日本周遊紀行(116)鹿島 「鹿島神宮の要石宮」
鹿島神宮の要石宮
「鹿島神宮」の要石宮について・・、
大鳥居をくぐり、参道をまっすぐに東へ歩くと赤い楼門が構えている。
楼門内、参道の右手に拝殿があり、拝殿の後方に本殿、御神木、鏡石と並ぶ。
更に、参道はまっすぐに奥に延び、突き当たりに奥宮がある。
奥宮から左手へ降りていくと、御手洗池、右手奥へ進むと「要石」(かなめいし)が祀られている。
要石社は、鹿島神宮を地震や津波から除ける神様であることは、余り知られていない・・?、神社参道の最奥に奥宮があり、そこの「要石宮」は地中の鯰(なまず)を押さえている・・、と伝えられ、震災除けの神といわれる。
実際、日本の各地に要石神社があって、震災除けの霊験があると伝えられている。
鹿島市のすぐ南、水郷の地である千葉県香取市香取(佐原市と小見川町、山田町、栗源町が合併して誕生)に香取神宮(かとりじんぐう)が鎮座している。
下総国一宮で、日本全国に約400社ある香取神社の総本社であり、祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)である。
前に紹介した鹿島神宮の武甕槌神と共に日本書紀・古事記にでてくる重要な神で、出雲の国譲りの神話にて日本での支配を古代出雲から大和朝廷(天皇)へ譲るために大変活躍した神である。
この二つ神社に共通しているのが「要石(かなめいし)」である。
この要石は地表に出ている部分はほんの少し(高さ15cm位、直径40cm位)で、地下の部分が非常に大きくけして抜き取ることができないとされ、鹿島側は上部中央部が凹形で香取側は凸形をしているといわれる。
昔、水戸黄門(徳川光圀)が七日七夜掘り続けても底が見える様子がなく、さすがの光圀公もあきらめて作業を中止したといわれており、鹿島神宮の要石と香取神宮の要石は下でつながっているとも言われる。
この石は地震を抑える石であるとしての信仰が続いてきたとされる。
昔から、この地方は地震が多く、これは地中に大なまずがいて暴れるからだと信じられており、鹿島・香取の両神様がこの要石でなまずの頭を釘のように打ち付けて動けなくしているといわれている。
このため、この地方では地震は起きるが大きな被害はないといわれている。
ただ、安政の大地震(1885年10月)では多少の被害が出たという、この時は地震が10月(神無月)であり、鹿島の神様は出雲に出掛けていて留守であったとの話は一応納得である。
『 揺ぐとも よもや抜けじの 要石
鹿島の神の あらん限りは 』
大昔は地震は、地中に住む怪物蟲の仕業であるとの解釈もされていたようで、その蟲がいつのまにか地震を予知できる「なまず」に置き換えて考えられるようになったという伝承もある。
小生の知ってるもう一つに、旧東海道の宿場・沼津の先に「原」の宿が在る。
今の東海道線の原駅近く「千本松原」で有名なところだが、この松原の一角に「要石神社」というのがある。
東海地方を襲った安政の大地震の時、東海、関東地方は地震と津波により大災害を発生させたが、ここ「原の宿場」は地震、津波とも全く無害だったと言われる。
鹿島、原には要石といわれる大岩魁が、地表露出部こそ小さいが地中部では連なっているともいわれる。
昨今、東海、関東地域における地震予測が公表されているが、一度、原の「要石神社」にも、お参りしなくてはと思うが・・。
蛇足ながら・・、
実は小生、西日本周遊の旅に出て間もなく、千本松原のこの千本街道を通っていたが、残念ながら要石神社のことは記憶の外にあってお参りしていなかったのである。
あの時は当地でも名の有る松蔭寺という古刹に立寄ったのであった。 ところで、拙宅の檀家寺は臨済宗妙心寺派で京都の妙心寺に本山を置くが、この禅宗・臨済宗の寺院を起こしたのが当地出身で臨済宗「中興の祖」といわれる「白隠禅師」であり、この地域の原駅近くの「松蔭寺」の出身でもある。
『 駿河には 過ぎたるものが 二つあり
富士のお山と 原の白隠 』
と詠われ慕われている。
当地で生まれ、幼少より聡明で15歳で松蔭寺にて出家、19歳で諸国行脚の旅に出て修行を重ね、やがて五百年に一人の名僧と言われる臨済禅・中興の祖と仰がれる。
明治天皇より「正宗国師」の諡号を送られている。
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