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2011年8月6日土曜日

日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島」

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 日本周遊紀行(158) 桜島 「火山島・桜島」   ,





写真:有村溶岩展望所よりの「さくらじま」



垂水から桜島へ渡る時、「早崎」なのに「早咲」と命名したのは何故・・? ,

油津、南郷、志布志を経て、小生が昨日辿った道を逆方向へ進み、垂水から向かうは火山島・「桜島」である。

途中、きのう見過ごした都井岬へ寄ろうと提案したが、時間の都合上やはり素通りすることにした。 
串間辺りの220号沿線には「大黒」という大きな看板が目立つ。 
ホテルや温泉施設、式場等の広告看板であろうが、たぶん“だいこく”と読むんだろうけど、我々はどうしても“おおぐろ”と読んでしまうのである。 
車中は、次にサッカーの話で盛り上がる、一昨夜、W杯のアジア地区最終予選で北朝鮮との決勝戦で、「大黒」が決定的と思えるゴールを決めたからである。


志布志、串良から鹿屋の錦江湾へ出た。 
既に海上から錦港湾に浮かぶ桜島が見え隠れしている。
垂水の変哲もない市街地を通り抜けると、海岸に沿って家並が続く、所々に廃隧道や線路跡らしきものが望める。 
そう、克っての国鉄大隈線の跡であった名残である。 

先にも記したが、大隅線は志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、国鉄の鉄道路線である。 
国鉄再建の特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された鉄路で、志布志から大隈半島を横断して古江から錦江湾沿いを北上して国分に到っていた。


海潟(あいかた)温泉は錦江湾、桜島を望む温泉宿数軒の鄙びた温泉地であるが、泉温は大隅半島唯一の高温温泉で46~52度の天然温泉で地域の人たちの人気が高いという。 

和田辺りまで来ると桜島がチラホラ見えているので、思い切って和田の海潟の波止場へ出てみた。
案の定、忽然と煙たなびく桜島が海上に浮かぶように現れた。 実に迫力あるポイントである。 
もしかしたら、この地が桜島のビュウポイント・ナンバーワンではなかろうか・・?、
おまけに、波止場岸壁のすぐ横には、懐かしい「江乃島」がこんもりと浮かぶ、実に気が和む風景であった。

いよいよ桜島へ向かう。
国道220号の垂水市海潟~牛根間は「早咲大橋」いう海岸海上の大橋を渡る。 
それにしても、右岸は急斜面の山肌が迫り、周囲の風景と相まって中々美事な橋である。 

なんでも右手の早崎山・火山が噴火の時、火山岩や火砕流が錦江湾に向かった流れた際、急激に冷されて急な崖になったところらしい。 

山裾にはかって旧道があったらしいが、過去の集中豪雨や台風の異常気象時に土砂災害を多く受けて、その度に斜面崩壊が発生して交通が途絶遮断した。
そのために、早咲大橋を急遽、建設、開通させたという。

ところで、「早崎」なのに「早咲」と命名したことは何故・・?、
役所の職員に、そそっかしい人がいて正式書類に早崎を早咲と書き込んでしまい、それが認可されてしまった・・?、
などど邪推するが、定かでない。 

全長は888mと実にキリが良い・・!、

この数値には懐かしい思い出がある。小生20代前半の頃、実家である田舎町(いわき市湯本)に、888(ぱぱや)という名称の小奇麗な飲み屋(昔のバー)があり、そこのホステスと相思相愛・・?の仲に成ってしまったのである。(これは余計)


渡りきると鹿児島市桜島町である。 
桜島は、今でも活発な火山活動を続けているのは周知だが、1914年(大正3年)の大噴火の際、桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡が溶岩で埋まり、大隅半島が今のように陸続きになったという。
現在の垂水市であり、その市境を戸柱鼻という。


