌効果抜群であり、女性には特に評判が良いという。 名前に因んだ広沢寺が隣地にある。

◎ 歩行時間:2時間30分 バス本厚木駅⇒広沢寺温泉



★ 経ヶ岳・仏果山(ハイカー向き)

高取山(荻野)522m⇒華厳山602m⇒経ヶ岳633m⇒仏果山747m

厚木市の国道412号の荻野地区から西に聳えているのが高取山、華厳山、経ヶ岳などの5~600m程度の山々で、この地区では西山と称されて親しまれている。 
山麓はゴルフ場や民家が広がっていて登り口は判りにくいが、主にR412のバス停を「東谷戸」、「源氏河原」、「上荻野」などで降りて山方向へ向うと、所どころに高取山への案内板がある。 
一端に取り付けば、あとは尾根筋の一本道で判りやすい。
稜線の向こう側は大規模な採石場であるが、やがてこの尾根まで砕石箇所が延びてきて山道は無くなるらしい。 
地元の自然愛好者は自然破壊だとして反対しているが行政も認可の方向らしい・・!。
尾根道は樹林帯のため展望はあまり良くないが、経ヶ岳付近からは周囲、特に丹沢連邦の景色が良い。 
西側の稜線上(経ヶ岳から半原越へ下る道)に「経石」と呼ばれる巨岩がある。
この名は昔、弘法大師がこの岩に経文を納めたことに由来しており、この岩がある山だから経ヶ岳と呼ばれるようになったと言われている。 
そう言えば華厳山、経ヶ岳、仏果山など仏に因んだ名称が多い。
仏果山山頂手前はちょっとした痩せ尾根と岩場があり、仏果山には展望塔もある。 
山頂から宮が瀬乗越、高取山(705m)は、宮が瀬湖、半原方面の展望が雄大である。

◎ 歩行時間:約4.0~4.30時間 バス本厚木⇒半原、上荻野行き、東谷戸、源氏河原、上荻野下車



引続き、厚木の山地(3)



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2010年8月31日火曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」

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 日本周遊紀行(132)厚木 「厚木の山地」 



最後に山好きの小生でもあるので、若い頃慣れ親しんだ厚木周辺の行楽地・ハイキングコースを紹介してみよう。 

厚木の、小宅の周辺には家族でも楽しめる低山地帯、良く整備されたハイキングコースが数多く点在している。



★ 高松山コース(家族向き)

高松山は、森の里団地(住宅、企業の併用)の東の一角にあり、標高150mほどの低山であるが厚木、湘南など相模平野が一望でき、山頂には明治天皇の行幸碑がある。
小野方面への尾根道を下ると、源頼朝の側室・丹後の局ゆかりの小社を構える「小町神社」がある。 
この辺りは、平安初期の歌人として、また美人として有名な小野小町に縁があるとも云われている。
小野は、鎌倉期、源頼朝の側室「丹後の局」は頼朝の子を身ごもったことから、政子の怒りに触れ、この山里に身を隠したと言い伝えられている。
丹後の局は、政子の恨みの激しさのため、黒髪が老婆のような白髪に変ったといい、悲しんだ局は小町神社の祭神に数日間祈願を続けたところ不思議なことに、白髪がまた元のように黒髪に戻ったと伝えられる。 
それ以来、小町神社には絵馬を奉納し、いろいろな願いをこめて参詣する女性の人が多くなったという。

◎ 合計歩行時間:1時間 バス本厚木⇒高松山経由森の里行きバス高松山入口下車



★ 飯山白山コース(家族向き)

「飯山観音」から、四季にわたって美しい飯山白山森林公園を抜け、白山山頂をめざす。 
飯山温泉や自然と歴史豊かなファミリー向きコースである。 
標高284mの山頂からは雄大な眺めも良く、飯山観音など見どころもいろいろ。
飯山観音は、飯上山長谷寺(いいがみさん ちょうこくじ;通称、はせでら)といい板東三十三ヶ所観音霊場第六番札所である。 
本堂は江戸中期の建物であるが、観音堂の由来は古く、奈良時代の神亀二年(725年)に諸国を巡っていた高僧・行基(ぎょうき)が創建したともいわれる。 
観音堂には本尊の十一面観世音(約180cm)像があり、体内には行基が楠の一木で彫った尊像が納められているという。 
境内付近は県内きっての桜の名所でもある。

◎ 歩行時間:1時間30分  バス本厚木⇒飯山温泉、



★ 巡礼峠白山コース(家族向き)

