google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。: 2010-06-20

2010年6月25日金曜日

日本周遊紀行;温泉と観光(34) 日本三景「「奥松島」

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日本周遊紀行;温泉と観光(34) 日本三景「「奥松島」 


松島に至る前に、先ずその一角とされる「奥松島」について・・、

東北、否、日本でも有数の水産・港湾都市・石巻を過ぎると、まもなく「松島」である。

ところで、お馴染みの松島へ直行する前に、奥松島をチョット覗くことにした。
国道45号線から鳴瀬川沿いを走ると、間もなく砂浜の美しい野蒜海岸に達する。
「奥松島」は仙台側から見てのさらに先にあることから、そう呼ばれているらしいが、こちらは同じ観光地ながら静かで、のんびりした風情が広がる。


日本三景といわれる「松島」であるが、その範疇は何処から何処までとは特に決められてはいないようだ。 
大まかには松島湾内外にある大小260余りの島々と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた地域辺りを指しているようである。

一般に松島を観光する場合、列車では仙石線の「松島海岸」か、南側の海岸に位置する大駐車場に車を置いて、五大堂を中心とする海岸エリアと瑞巌寺を見学するのが普通のコースであろう・・?。
時には、遊覧船にて船上より島々を眺めるか、高台の松島丘陵から「松島四大観」(まつしましだいかん)と呼ばれる景勝地点から奥松島を含めた全体像を眺めるのが良しとしている。

そして日本三景・松島に接する「奥松島」(東松島ともいう)は、一般観光客には馴染みは薄いようであるが、本当の松島の良さはこの奥松島に有るとも言われている。



奥松島の一島・・、南紀白浜の「円月島」に似てません・・?



ここで、奥松島について・・、

松島湾の北東部一帯、潜ヶ浦水道から大高森の周辺には無数の島々が点在する。
その中でも秀悦なのが日本三大渓(岩手県の猊鼻渓と大分県の耶馬溪)の一つといわれる「嵯峨渓」であろう。
太平洋の荒波と風雨に侵食された絶壁や奇岩が連続し、女性的な松島湾の景観と対照的に男性的で荒々しさが魅力である。大自然が作り出す島々の景観はここにもあり、この嵯峨渓は宮古島からでる遊覧船でも堪能できる。

変わった所では、竹浜というところに「鳴き砂」(砂の上を歩くとキュッと鳴る砂をいい、急激な砂層の動きにより表面摩擦を起こして音を出す現象)の浜辺もあり、手前の野蒜海岸は波の静かな砂浜で、夏場は海水浴場として人気があるという。
又、他にも、松島の四大観の一つである「大高森」の展望地やその周辺自然散策などがあり、他にも家族連れや合宿などの施設が近くに沢山あり、観るなら松島、遊ぶなら「奥松島」とも言われる所以である。

中でも宮戸島には里浜貝塚という貝塚がある。
里浜貝塚は、縄文時代前期(約6000年前)から弥生時代初めまでの約4000年間の遺跡といわれ、貝塚は島の標高20-40mの高台に存在していて、現在の海岸線からは離れているという。
一般に、青森の三内丸山遺跡もそうであったが、各地縄文遺跡は今の海岸線から遠く、高い位置に在るといわれる。
それは地球的な温暖化による縄文海進のために、現在よりも海水面が高かったことを意味しているという。

現在もそうであるが、何千年も前の縄文時代といえども、生活を基盤とする場所は、元々は海辺や河川の近く叉は、それに準ずる所にあるのが普通であった。



関連して松島の成因については・・、

大昔のこの辺りの地形、即ち松島丘陵地帯は広大で海にまで達していたとされる。 それが、ある時期に次第に沈水して、現在、見られるような沈降地形が出来あがったといわれる。
所謂、溺れ谷(陸上の谷が、海面の上昇や地盤の沈降で海面下に沈んでできた湾)に海水が入り込み、山頂のみが残って島が形成されてのである。 

この状態が現在の松島湾を形成したものともいわれる。

ただ、縄文期の頃は、現在と比して縄文海進のため、更に海面が20m以上も高かったことから、今の松島の小島などは当然海の底であったろうともいわれる。
従って、当時の縄文人は今の松島とは全く異なった風景を眺めていたのでは、ともされている。