ここからは国道224号線になり、斜面の山肌は特有のゴツゴツした火山岩で覆うわれていて、別称、溶岩道路(Lava Road)の名が付いている。 
桜島が陸続きとなった戸柱鼻から2キロくらのところに「有村展望所」があり、道の内陸側に駐車場、みやげ物屋が数軒並んでいる。 

展望所は、1946年(昭和21年)の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘にあり、正面に桜島本山を始め、360度に広がる眺めである。 
全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道の途中にあり、世界的活火山「桜島」の迫力と錦江湾を手にとるように望むことができる。 

東屋のある展望所は三か所あり、周辺は溶岩石や火山砂といった荒涼とした風景が広がっている。 
溶岩地帯は遊歩道を散策でき、徒歩5分~20分くらいで、時間に合わせて自由にコースを設定できる。 
桜島山を正面に望める溶岩原の中に、「霧島・屋久国立公園・さくらじま」と標板が立ち、撮影ポイントを示しているのだろう・。 


「桜島」(桜島町)は鹿児島県の自治体として、町制施行30年余を経過しているが、平成16年11月1日に1市5町(鹿児島市、吉田町、桜島町、喜入町、松元町及び郡山町)と市町村合併を行うこととなり、新鹿児島市として発足、その長い歴史に幕をとじている。

桜島は、鹿児島市の東方わずか約4km先、鹿児島湾(錦江湾)上に位置し、現在も活動を続けている活火山がこの半島を形成している。 

整った山容を静かな錦江湾に浮かべ、湾に面する各地域から眺められる秀麗な姿は、全国に例を見ない景観でもあり鹿児島県民の心の拠り所であろう。


桜島の大部分を構成する「御岳」と呼ばれる山岳は、山頂部分が南北に並ぶ北岳、中岳、南岳から成り、山腹部分にに多くの側火山を配している。
山裾が海まで伸びているため平地はほとんどないが、北西部と南西部の海岸沿いに比較的なだらかな斜面があり、農地として利用されている。

山(桜島火山島)の大きさは、周囲55キロメートル、最高峰・北岳の高さ1117mで、円錐形の上半分が切断された半コニーデ式の火山である。 

外周する道路は、北部は県道26号(桜島口=袴腰~早咲大橋)と南部の国道224号で、国道は島内だけの僅か14km足らずの短い路線であり、袴腰-赤水の2キロ余は一直線に駆け抜ける「溶岩直線道路」と言われ、桜島避難道路としても使用されている。 
海側を通っていた従来の国道は観光用道路として残されている。


引き続き、火山島・「桜島




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2011年8月5日金曜日

日本周遊紀行(157) 宮崎 「天孫降臨の地」

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 日本周遊紀行(157) 宮崎 「天孫降臨の地」   .



天孫降臨の地、両・高千穂は譲らない・・!? 、

油津付近の展望の良い休憩地で一服しながら、地元の焼酎、銘柄は何と「天孫降臨」というのが有るのに気が付いた。 
500mlを1瓶、記念に購入したが、記念といっても飲んでしまえばすぐ無くなるのだが。 

天孫降臨」の銘柄の由来は勿論、アマテラスの御孫(天孫)の「ニニギ」御一行様が日向の国の「高千穂」に御降臨されたことに由来している。 



再び、その「天孫降臨」の事であるが・・、
降臨したのは高千穂とあるが、ただ、その高千穂は宮崎県、鹿児島県と両方に在り、両・高千穂の本家争いにまで発展しているともいう。 

先ず、鹿児島は霧島山系の「高千穂峰」であるとの主張している。
その理由は日本書紀に「日向の襲(熊襲・隼人)の高千穂峰・・」と書かれていることに由来し、襲は大隈地方のことであって、更に、降臨された山頂には青銅の「天の逆鉾(さかほこ)」があると記されている。 
現に、大相撲の井筒親方は鹿児島出身で現役時は、これに因んで「逆鉾」(さかほこ)というシコナを付けている。 