厚木市郊外の、いかにも裏山といった感じの低山帯で、古くからの信仰のために開かれた順礼峠と飯山観音を結んだ静かな尾根の縦走コースである。
春は若葉のころ、秋は紅葉のころが最も楽しめる。 
江戸期に順礼の親子が強盗に殺され、哀れに思った地元の人が建てたと言われる地蔵像が途中にある、享保8年(1737)の作。

◎ 歩行時間:2時間 本厚木駅⇒バス広沢寺温泉行き七沢温泉行き



尚、厚木ではハイキングMapや各種観光ガイドを発行しております、問い合わせは下記へ。

厚木観光協会 046-228-1131

厚木市役所  046-223-1511



引続き、厚木の山地(2)へ



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2010年8月30日月曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「宮が瀬ダム」

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 日本周遊紀行(132)厚木 「宮が瀬ダム」  




宮が瀬振興財団(リンク)



宮が瀬ダム湖の奥部にある「水の郷」




「宮が瀬ダム」は、厚木の地域ではないが・・、

昨今、この宮が瀬地区に大きなダムが完成した、「宮が瀬ダム」という。 
東京都心から約50kmの至近に位置した首都圏最大級のダムで貯水池としても注目されている。

愛川町半原と相模原市津久井町(旧津久井町)、更に清川村宮ヶ瀬の3市町村に跨る相模川水系中津川に建設されたダムで、湖名は宮ヶ瀬湖という。 
1991年10月に宮ヶ瀬ダム本体コンクリート打設開始、1995年10月から貯水が開始され、1999年春には箱根の芦ノ湖に匹敵する「宮ヶ瀬湖」が誕生している。 

宮ヶ瀬ダムでは.二本の導水路で県内の相模・城山ダムと連携して水資源を合理的に利用し、2001年4月から本格運用が開始されている。 
総貯水容量約2億トンといい、水道水として新たに利用される水は横浜市や川崎市など県内の3分の2を賄い利用されてる。 

宮ヶ瀬ダム建設に伴い、本ダムに愛川第一発電所、副ダムに愛川第2発電所を新設。
ダムからの下流への補給を利用して水力発電を行い最大出力は、それぞれ25,200kW、これは一般家庭約21,000世帯の年間使用量に相当するという。

堤高156.0m、堤頂長約400mの重力式コンクリートダムで、全国の堰堤の規模からすると高さで5位にランクされる、ちなみに1位は黒部ダムで186mである。


又、宮ヶ瀬ダム建設に伴って多くの人が移転を余儀なくされた、水没地の面積は45平方キロメートル、移転戸数は281戸に及び、新規造成団地「宮の里」に移住している。

宮ヶ瀬ダム湖周辺は今は観光地として見所は多く、あいかわ公園、湖畔地区、鳥居原地区の三つのエリアに分かれている。湖畔地区は、旅館や商店が並ぶ水の郷商店街、のりもの広場や広大なピクニック広場、水の郷大吊り橋、ビジターセンター、交流館、カヌー場などがあって賑やかなところである。


又、宮ヶ瀬湖には例年のイベントがある。

クリスマスの時期に美しく光輝くジャンボクリスマスツリーが登場する。 
期間中は、水の郷の樹木にもおよそ10万個のイルミネーションが飾られ、ライトアップされた大噴水「虹の妖精」、美しい夜景とともにそこは光のパラダイスとなり、大人から子供までメルヘンの世界に招待してくれる。 
このジャンボクリスマスツリーとして毎年話題を呼ぶ宮ヶ瀬のモミの木は、樹齢100年を超えると推定され、このモミの木のてっぺんに約2mの星が飾られ、約1万個のイルミネーションでデコレーションされた、高さ約30mのジャンボクリスマスツリーになる。

宮が瀬へは小宅からは車で15分程度、中央道相模湖ICから30分、東名道厚木ICから40分、本厚木駅からバスで60分程度である。



回想の「中津渓谷、宮が瀬」・・、

厚木市街に接して流れる清流「相模川」が流れる。
関東の鮎の釣り場、夏には厚木鮎祭りの大花火大会の会場にもなる市民の憩いの場所である。

この広大な河原は、三川合流の地点でもあり、左より小鮎川、中津川、そして本流の相模川であるが、この中津川の上流凡そ10km上流の愛川地区に宮が瀬湖がある。


この湖の東端、宮ヶ瀬堰堤・ダムが位置するダムサイトエリア下流の石小屋ダム付近は、かつて名勝・中津渓谷があった地域である。
川幅一杯に急峻な山肌が迫り、この地形を利用し建設されたのが宮ヶ瀬堰堤・ダムがであるが、この地が愛川町石小屋地区であった。