次には「本松島」




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日本周遊紀行;温泉と観光(33)岩泉 「小本温泉」

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日本周遊紀行;温泉と観光(33)岩泉 「小本温泉」



黄金八大龍王の湯



小本温泉は「黄金八大龍王の湯」という仰々しい名前が付いているが・・?、


岩手県に入って、所謂、リアス海岸の山また山の山中から岩泉の「小本」まで下りて来た時に、ようやく温泉に在り付いた。

ハハーンここか・・、予備知識があったのである。

ここ小本温泉は「黄金八大龍王の湯」という、名前が何とも仰々しいのであるが、おまけに、旅館の屋根いっぱいに大きな朱色の派手々々しい温泉マークが目立つ。

三陸沿岸では珍しい天然の温泉(冷泉)であり,その名前が何とも厳しい(いかめしい)ので記憶にあったのである。
ここの温泉は成分が極めて濃く、万病に効く神秘の湯として知られ人気があるらしい。 
この湯に立ち寄ってみた。



外観は温泉センター風、透けて見える引き戸の玄関をガラガラと開けると、雑然とした空間が広がっている。
中にはお土産や地場産の野菜類があれこれ並び、食堂有りと、雑然とした中にも湯治場の大衆的雰囲気を出している。
しかも、木をふんだんにつかっている建物で、浴室の窓にステンドグラスを嵌めるめてあったりと何やらオシャレな感じでもある。

奥には立派な明神社・・?が祀ってあって、その名も「龍王大明神」だとか・・?


因みに、八大竜王(はちだいりゅうおう)というのは昔から雨乞いや水に関する神様として祀られ、日本各地に神社や祠がある。
古代インドで生まれ、仏法を守護するために竜族の八種が王となったもので、インドでは「ナーガ」という半身半蛇の形であり、中国や日本を経て今の「竜」の形になった伝えられる。
つまり、蛇を神格化したもので、水中に棲み、雲や雨をもたらすとされる。 

又、「釈尊」の誕生の際、灌水したのも竜王であったとされる。
現代でも八大龍王は雨を降らせ、水産業、飲食業、水商売、芸能、サービス業の守護神として崇められ、特に井戸、水道の守護神として重要な役目を持っているという。

当地の「黄金八大竜王」は金ピカに飾られ、温泉の守護神として祀られているのだろうか・・?。



女将さんらしい人が、「立寄りかね・・、料金は後でいいから浴いっていきな、いい湯だよ・・!」と暢気そうに言ってくれた。
実に長閑(のどか)である。

浴室から既に硫黄臭が漂う。 
源泉風呂は”金ぴか”で縁取られた浴槽で少し茶色く濁っており、浸かると肌にビリビリくるほど濃厚である。 
龍王の口から盃に樋を通して少しづつ湯が注がれている。
この樋には軟らかく白い析出物の硫黄分が多量に付着している。 これを見ても成分の濃さがわかる。 味は少し塩辛い。

又、露天風呂は岩で作られており庭園風になってる。

源泉浴槽には白い湯花と黒い湯花も舞っており、加熱された源泉と冷たいままの源泉二種が注がれているようである。 
硫黄の匂いはさほどではないが、口にすると驚くほどの塩っぱさと、ニガリ等のミネラル分が濃さそうなイガラッポイ味がする。 
噂どおり、薬効充分な温泉のようである。


この温泉場の前に小本川が流れている。 
この上流には有名な「龍泉洞」が在って、この伏流水が良い泉質を生み出していると言われ、これを宿の主人が夢のお告げによって掘り当てたという。  
小本温泉は、「飲んで浸って寛いで万病を治す奇跡の湯」のキャッチフレーズどおり、いろんな病気の方が訪れ、効果を挙げているという。


アトピー性皮膚炎や糖尿病など、現代人を悩ます疾病に抜群の効果があり「奇跡の湯」として人気を呼び評判らしい。 
温泉に興味が無かった御仁には、それこそ「神がかりの湯」のように思えるかもしれない。