これに対して宮崎は「高千穂町」であるとしている。 
ニニギノミコトは稲穂の神様のことであり、稲作農業の象徴とされる。
つまり、降臨したのは火山灰(薩摩地方)が積もるような所ではなく、稲作に適した高千穂町であるとしている。 


宮崎県、鹿児島県との本家争いはさておき、そも、「高千穂」という地名の起こりは、ニニギがこの地に降臨するとき千本の稲穂をつみ、その(もみ)をしごいて蒔いたとことから「千穂」というようになり、その上にニニギノミコトの尊さを意味する「高」の字を付けて「高千穂」と呼ぶようになったと言われている。


高千穂町」は九州山脈のほぼ中央部、宮崎県の最北端に位置し、町の中心部を五ヶ瀬川が西北から南東にかけて貫流し、途中、名勝・天然記念物「高千穂峡」が神秘的に創出している。 

この地は、天孫降臨や天の岩戸開き、などの神話の高千穂町としても知られ、その起源は古く、古代遺跡の発掘や多くの出土品等の遺物により、紀元前4世紀頃から既に集落が作られたという史実もある。  

又、神代の神社も多く在り、 高千穂神社は創建はおよそ1800年前といわれ日向三代の神々と神武天皇の御兄君を祀っている。 

神話を今に伝える「天岩戸神社」もあり、天照大神がお隠れになった天岩屋戸が御神体とされ、近くには岩戸開きの“ご神議”が開かれた「天安河原」もある。 
高天原遙拝所、天孫降臨後に神々がこの丘に集い、天上の高天原を遙拝したと伝えられている。 
くしふる神社や荒立神社といった、神話史跡や古代神々にまつわる社宮や史跡も多い。
しかも、高千穂町の東方の北川町には、日向の海を見下ろす可愛山に、ニニギの墓地とされる「可愛山稜」が鎮座しているのである。


又、宮崎の北方、西都市にはニニギに纏わる(まつわる)、都萬(つま)神社というのが鎮座している。
降臨の後、尊(ニニギ・天の神)と美しい姫・コナハナサクヤ(国津神の大山祗神・オオヤマツミ=地の神の娘)が結ばれる。 

この二神の結婚の儀式は、日本最初の正式な結婚式といわれ、その式と新婚生活の場となったのがこの「都萬神社」と伝えられている。 

日向三代の神話における最初のクライマックスは「天と地の統合」である。 
因みに、媛・コナハナサクヤは、「酒解子神」(さかどきこがみ)という別名を持ち、酒造りの神様としても、この社に祀られている。 

媛が自分の子供を育てるのに自分の乳だけでは足りずに甘酒を作って三つ子の子供たちに与えたといい、銘柄は「甘甜酒(あまのたむざけ)」というのが日本最初の酒と言われる。 
天孫降臨の地は、日本の清酒発祥の地であり、地元の銘柄に「天孫降臨」とあるのは納得である。



西都市は宮崎県中部の市域で、往時は日向国府の所在地であり、その市街地西方に「西都原(サイトバル)古墳」という古墳群もある。 
古墳とは、高く土盛りした古代の墳墓のことで、日本での多くは当時の王や豪族ら有力者の墓とされている。 

宮崎は古代「日向の国」とよばれた。 そして、この地は「神話と伝説のふるさと」ともいわれ、古事記や日本書紀にも多く記され、日向神話をはじめ、数多くの伝説や史跡があふれている。 

西都」はその日向の中心地であり、多くの神話や伝説が伝わっている地でもあるが、実質、「古墳」という形で現代までその史跡が残されているのである。 


日本には時代区分に云う「古墳時代」というのもあり、今からおよそ1700年前の弥生時代が終わった3世紀末~7世紀末頃までの凡そ400年間いい、巨大な墓づくりが行われた時代である。 

