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日本周遊紀行(76)宇和島 「伊予愛媛」 、
写真:宇和島城天守閣
前回の、概ね続きになりますが、「伊予・愛媛」についてです・・、
「愛媛県」という名は明治期、さる伊予人の申請により太政官布告(明治政府)によって決められたという。
先にも記したが、四国について「古事記」がイザナギ、イザナミによって国を生む記述がある。 最初に淡路島を生み、次いで四国を生んだ。 四国については「身一つにして、面(おもて)四つ有り」と記されており、それぞれ男女の人名が命名されている。
讃岐は、男性で飯依比古神(イイヨリヒコ)、
阿波は、女性で大宣都比売神(オオゲツヒメ)、この神は食べ物の神で鼻、口、そして大きなお尻から食べ物を取り出してご馳走を作る不思議な女神という。 大宣(おおげ)とは、大食で、田、畑、食べ物の豊かな土地を意味する。
土佐は男性で建依別神(タケヨリワケ)で、「雄々しい」という意味であり、
そして、伊予は愛比売神(エヒメ)で文字通り、いい女という意味である。
「愛媛」とは随分と粋な名を、県名に付けたもんであると感心してしまうのである。おそらく松山の教養人が担当官に具申して、この様な名前がが採用されたのであろう。
「いい女」という行政区域でこのような愛くるしい名称は、世界中にもないであろう。
話は些か反れるが、小生が若かりし頃、瀬戸内で半年間仕事をしていたことは先に述べたが、この時、宿のお上さんが「四国には讃岐男に阿波女、伊予の女に土佐男という言伝えがあろのよ」という話を真剣になって聞いたものである。
まさか宿のお上が古事記の内容を知って言ってるとは思わないが、いずれにしても2000年余の歴史がここに生きていて、歴史や風土が脈々と現代にまで引き継がれていることは、驚嘆に値するのである。
四国・四県、そして「愛媛県」という、粋な名称は是非残したいもんである・・!!
今回の旅の目的の一つに、その地域の歴史や文化に少しでも触れることであり、市町村の特色を知ることでもある。
合併によって、町村名が消えてなくなることも仕方ないことではあるが、若干でも旧地名を残したいものである。
たとえ消えて無くなってもそれらを記憶し、記録に留めておきたいと希望するものでもある。今回の合併で、消滅した歴史ある地域名については、改めて無念の意を表したいのである。
そして、宇和島である、
旧津島町の中心であった街並みを後にし、長い松尾トンネルを抜けると間もなく宇和島の市外に達した。
港に近い国道56のバイパスから宇和島城を目指して進む。
カーナビや地図上では気が付かなかったが、宇和島の市街地は小さな入り江を成していて三方は山域に囲まれている、そこに築港が拓かれたようである。
その小さな市街地のほぼ中心にコンモリした小山が見えている、どうやら宇和島城は海岸べりに築城した山城のようである。
車に給油しながらお城の様子を伺うと、宇和島城は標高80mの丘に築かれたお城で、石段を登って見物するには小一時間くらいかかるらしい。
夕刻せまり、この先、松山・道後までの道程を思うと、お城見物は断念せざるをえない。
お城は、秀美華麗な現存天守で、姫路城の大天守をひとまわり小さくした感じともいわれる。
「宇和島城」が築かれたのは、関が原の合戦が終了した1601年、当時の領主であり、築城の名手と言われた藤堂高虎(三重県・津市の項で記載あり)の手によるもの。
その後、1614年には奥州の雄・伊達正宗の長子・伊達 秀宗が宇和島の領主となり、二代目藩主伊達宗利の時代に現在の天守閣が築かれている。
秀宗は、豊臣秀吉のもとで元服し、秀吉からの一字と父の字を賜って秀宗と名乗っている。 政宗の長男であったが、わけ合って仙台藩を継がず、徳川家康から関が原参陣の功として伊予宇和島十万石を継ぐこととなり、南海の地に伊達の別家を起こすことになった。
東北の雄とはいいながら、四国の果てまで流れて着たのは前例が無いだろう。
江戸末期から明治期、伊達氏八代藩主・伊達宗城(むねなり)は福井の松平春嶽、土佐の山内容堂とともに幕末の三名君に数えられている。
宗城は三人の中でも最も先見の目があった人物とされ、薩摩の島津斉彬(なりあきら)と並んで西洋事情を取り入れ、地元の近代化に着目、実施したとして知られる。
開化後は、民部卿兼大蔵卿となり鉄道敷設などに尽力、明治4年には天津で日清修好条規に調印するなど、明治維新後の活躍も目覚しいものがあったという。
四国三県、阿波の蜂須賀家、土佐の山内家、伊予の伊達家と戦国時代の各大名が関が原以降、いずれも当時、徳川の外様大名として四国を領有しているのは面白い。
因みに、讃岐・高松は当初は豊臣・生駒家であったが、すぐに、譜代の徳川・松平家が赴任している。
次回は、宇和島・和霊神社
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