泉質は、含硫黄-ナトリウム・マグネシウム-塩化物・冷鉱泉  
効能は、神経痛・関節痛・慢性消化器病・痔疾・冷え性・慢性皮膚病・痛風など・・、
源泉11.3℃の超冷泉、立寄料金 600円はやや高め・・?。



小本温泉は「岩泉町」だった。
岩泉町(いわいずみちょう)は、この辺り太平洋側に面している地域は小本地区のごく僅かで、その大半は内陸部に町域が広がっている。 実は、本州一面積の広い町なのである。
因みに、岩泉町は面積:993平方kmで、2位が新潟県阿賀町:953、3位が福島県南会津町:887である。 
但し、北海道を入れれば第9位だそうである。(2006年4月1日)

岩泉町は、鍾乳洞の「龍泉洞」が観光地として有名であるが、ここの水が更に有名で、日本100名水にも選ばれている位である。 
この水は飲料用ミネラルウォーターとして、岩泉町内における中心地区の水道水は龍泉洞の水で賄われているという。
アイヌ語で「わっかくつ(水の穴)」と呼んで重宝がられていて、水に恵まれた町なのである。

この龍泉洞の伏流水が更に良い泉質を生み出し、小本温泉の冷鉱泉「黄金八大龍王の湯」となっているのかもしれない。



序ながら、岩泉町にはもう1つ自慢のものがある。 「松茸」である。 
町の面積の9割が森林で覆われ、マツタケが生える赤松林は92000ヘクタールもあり、なにしろ東京ドーム約2万個分もの赤松林が有るという。 
こんな訳で最近は、この赤松林から松茸の産地としても名が売れてきたという。

松茸産地として蘇ったのは、町が京都大学の吉村文彦先生、別名「マツタケ博士」を招いて「岩泉まつたけ研究所」を設立し、その地道な研究と研究を生かした森林作りを進めてきた成果といわれている。
この松茸研究所は、かの「ふるさと創生資金」を活用して町が設立したものだという。

ふるさと創生資金とは1990年に時の竹下政権下で、全国の市町村に規模の大小を問わず、一律一億円の使途自由のお金を配るという、バブル経済最後のあだ花のような施策で全国に配られたお金だった。
現在は、「日本一早く採れるマツタケの里」としても知られ、後になり「地域に根ざし、将来につながる有効な使い方をした」と評判が高まったのがこの岩泉町の松茸研究所であったという。


元々、松茸を採取するのは難しいといわれる。
松茸の採取は「どこにどう分け入り、どう宝を見つけるのか」がポイントで、実はいいモノが生える場所は大体決まっているという。
現在、1万2000人余の町民のうち、名人級の採取者は50人程度はいるという。
自生地は親子でも言えない秘中の秘だという。 

それは、松茸は地表に顔を出て傘が開ききってしまえば、香りも味も落ちる性質を持つといわれ、このため地表からわずか1~2cm程度、顔を出したところを見極め、根本から押し上げるようにして採取するのが本来といわれる。
その場所を知らない人間が、やみくもに探しても採取できない理由はこの点にあるという。


「松茸は今や宝物」・・?、

日本では一般に香りが良いことが松茸が一番とされ「香り松茸、 味シメジ」などという言葉もある。 
日本人がマツタケを食べるのは、この香りが目的だといえる。

逆に欧米ではこの香りが「靴下の臭い」、「汗の臭い」、「精液臭」などと嫌われることがあるという。 
人種、文化が異なると、こうも極端に違うものである・・!!。

最近では市場流通量のほとんどが安い輸入品で占められ、中でも韓国や北朝鮮、中国からの輸入が多いと言う。  日本産頑張れ・・!!。


次回は待望の「松島」



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2010年6月24日木曜日

日本周遊紀行;温泉と観光(32)むつ 「霊場・恐山」

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 日本周遊紀行;温泉と観光(32)むつ 「霊場・恐山」 


霊場・恐山の大本堂、向こうに山門(地獄より望む)