異例なのが、弥生時代(中期ごろ)にも墳丘墓(ふんきゅうぼ)と呼ばれる大きな墓がつくられ、各地域ごとに、形もいろいろと独自につくられたらしいが、古墳時代になり、全国的に共通した形と内容を持つ古墳が造られたという。

西都原一帯に色濃く残されている西都原古墳群は、300基もの古墳の存在が確認されていて、
古代から相当な規模の国がこの地にあったと思われている。 
その古墳の大部分はいまだ発掘されないまま、多くの謎を秘めて千数百年もの時を眠り続けているという。
この古墳群の中で最大級の二つの古墳「男狭穂塚(おさほづか)」と「女狭穂塚(めさほづか)」というのが在り、この墳墓は、ニニギとコノハナサクヤの夫婦の墓とも伝えられている。


次回は、再び「桜島




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2011年8月4日木曜日

日本周遊紀行(157) 宮崎 「神話と古代史」

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 日本周遊紀行(157) 宮崎 「神話と古代史」   .




「くだらない」の語源は、「百済のではない」からきていると言われる・・?・、



山彦・海彦の神話
日本神話と日本の古代史とは、かなりの関連性があるのは必定であろう。
例えば、「山幸彦・海幸彦」の神話は、日本神話の天孫民族と隼人族(九州においての土着先住民)との闘争を重ね合わせたものとも考えられ。 
又、童話の浦島太郎との共通点も多く、民族学的にいえば南方渡来系民族の伝承に、この様な話が多いそうである。 


日本人は中国大陸から渡来したモンゴル系の北方民族と、南方の太平洋に浮かぶ島々から渡来した民族が融合した民族であるといわれているが、この神話はまさにそれを象徴しているといわれる。 
即ち、大陸系の民族の象徴が山幸彦であり、南方系の民族の象徴が海幸彦であるという。

又、同様なことは、日本人の祖神とされるイザナキとイザナミにもいわれ、イザナキが大陸系でイザナミは南方系であると、二組の共通するところは海幸彦もイザナミも、早い段階で姿を消してしまうのである。 

すぐれた文明である青銅器・鉄器製造と稲作の技術をもった大陸系の民族がしだいに南方系の民族を従えて、やがては大和朝廷の成立に繋がっていくのである。


他にも「山彦と海彦の物語」は、いろいろな象徴が込められているともいう。
端的なのが弟の「山幸彦」が天孫系の北方渡来系であり、やがて日本を支配してゆく大和朝廷のことである。
一方、兄の「海幸彦」は南部九州の土着民、南方渡来系の隼人族の熊襲であり、朝廷に対して大規模な抵抗を見せる。 

この時、朝廷側から「日本武尊」を九州へ遠征させ、熊襲を征したことでもしられる。
史実では、朝廷から大伴旅人を大将とする軍が派遣され鎮圧されたとある。
その後、隼人族やクマソは中央政権(大和朝廷)に組み込まれてゆくことになる。



一般に言われていることは、日本民族は特に九州地方では、先ず。東南アジア系の南方系民族が渡来して「隼人」を形成したとされ、(縄文人、縄文文化)次に、モンゴル、中国、朝鮮半島の北方民族の移民団が新しい技術を持って渡来し、次第に縄文人と融合し、或いは駆逐して弥生文化を広め、最終的には半島から、百済や任那諸国の多くの遺民が日本へ渡ってくることになる。(白村江の戦い)

因みに、「くだらない」の語源は、「百済ではない」からきていると言われる。

当時、百済のものは、進んだ大陸ブランドとして扱われていたそうで、百済以外のものは価値がないと思われ、「百済ではない」ものは、「くだらない」とされた。


朝鮮半島における「百済」の建国神話には日本神話同様、ふたりの兄弟が登場するという。 
神話上の兄弟、海と山の栄枯盛衰の物語で、日本の神話の「海彦・山彦物語」に共通する。 百済を建国したのは弟のほうで、兄は自殺したとも言われる。 しかし、この時、兄は、百済を南下して朝鮮半島南部に下り、日本までやってきたのではないかとも・・?。 