克っての中津渓谷は、深い緑と鮮やかな紅葉のハイキングコースとして人気があり、小生なども何度も訪れた地で首都圏でも絶大な人気があった。
コースのスタート地点には、堅牢な石造りでメガネ状の名物・石小屋橋が在り、現在はその名残を残しつつも宮ヶ瀬ダム建設に伴って取り壊されたが。

この石小屋橋から先が中津渓谷の見所、核心部であった。 

日中でもあまり陽が指す事が無いほどV状に研ぎすまされ、深い峡谷の景観は我々を圧倒した。 
ユックリ散策しながらも概ね1時間、薄暗い谷間を通り抜けるとそこには信じられないぐらいの明るい集落が広がっている。

サンサンと降り注ぐ陽光の下、中には藁葺き屋根を設えた家々が寂として佇んでいる。 
中津川の清流には鮎やヤマメが飛び跳ね、河原にはバーべキュウを楽しむ親子ずれがいて子供達の嬌声が聞こえる。(小生の家族も含む)チョット上流には、ゆらゆら揺れる吊り橋がいかにも山の里を偲ばせ、山あいの平地には、黄金色の稲穂がたわわに実りを付け、こらえ切れないほどに頭を垂れた穂先が風にそよいでいる。

この宮が瀬の地は正に桃源郷の様相であった。


そして何十年も、否、何百年もの間住み慣れた部落の人々は、今、この地を後にして新天地の宮の里に移ったが、これらの人々が、フト・・!我に返り、かって住み慣れた桃源郷の「湖底の故郷」を思い起こす時、どのような気持ちになるのだろう・・? 

きっと胸が締め付けられるような思いにかられるに違いない。


宮が瀬ダムの建設時期に、同町の愛川高校の新設、開校(昭和58年)が合わさったたため、学校建設の際、南北校舎を結ぶ渡り廊下の中庭に「石小屋橋」の景観を取り入れたデザインを創作し、取り入れているという。


次回は、厚木周辺の山地



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2010年8月29日日曜日

日本周遊紀行(132)厚木 「古代地域と名前の由来」

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 日本周遊紀行(132)厚木 「古代地域と名前の由来」 



厚木の古代は・・?、

厚木の市街地から国道412号線を北東へ8キロメートルほど行くと、鳶尾山麓一帯は小生の住む鳶尾団地など新興住宅地が広がっている。

この付近は縄文時代草創期から、早期、前期、中期、後期の各時期の竪穴住居跡が発見されている。
13,000年前から4,000年前までの長い間、先人の暮らしが営まれていたことが分かり、所謂、縄文の団地であったことが判明している。

尤も、厚木及びその周辺でも縄文期の遺跡が数多く発見され、相模の中央地区は太古より人類が住み着いたことが判っている。

そして、有史の古代には最も栄えた時代を向かえることになる、隣町の海老名の地に巨大な「史跡相模国分寺跡」が発見されているのである。
その規模は、古都奈良の法隆寺をも凌ぐほどの大規模なもので、周囲は東西200m以上、南北300m以上もあるものと見られ、尚且つ、高塔を復元すると七重式で高さが65mもあったとされている。

発掘調査の所見から、8世紀中頃には創建されていたと考えられている。



国分寺」とは天平13年(741年)聖武天皇の詔(みことのり;天皇の命令)によって国ごとに設置された官寺で、奈良の東大寺、法華寺がそれぞれ総国分寺、総国分尼寺とされた。 
天皇は仏教の力を借りて人心の安寧を計るため、各地に国分寺と国分寺尼寺を建立することを命じ、相模国では現在の海老名市がその地として選ばれ建立された。


一般に、国分寺は、国府(律令制で、一国ごとに置かれた国司の役所)に隣接するか、直近に建立するのが普通であった。
当時、相模国の国府は、今の平塚市にあったと考えられるので(平塚市四之宮、前鳥神社付近とされている)、当時の支配者であった郡司(群衙・ぐんがともいい、当時壬生氏ともいわれる)が何らかの理由で国府と国分寺を切り離して建てられたとする見方があるようだ。


その厚木地域は相模国府と相模国分寺を繋ぐ中継交差する地点であり、相模国の重要な拠点だったとされてる所以である。

市内における国分寺建立と奈良、平安期の仏教の伝播を物語るものとして、飯山金剛寺、船子観音寺遺跡など市内各地から瓦塔片や仏像など発掘されているという。
この頃は、南都仏教(奈良期、平城京を中心に栄えた古来仏教)及び天台・真言宗(新興仏教)などが盛んに地方へ伝播した時代でもあった。