地獄の様相の「恐山」にも天国は在った・・、


再び県道4まで戻り、そのまま「恐山」を目指す。

薬研温泉から直接、恐山へ行くことは出来るが道はいっそう細くなり、上下の激しいヘアーピンカーブやら、ものすごい山道が延々と続く。
道が大きく左へカーブすると、次第に明るくなり、視界も広がってきた。 

遥か下に湖が見えてきて、この湖は「宇曹利湖」というらしい。 
間もなく「恐山」全体が見えてきた。
大きな山門とその奥に広がる異郷の世界が出現したのである。


以前、普段はあまり出歩かない信仰心の強い母が、「恐山」へは一度行って見たい、と洩らしていたのを思い出す。 
今となっては、少々悔やまれるが、既にもう三界の人となってしまった。



広大な駐車場には、朝、早いせいか、土曜日であっても未だ人影はない、八時開門という。 

阿形、吽形と思われる仁王像が控えた、山門は二層造りの堂々たる巨大建物で、色彩も豊かである。
500円の参拝料を支払って山門をくぐることにした。

山門から左側へ折れ小道を登っていくと、硫黄臭とゴツゴツした岩だらけの空間が、広がっている。 
そこに見える風景は物凄く荒涼として、殺伐たるものである。
地獄の小径が続く、無数の無縁塔、御霊石等に地獄谷、血の池地獄など、その中に観音像、地蔵尊、開祖の円仁(慈覚大師)堂が祭られている、正に霊界なのである。


荒涼とした地獄の一角に佇む、開祖円仁(慈覚大師)の御堂


一方、地獄の裾には「賽の河原」が広がっていて、その先には対照的な白州の極楽浜と湖面が美しい宇曽利湖が広がっていた。
その周辺はミズバショウ、シャクナゲ、イソツツジ等が彩々しく色どりを添えていた。
まさに地獄と天国が一体となって広がっているのが「恐山」なのである。


賽の河原から三途の川に架かる「極楽橋」


極楽浜周辺と宇曽利湖は天国の様相

賽の河原とは現世と冥土の境、天国と地獄の境目、三途の河原ともいう。



地理でいう恐山山地とは、下北半島のまさかり部分にある山地全体を指し、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称である。 

外輪山は釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の八峰をいい、「恐山」という名称の単独峰はない。
いわゆる「恐山」とは、霊場を指す独特の名称のようだ。

活火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴的であり、寺名は恐山・菩提寺、本坊はむつ市田名部にある曹洞宗・「円通寺」である。


恐山は、宇曾利山:「うそりざん」が変じたものという・・、語韻が似ている。

西暦862年に慈覚(じかく)大師・円仁が開山し、初めは恐居山・金剛念寺と称していたらしい。
この頃は天台密教の寺であったが、争乱で寺は破壊され一時衰退したが、1530年に聚覚(じゅかく)によって再興されたという。 
以降、曹洞宗に改宗され、釜臥山・菩提寺と称して円通寺(むつ市)が別当をつとめている。 

霊場・恐山の開祖は、天台宗を開いた最澄の弟子である慈覚大師・円仁で、円仁が唐に留学中、 夢で「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり。 地蔵尊一体を刻しその地に仏道を広めよ」という御告をうけた。
円仁はすぐに帰国し、夢で告げられた霊山を探し歩いき、苦労の末、 恐山にたどり着いたといわれる。

円仁は6尺3寸の地蔵尊を彫り、 本尊として安置したとされている。 
本尊は延命地蔵菩薩である。


日本三大霊山(恐山、高野山、比叡山)、日本三大霊場(恐山、白山、立山)、日本三大霊地(恐山、立山、※川原毛)の一つである。


その昔は、日本海を舞台とした北前船が往来し、漁師や乗組員が航海の安全や家業繁栄を祈るために参拝者が詣でた。 また、下北地方には大漁や五穀豊穣、家内安全、無病息災といった現世利益を願う「地蔵講」という習わしがあり、村では季節が変わるごとに恐山に詣で、地蔵菩薩に御利益を願ったという。


古来より、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られ、下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行(い)ぐ」と言い伝えられている。

恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの参拝人が並び、イタコの口寄せを聞く。
「イタコ」は津軽・南部地方の巫女の名称であり、現世依頼者の求めに応じて死者の霊を呼び寄せ、その言葉を依頼者に伝える、 所謂、霊媒者のことである。 