日本における北方渡来人の元祖は百済系の人々といわれる。 
日本の山幸彦の別名は、古事記には火遠理命(ホオリノミコト)であり、日本書紀においては彦火火出見尊(ホホデミ)となっている。 

その山幸彦の子が神武天皇であり、大和朝廷にもつながることになる。 
これらの神話は古代史の想像の域をでないが、一方、その謎を解く鍵を秘めているとも云われる。


神話とは単なる「お話」ではなく、古代の人の考え方やものの見方を反映したものだという考え方があり、何よりも実際に起こったことを、現代とは異なる「古代人の眼」を通して語ったに相違はない。


ところで日本の神話は、主に大きく分けて「四つの神話群」から成り立っているとされている。
その神話の母体となっているのが「古事記」であり「日本書紀」であるが、両、歴史書は小さい相違はあるが大筋では大体同じであるという。 

その神話体系には四つの神話群があり其々、「国生み神話」、「高天原神話」、「出雲神話」、「日向(ひむか)神話」が主に登場する。 
これら物語の重要なポイントとなる場所は、現在でも色んな形で存在し、語られて、そして、そこに多種多様な神々が登場する。 



我々日本人は信仰の有無にかかわらず、神社に初詣でに出かけたり、建物の新・改築の際には殆どが地鎮祭やお祓いを催す。 
我々、日本人の生活の中には通常は意識しないまでも、神々との接点は現代生活の中でも断たれていない。 

お祓いや御祈りをするとき、これらの古代の神々の何れかを御参りすりことになる。 そして、我々の祖先から受け継いでいる、これら古代の神々に必ず行き当たるのである。
我々日本人には、神話世界の神々が常に付いて回っているのに、今更ながらに思い至るのである。


一方、現実的な冷めた見方もあるようで・・! 、
日本神話である古事記や日本書紀は八世紀頃、朝廷(主に天武天皇)が命じて歴史書を編纂し、文字に残した物といわれる。 

それは、天皇位をめぐる戦乱である「壬申の乱」(672年)以降、即位した天武天皇が自らの正統性を示すため、国史の製作を発足したといわれる。

時の権力者が歴史に名を残すために、自伝書や歴史書などを記し、後に残すということはよくあることで、そこには必ず政治的な意図が含むのは当然である。 

その目的は主に、自らが権力の座を射止めるまでに汚してきた手を洗い流す事でもあり、自らの正当性を主張する事でもある。 
しかし、それは併せて国体を維持確立し、天皇制を堅持することでもあった。

全体を通して編纂に当ったのは、「藤原不比等」(飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家、天智天皇の寵臣)である。 

不比等は藤原鎌足(飛鳥時代の中枢政治家で藤原氏の始祖)の次男で、天武王朝の基礎を築きあげた張本人であり、古事記・日本書紀の編纂、律令制度の導入、平城京の建設、神道の導入など奈良の大仏建設(聖武天皇)以前の天武王朝の仕事をすべて遂行した人でもあるとされる。

そして、「日本社会」の原型を作ったのは、藤原不比等ともいわれる。


伊勢神宮の祭神・天照大神(アマテラス)は、日本でもっとも貴い神と信じられているが、これは藤原不比等が女帝・持統天皇(天武天皇の妻、皇后)を、そのまま皇祖神に仕立て上げ、祭り上げたものだとも云われる。 

神話の中でアマテラスは子ではなく、孫のニニギ(持統天皇の孫・軽皇子・かるのみこ、後の文武天皇)を地上界に降ろして王にしようとしたとあるが(天孫降臨)、これは、そっくりそのまま持統天皇系統の生涯に当てはまってしまいともいう。

『 春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 
              衣ほすてふ 天の香具山 』 (万葉集・第一巻)