教育委員会が刊行した「厚木の地名考」によると、厚木の名が初めて文献に登場したのは、室町元年(1338年)禅僧の夢窓疎石が南北朝時代・足利尊氏の重臣・高師直(こうのもろなお)にあてた書状の中に「相州厚木郷」という名が記されているという、どのような内容、目的の文献であるかは定かでないが。

夢窓疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけて、国師号を授けられた臨済宗の名僧であり、「苔寺」で知られる京都の西芳寺、天龍寺、鎌倉の瑞泉寺など、多くの庭園の設計でも知られている庭園造形師でもある。

又、高師直は足利尊氏の重臣、執事であり南北朝時代の争乱の時期、尊氏に従って南朝方と戦い軍功が多く、尊氏に従って室町幕府創立に寄与している。 

疎石は足利家とも縁があり、高氏とも深いつながりが在ったと見えて、師直の兄弟や子息達は疎石に帰依(神・仏などすぐれた者に服従し、すがること)していたという。

夢窓疎石と主将・足利尊氏の側近であった高師直とは相州・厚木郷において何らかの理由で接点があったことが想像出来る。
尚、この時期、足利氏による室町幕府成立に伴って、政治の中心は相模の国・「鎌倉」から再び京都に上っている。 


因みに、相州・鎌倉は、幕府滅亡後は足利氏による地方としての政庁・鎌倉府を設置(鎌倉公方)し、関東十ヶ国における出先機関としての役目を果たしている。 
この政庁執権を、関東公方とも称している。 この公方を補佐するために上杉氏などの関東管領が置かれていた。

序ながら、この関東管領・上杉氏(扇谷)の家臣で、相模国守護代を勤めた「太田道灌」がいる。 江戸城や川越城を築城したことでも特に有名である。

 『 七重八重 花は咲けども 山吹の
           実の(蓑)一つだに なきぞ悲しき
 』

の歌でも有名な人物であるが、この厚木市街西方、糟谷(かすや:現伊勢原市)地区に居を構えたいた。 
だが、ある日、讒言(ざんげん:はかりごと)によって当主の上杉定正によって暗殺される羽目になる。 
毎年10月、伊勢原市では 「道灌祭り」が盛大に行はれている。



さて、「厚木」の地名であるが・・、

自然環境に恵まれている厚木地域は、前述したが縄文時代前期5、6千年前のには人が住んでいたと言われている。
それらは土着民であるアイヌ民族が住んでいたともされ、厚木の地名に『 厚木は諸川の合流下(相模川三川合流点)のところにあって、アイヌ語でいうAtu(吐き出す)ki(場所)=吐き出す場所が、その起源である 』という説もある・・?。

古代、国分寺建立の際は、この厚木辺りが材木、資材の「吐き出す場所」つまり集散地であったと考えらるのである。 
尤も、厚木の各所地名にはアイヌ語と思しき地名が数多くあるというが・・。

更に 「厚木・あつぎ」の地名の由来であるが・・、
木材の集散地であったところから、集め木、アツメギがアツギに変化したとされるが定説ではない・・?、 しかし、信憑性はある。 
厚木周辺の北西方向の山域は丹沢山塊から派生する低山地帯を形成し、比較的人が入りやすい森林地帯でもある。


現在、神奈川県で唯一の村である「清川村」は江戸期には丹沢御林とも呼ばれた。 
七沢・煤ケ谷その奥にあたる宮ケ瀬の東丹沢山一帯に繁茂する森林は徳川氏が江戸に入るに及んで「丹沢御林」と称され、後に幕府御料林とも呼ばれた。
御林は幕府直領下におかれ、江戸城修築や江戸の町並みを造営、其他の木材に使用に供された。
そして、この山林を守り、用材の諸役を課せられた村々や人々には年貢・諸役を免ぜられていたという。 

当時、丹沢東部に属する村々である愛甲郡煤ケ谷村、宮ケ瀬村、大住郡寺山村、横野村の四ヶ村には、御領林の警衛なども命ぜられ、村民による巡見管理を任されていた。 

併せて、この地区を御留山(おとどめやま)とも称していた。
新編相模国風土記の記事によれば、この四ヵ村の巡視のための番札を掛けた大きな欅の木が、宮ケ瀬から秦野へ通ずる林道上(県道秦野清川線)にあり、このことから、この地を「札掛部落」と名付けられたと記されている。 

東丹沢「札掛の碑」

現在も、草にやや埋もれてはいるが証しの石碑も残っている。

次回は、清川村「宮が瀬ダム」



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