大祭には,各地のイタコが集まり死者の口寄せを行うので多くの参拝客が集まるという。 
昨今では、イタコに依頼する参詣者が殺到し、予約をしないと口寄せは叶わないともいわれる。


別当・「円通寺」は、むつ市の市街地のほぼ中心、国道279と338号の交差点に、境内・本堂を有している。
明治時代に入り,戊辰戦争で敗れた会津藩が、下北と三戸郡に領地を移され、斗南藩として藩再興を果たすが、その時の藩庁がこの「円通寺」であったそうである。





地獄の境内にある「恐山温泉」と小生


恐山自体が火山であるため、境内には温泉が湧いている。

古滝の湯、冷抜の湯((ひえのゆ)、薬師の湯、花染め湯など、4つの浴場があり、お入り自由の無料である。 ただし、参拝者のみであるが。

参道の左に掘立小屋風の男性用「冷抜の湯」と女性用「古滝の湯」の湯小屋が有る。


敷戸を引いて中に入ると、硫黄の臭いがただよう。
湯船及び床は総ヒバ造りで、感触がいい。
お湯は透明だけど硫黄の刺激臭があって、いかにも温泉らしさを醸し出す。 

淡い緑色をしている湯に浸かるとビリビリときた、熱い・・!!
仕方なく水で薄める、それでも成分は濃厚である。
それもそのはず、ここ自体が源泉であるから。 

ただ一人、入浴中の「八王子」出身の大湊海上自衛隊員と、しばし郷愁の会話を交わす、ついでに記念写真をパチリ。  



恐山の湯でミソギをし、恐山を後にした。



恐山よりむつ市街に至る恐山街道(青森県道4号)には途中、整備された湧き水・冷水(ひやみず)があり旅人の喉を潤している。
この湧き水を一杯飲めば10年、二杯飲めば20年、三杯飲めば死ぬまで若返ると言われているが・・?。



※ 「川原毛」 宮城県境に近い秋田県湯沢市の山中にある火山地帯で、火山で荒原となった地域を川原毛地獄と称している。至るところから硫黄が噴き出し、まさに地獄の雰囲気が漂うところである。恐山、立山と並び 日本三大地獄(霊地)のひとつに数えられる。 血の池地獄からの沢水は、滝壺が露天風呂の川原毛大湯滝となっているという・・。河原毛地獄、針山地獄を回る所要一時間の遊歩道も整備されているが、周囲は硫黄ガス度が高いので注意が必要だといわれる。


次回は小本温泉・「黄金八大龍王の湯」




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2010年6月22日火曜日

日本周遊紀行;温泉と観光(31)大畑 「薬研温泉」

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日本周遊紀行;温泉と観光(31)大畑 「薬研温泉」





「かっぱ湯」、湯船に河童の像が見える



薬研温泉の野天・「かっぱの湯」はご機嫌であった・・、

大畑海岸の小さな漁港の一角で目が覚めた、空はドンよりと垂れ込めている。
出航の準備か、漁民の二人(夫婦・・?)が忙しなく動きまわっていた。

こちらは、今目覚めたばっかりのボンヤリ頭で、前の御二人の様子とは好対照、何か気まずい思いがする、早々に退散としよう。

先ずは内陸部の薬研温泉(やげんおんせん)へ向かうことにする。
「薬研温泉と恐山」は今回の旅の主要地でもあった。

未だ静寂の大畑町並みを抜け、国道279へ出て、薬研方面の分岐、県道4を行く。

途中、町並みを通過する時、鉄道の駅舎らしい建物に遭遇した。 
それは駅名ではなく「下北交通大畑出張所」とあった。
ここは元々JRの「大畑駅」だったところらしい、廃線になって名称を変更したのだろう。 


実は、ここ大畑は、つい最近までは大畑線(下北交通)が走っていたのだ。

以前にも北海道の「戸井町」(現、函館市)のところでも記したが、北海道と本州の最短距離にあるのは、戸井町と大間町である。
戦前、この区間に軍事的な目的を主に、国策として青函航路の代替航路を決定していた。 
その為に北海道側は函館-戸井間、そして本州側はむつ市から大間を目指すべく、鉄道建設を急いでいた。 そんな中、1939年に下北―大畑間の路線が先ず開通したのであった。