あまりにも有名な持統天皇の一句である。


持統天皇は、天武天皇の遺業を受け継ぎ、中央集権の国家の体制をつくりあげた。 そして、大和朝廷までの「倭・わ」という国名を改めて、「日本」という国号を新たに使い始めたのもこの時期であり、西暦690年、伊勢神宮の第一回の式年遷宮を行ったことでも知られる。


次回は、「高千穂




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2011年8月2日火曜日

日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系」(2)

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 日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系」(2)  ,



イザナキ、イザナミからイワレヒコ(神武天皇)までの「神々の譜系」




ニニギの降臨からカムヤマトイワレビコ(神武天皇)の誕生まで・・! 、

天孫降臨から神武東征まで 、
高天原ではアマテラスの子のアメノオシホミミ(天忍穂耳尊:英彦山神宮・福岡県)に子供が生まれ、その子である「ニニギノミコト」(瓊瓊杵尊:川内市・新田神社、霧島神宮)は、下界を治めるためにサルタヒコ(猿田彦大神:道祖神の祖とも言われる)の先導によって高天原から筑紫(古代九州の総称)の高千穂の峰に天降った。 

この時、アマテラスはニニギに御守の宝物である「三種の神器」(皇位の宝標として歴代の天皇が受け継いできている三つの宝物、すなわち八咫鏡(ヤタノカガミ)、天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)、八尺瓊曲玉(ヤサカニノマガタマ)を授けた。 


天降った後ニニギは、オオヤマズミの娘・コノハナノサクヤヒメ(木花之開耶姫:富士山の霊神、浅間神社の祭神))と結婚し、ホデリノミコト(火照命)とホオリノミコト(火遠理命)、つまり海で魚をとるのに長じた「海幸彦」(うみひこ)と、山での獲物の狩りに長けた「山幸彦」(やまひこ:青島神社、鹿児島神宮)を生む。 

成長した山幸彦は兄の仕事をしてみたくなり、海幸彦に頼んで狩りと釣りの道具を交換する。しかし、弟は釣り針を魚に獲られて無くしてしまい、自分の剣を砕いて1000本もの釣り針をつくって返そうとしたが、兄は赦さず、無くした釣り針を返せという。 

困りはてた弟の前にシオヅチノカミ(塩椎神:海神・青島神社)という老人が現れて、海神(ワタツミ)の宮殿へ行って相談する事をアドバイスする。 

いわれるままに亀の背中に乗って海神の宮殿を訪ねた。(浦島太郎伝説、鵜戸神宮の「亀岩」がそれである) 
宮殿についた山幸彦はトヨタマヒメに出会い、親しくなって結婚する。 
妊娠したトヨタマヒメ(豊玉姫:海神の娘・乙姫さん、青島神社)は子供を生むために海からやってくる。

この時、山幸彦は鵜(う)の羽で屋根をふいた産屋をつくった。 
妻は生まれたままの姿になって出産するから絶対に見るなと頼むが、不思議に思った夫はつい覗いて見てしまう。
すると、妻は大きなワニの姿になって陣痛に耐えていた。 
恥ずかしさのあまりトヨタマヒメは生まれたばかりのウガヤフキアエズ(鵜葦草葦不合命:鵜戸神宮)を残したまま、海に帰ってしまう。

しかし、夫や子供への恋しい気持ちからトヨタマヒメは、妹のタマヨリヒメ(玉依毘売命、玉依姫尊)を地上に遣わす。

やがてウガヤフキアエズとタマヨリヒメは結婚し、二人からは四人の子供が生まれ、その末の弟がワカミケヌノミコト(若御毛沼尊・神日本磐余彦火火出見尊:カムヤマトイワレビコホホデミ)といわれる後の神武天皇(橿原神宮・宮崎神宮)で、日本の初代天皇として即位することになる。


