日本周遊紀行(118)銚子 「醤油と鰯と天保水滸伝」
犬吠崎灯台
賑やかな町、「醤油と鰯と天保水滸伝」の銚子・・、
銚子の街から犬吠崎へ向かう。
市街地より河口付近の岬へ向かったら、そこは銚子ポートタワーが朝靄の上空へ向かって天を指していた。
高さ57mのツインタワー構造で、雄大な太平洋と大利根の河口の景観を楽しめるというが、今時は、まだ開館していない。
君ヶ浜の美景を眺めながら、次に白亜の犬吠崎灯台へ着いた。
所謂、ここが「銚子っぱずれ」の地であろう。
レンガ造りの建築物としては日本一の高塔(31m)だそうで、発光輝度も日本一の灯台らしい。
「世界の歴史的灯台100選」に選ばれている。
ここは関東最東端の地で、緯度と経度の関係から富士山頂・離島を除き日本で一番早く初日の出を拝めるところである。
正月元日には「初日の出」を拝もうと、周辺各地からマイカーが押し寄せ、周辺道路は渋滞となって、あげくは見損なうといった笑えぬ事例もあるとか。
ところで銚子は古くから「醤油」の町として知られる。
近世、房総の地へ関西人の移住が盛んになり、江戸中期には紀州から「浜口儀兵衛」が移ってきて、銚子に醤油の醸造を広めたとされる。
その元禄期前後には、銚子の醤油産業が大いに発展したとされている。
銚子の利根川は江戸期、江戸~銚子間の利根水運が開かれ、東北地方の米・物産などを江戸に運ぶ重要な中継港として発展してきたことは、先に述べたが、水運利用の隆盛を背景に、醤油醸造と漁業が飛躍的に伸びたとされている。
醤油の起こりは、元は味噌の製法から発明されたという。
紀州・由良町の僧侶・覚心が修行中の中国から我が国に初めて味噌及びその製法を伝え、味噌の製造過程で溜醤油(たまりじょうゆ)が発生、これを精製したのが醤油といわれる。
醤油は近隣に広まり、後に、隣町である湯浅町の浜口儀兵衛が房総・銚子へ移住して広まったという。
現在は街中にヤマサ醤油工場、ヒゲタ醤油工場が有る。
キッコ-マンの始祖となる茂木家、高梨家が野田で醤油を始めるのは17世紀頃で、銚子より遅れること半世紀たってからであるとか。
関東平野の川筋では、原料となる大豆や小麦、塩が近在で採れ、湿った川風が醤油つくりに適していたと言われる。
材料も、製品も運ぶのには川が活躍し、更に、江戸川の整備が進むと、野田から日本橋までは半日で届いたといわれ、これで野田の醤油も勝機をつかみ今日に至っている。
因みに、醤油を「むらさき」と呼んでいたのは、江戸時代に紫色を珍重する気風があり、同じく似たような色で貴重品であった醤油をそう呼ぶようになったとされているが。
江戸末期には、「イワシ」の大豊漁が続き、大いに沸き立つ中、「大漁祭」が行われるようになった。
その祭のときに歌われたのが「大漁節」で、千葉県を代表する民謡の一つとして知られる。
『正調 大漁節』 千葉県民謡
一つとせ 一番づつに積み立てて 川口押込む大矢声
二つとせ ふたまの沖から外川まで つづいてよせ来る大鰯
三つとせ 皆一同にまねをあげ 通わせ船のにぎやかさ
・ ・・
・ ・・
十とせ 十をかさねて百となる 千をとびこす萬両年
銚子の隣は「飯岡町」である・・、
利根川筋は「東海道」や「上州」と並んで国内でも三大博徒の地と言われている。
この辺りは「鰯」が無際限の獲れるところであり、鰯は食料以外にも畑などの肥料など、その利用価値は多い。
元々が水運の地でもあり、物や金が動く。
こんな場所に彼等は群がり、博徒や親分衆が目を付けつたのである。
そこには特殊な人間関係が生じ、義理や人情と言った風土を作り上げていったのも確かであろう。
時は江戸天保時代、利根川沿いの江戸へ行き交う船で賑わう地域、相模の国の出身「飯岡の助五郎」は、出稼ぎ先の飯岡の漁港で網元として成功し、九十九里の飯岡を根拠に博徒の親分としても下総一帯に勢力を誇っていた。
しかも、博徒でありながら、十手持ちでもあった。
一方、利根川沿いの東庄(とうのしょう)の「笹川の繁蔵」は、代々醤油と酢の醸造で功を成した村きっての物持ちでありながら、笹川の賭場を仕切り、下総一体に勢力を示し笹川一家を張る侠客でもあった。
繁蔵が勢力を増すに従い、助五郎も黙ってはいない。
お互いの勢力範囲が近接している所から、両者の間には小競り合いが続き互いに反目しあっていた。
そして天保年間、飯岡と笹川が遂に大利根河原での果し合いが始まったのである・・!!。
浪曲や講談でお馴染みの御存知・「天保水滸伝」は、飯岡助五郎と笹川繁蔵、二人の侠客の勢力争いの物語である。
浪曲・『天保水滸伝』 玉川勝太郎
♪♪♪・・・♪♪♪・・・♪♪、
利根の川風袂に入れて、月に棹さす高瀬舟
ひとめ関の戸 叩くは川の
水にせかるる 杭などに
恋の八月 大利根月夜
佐原囃子の 音も冴え渡り
葦の葉末に 露おく頃は
飛ぶや、蛍のそこかしこ
潮来あやめの なつかしさ
わたしゃ九十九里 荒浜育ち
と言って鰯の子ではない
義理にゃ強いが 情けにゃ弱い
されば天保十二年、抜けば玉散る長脇差
赤い血抹を しとどに浴びて
飯岡・笹川両身内
名代ならりける 大喧嘩
伝え伝えし 水滸伝
・・・・・・
♪♪♪・・・♪♪♪・・・♪♪、
次回は、九十九里・「伊能忠敬」
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