しかし、戦局の悪化と戦争終了に伴い、大畑―大間の区間は放置、破棄されるに至り、結局この区間のみの短い路線となった。
時は流れ1981年に国鉄の合理化策として廃止を検討されるが、1985年7月に下北交通が後を引き継いだ。 
その後も赤字体質は一向に改善せず下北交通大畑線は、2001年の3月31日を最後に廃止されるに至ったのだ。

下北交通は元々バスが本業であったため、自社によるバス代替運行に戻したのである。



大畑川沿いを上流へ行くほどに、深山幽谷の雰囲気が益々濃くなる。

進路を延ばすと、左に「恐山」(おそれさん)という方角の分岐があった。 
どうやらこの辺りが薬研温泉といわれる地域らしいが、温泉街などという状況では全くなく、鬱蒼とした森の中にあっておよそ建物も見当たらない、
僅かに、一軒のホテルが右に見えてきた程度であり、旅荘が2~3軒といった秘湯の里であった。

目的地は未だ先のようで・・、更にその奥の奥薬研(おくやげん)へ向かう。

大畑川・薬研渓流に沿って2km程で、どうやら目的地の奥薬研温泉の「かっぱの湯」へ着いたようだ。
野放しのかなり広い駐車場があり、川岸への降り口に案内板があって坂を下りて行くと、渓流の岸に大きな露天風呂があった。 
無論、混浴の広い天然温泉の露天風呂で、着替え用に御体裁の如くの小さな小屋があるのみ。

周りは鬱蒼とした緑と沢の音が一層雰囲気を出している。 


中年のおじさんと若いカップルが一組・・(とはいっても女性は足湯三昧だが)が御入浴中だった。こちら老境のジジイは、委細構わず浸かるのであるが、露天風呂の底は緑色の藻が一面に張り付いていてすこし滑るが、実に何とも気持ちのいい自然湯である。 
広い湯船は20人以上の人が入浴しててもゆったり浸かれるだろう。

すぐ下の渓流が清清しく、川からの風も心地よい、時間が経つのも忘れてしまいそうである。 

気がつけば、浴槽の上流側で源泉が流れ込んでいるので結構熱いが、中程よりは快適であり、紅葉の時期は最高だろうな実感する・・!!、 
この雰囲気だと泉質などはどうでもよい。 

聞くところ、この湯は営林署管轄、管理しているとか。


混浴の「かっぱの湯」が恥ずかしい人には更に200mほど歩いたところに、土産物やレストランのあるログハウス風の建物に「夫婦かっぱの湯」があるらしい。 
何でも、あちらはしっかりと男女別になっていて、一見売店で入浴料金を払わなければいけないの?と思ってしたが、実は、そちらも無料であるとのこと。


ヒバの原生林に囲まれた温泉で「薬研」の名は、湯の湧き出ているところが漢方薬を作る薬研という道具に似ていることから付けられたとされている。
「薬研渓谷」は新緑や紅葉の美しい景勝地でもある。この渓谷に沿って、否、渓谷の中に野天風呂はある、ここは 無論、男も女もない。 


開湯の伝説は、「恐山」を開いた慈覚大師が、奥薬研を訪れた時にケガをしてしまって、川原で困っていると、フキの葉をかぶった河童が現れて大師を助けたという。
河童に運ばれ、奥薬研の湯に浸かり、気がついた時は傷は癒えていたという。 
大師は感激して「河童の湯」と名付けたそうである。

伝説の河童は奥薬研のシンボルになり、河童の像が湯船の縁に座している。
泉質は無色透明の単純泉で、疲労回復、胃腸病、神経衰弱、婦人病、皮膚病、リウマチなどに効果があるとされている。

こちらはかつて、テレビ朝日の「ニュースステーション」と言う番組で、紅葉中継をしていた名所でもあり、1971年、 厚生省告示第55号により、国民保養温泉地に指定されている。


次回は「恐山」





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01. 15.

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