即位した神武天皇は 、
日向の高千穂宮にいたカムヤマト(神武天皇)は、大八島(日本国)の政事(まつりごと・政治)を行うのに適した場所を何処か・・?と相談して、その結果、「青山をめぐらす東方の地」(近畿地方)を決定し、そこを目指すことになって長い旅・東征の戦いが始まるのである。

日向の美々津(日向市)の湊を出発したカムヤマトは、軍船で瀬戸内海を進み、河内の白肩津(しらかたのつ)に上陸、そのまま生駒山を越えて大和に入ろうとしたところ、その土地の豪族の激しい抵抗にあって進むことができなかった。 

そのため、まっすぐ進むのをあきらめ、紀伊半島へ迂回して熊野から吉野を経て大和に入り、先ず大和の国の平定に成功する。

この後、カムヤマトは辛酉(しんゆう・干支。エトの一つ、かのととり)の年の正月一日に大和・橿原宮(畝傍・橿原神宮)を興し、この地で即位して初代天皇である「神武天皇」になったというわけである。 
即位の年は紀元前660年とされている。(紀元元年・紀元節) 


浦島太郞』 幼年唱歌(明治33年)
むかしむかし 浦島は
助けたかめに 連れられて
りゅうぐう城へ 来て見れば
絵にもかけない 美つくしさ

おとひめ様の ごちそうに
たいやひらめの 舞踊り
ただ珍しく 面白く
月日のたつのも 夢のうち


紀元節の歌』 小学唱歌 明治25年 高崎正風
雲にそびゆる 高千穂の 
高根おろしに 草も木も 
なびきふしけん 大御代を 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ

空に輝く 日の本の 
万の国に たぐいなき 
国のみはしら たてし世を 
仰ぐ今日こそ 楽しけれ


次回は、私観・「神話と古代史




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2011年8月1日月曜日

日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系」(1)

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 日本周遊紀行(157) 宮崎 「神代の譜系」(1)   、




日本神話における神々の譜系と天孫降臨・・ 、

宮崎の特異な海岸に鎮座する「青島神社」や「鵜戸神宮」を参拝するに及んで、この神宮の主祭神が「天津日高彦火火出見命」(あまつひだかひこほほでみのみこと)や「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊」(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)という、通常、神社の祭神としては聞きなれない神が祀ってあり、この神が日本の神代時代の神々であることに改めて知ることになる。

元より、日向・宮崎は日本の祖神である神々が降り立ったところであり、所謂、「天孫降臨」の地であることはおぼろげながら知ってはいたが・・?。


ここで「神武天皇」以前の日本の主要な神々、宮崎を中心としたを「日本の神話」に登場する神々を掻い摘んで取りまとめてみた。 

日本神話の大元は、大化の改新以降の奈良期にまとめられた「古事記」(712年頃)や「日本書紀」(720年頃)、それに、各地方の風土記である常陸(ひたち)、播磨(はりま)、出雲(いずも)、豊後(ぶんご)、肥前(びぜん)などの伝承を記した資料などで形づくられている。 

資料によって、例えば「古事記」と「日本書紀」とでは、神名や物語が若干の異りもするが、ここでは「古事記」の物語から日本神話の概略をたどってみた。


先ず、中国の神話において、天地創造・誕生のことを「天地開闢」(てんちかいびゃく)と称して初めて登場してくる。 

それによると、天地の姿形をなす前の全ては、卵の中身のようにドロドロと混沌としていた。その中に主人公となる盤古(創生神)という神が生まれた。
盤古が死ぬと、その死体からは山や平地がうまれ、体の主要部分は太陽に、月に、海に、草木に、川に、風に、雷になったとされている。 

古代人にとって、自分達の世界がどこから生まれたか、そして、自分達はどのようにして生まれてきたのか・・?、このことは大きな問題であった。 


日本の古事記や日本書紀との間では、物語の内容は若干異なるが、最初の部分の世界誕生の頃は、ある意味で共通している物語となっている。
日本でも中国の思想に倣って天地創造は「天地開闢」とし、それは天地に代表される世界が初めて生まれた時のことを示している。 


太古の昔は天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあったとし。
しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となったという。
そして、その中から、神が生まれるのである。


この頃、日本付近の天上界に「高天原」(たかまがはら)が誕生する。
一般に、地上の人間が住む世界を「豊葦原之中津国」(とよあしはらのなかつくに)といい、地中にあるとされる根の国・黄泉の国(よみのくに)に対し、一般に天上にあると考えられているのが高天原といわれる。 

日本の神々が最初に生まれたのが高天原とされ、先ず、別天津神(ことあまつがみ:三柱の神々)があらわれ、その後に神世七代(七柱の神々)という神々が生まれた。

これらの神は、始めのうちは未だ性別のない神々であったが、その後の三代目辺りから男女の別性のある神々、即ち、男女一対の神たちが生まれ登場することとなる。
これまでの神々の総称を「根源神」と一般に言われる。

これらの神々である根源神の最後に生まれてきたのが、二人の兄妹神である「伊邪那岐・イザナキ」、「伊邪那美・イザナミ」であった。 


イザナキとイザナミが海の水をかき混ぜると「オノゴロジマ」(天界と下界を結ぶ島)ができ、二人はその島におりて結婚し夫婦となって、日本列島である大小八つの島を生む(大八島)ことになる。 

主な国生みが終わると岩石や土、海(オオワタツミ・大綿津見神)、風、木、山(オオヤマツミ・大山津見神)、野、船、穀物などの神々を次々と生んでいった。 
しかし、イザナミは、最後にヒノカグツチノカミ(火之迦具土神:火の神の意味)を生むときに死んでしまう。 

イザナキは、イザナミが死の際に行ったとされる地底の黄泉国(よみのくに:死者の国)へ訪ねていくが、しかし、イザナミの身体は既に腐敗し、すでにウジにたかられていた。 
イザナミのそんな死体を見てしまったことで、イザナきは怖くなって逃げ帰る。 

生還したイザナキは、身を清めるための「」(みそぎ:身に罪または穢れのある時や重大な神事などに従う前に、川や海で身を洗い清めること)をすると、次々と神々が生まれ、最後に左目をあらうと、高天原をおさめる「アマテラスオオミカミ」(天照大神・伊勢神宮)、右目をあらうと夜の国をおさめる「ツキヨミノミコト」(月読命)、鼻をあらうと海原をおさめる「スサノオノミコト」(須佐之男尊・素戔嗚尊)が生まれた。 


これら四兄弟神の内の「スサノオ」はやんちゃで、悪戯好きで、悪行が重なったため、怒ったアマテラスは悲しみのため天上の岩窟「天の岩屋」へ身を隠してしまった。
すると、天上も下界も真っ暗闇になり悪神が横行した。 

八百万(やおよろず)の神々は相談し、天の岩屋戸の前でお祭り騒ぎをはじめ、代表して「アメノウズメノミコト」 (天宇受売命)が素っ裸で踊りの舞を見せると、何事かとアマテラスは岩屋は開き、天地に再び光明が訪れる。

そして、悪戯者のスサノオは高天原を追放され、出雲国(現、島根県)に流される。 
ここで、スサノオによって出雲の国造りが行はれ、そのかたわら「ヤマタノオロチ」(八俣の大蛇)などの伝説に繋がる。

次にスサノオの子、又は孫とされる「オオクニヌシノミコト」(大国主命・出雲大社)は、スサノオから授かった太刀と弓をもって出雲に戻り、悪い兄弟たちを追い払い、スクナビコナノミコト(少彦名命)やオオモノヌシノカミ(大物主神:オオクニヌシ本神説とされる)らの力を得て国造りに勤しみ栄えさせていくのである。(出雲地方:出雲風土記にて後述予定)


次回は、「天孫降臨




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