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日本周遊紀行(75)愛南 「平成の大合併」 ,
写真:第40番霊場「観自在寺」
愛媛の愛南町という名称は納得であるが、もしかして・・、
国道321号は、ここ宿毛で終点となり、以降は中村(四万十市)から延びてきた国道56号線と合流し乗り入れることになる。 R56号線は高知から到って、松山を結ぶ凡そ300kmの道程である。
松山方面へは、先ずは山中を行くようになるが、一本松の峠トンネルを抜けると高知県から愛媛県へ入ったことになる。
一本松町であるが、実際は新町名「愛南町」というそうで 2004年10月に周辺の4町1村、一本松町、御荘町、城辺町、西海町、内海村が合併して「愛南町」が発足している。
旧一本松町の山中から幾つかのトンネルを抜ける、眼下には土佐とは明らかに違う穏やかな宇和海が広がっている。宿場町といった風情を感じさせる豊田を抜けると御荘町へ出る、清らかな流れの僧都川の北側を行くと、右手にサッカーや高校野球で有名な「南宇和高校」の立派な校舎が目に入った。
間もなく第40番霊場「観自在寺」の山門前に来た。
40番とはいっても伊予・愛媛県の「菩堤の道場」としては第1番目に当たる。
石段を上り山門をくぐると境内 左手に石の多宝塔が見る。正面にはチョットさえないコンクリート造りの本堂、その右手に大師堂が建つ。境内には、十二支を刻んだ石仏が並ぶ。
本尊は衆生の疾病を治癒し、寿命を延ばすと云われる「薬師如来」で、御堂には大師が一木に彫ったという本尊・薬師如来、脇仏に阿弥陀如来、十一面観世音の三体、残りの霊木で舟形の南無阿弥陀仏の名号を刻まれた尊像が安置されているという。
これを「宝判」といい、大師が諸人の病根を除くことを祈願したものといわれ、現在も、この宝判でお陰を受けた人が万病を癒し、特に多く盲目や心臓病が治ったという。
平安初期、平城天皇(へいぜいてんのう)の勅願所として天皇の名に因んで平城山・観自在寺とした。 その後、度々天皇勅使が度々参詣したという。
チョッと変わったところで境内に「栄かえるの石像」があり、石碑に次のように書いてあった。「親・子・孫と三かえる」、「お金かえる」、「福がかえる」、「病気が引き(ひき)かえる」・・と
御荘の街は、比叡山延暦寺ゆかりの荘園であったことから、この地方を御を付けて御荘町(みしょう)と名付けたという。 この先には広大な「御荘公園」があり、一角に珍しい往時の戦闘機「紫電改」が展示してあった。
1979年、付近の久良湾(西海半島の南)の海底で一機の「紫電改」が発見され引き揚げられたという。
大戦中の1945年7月に豊後水道上空で交戦した未帰還機6機の内1機とみられて、機体は回収後に補修・塗装され、日本国内で現存する唯一の実戦機として御荘町の公園に保存・展示されているものという。
「紫電改」(しでんかい)とは、局地戦闘機、紫電(しでん)改良型であることから命名された。局地戦闘機、即ち迎撃戦闘機として、太平洋戦争末期の日本本土防空戦で活躍した。因みに、迎撃に対して攻撃型の戦闘機は零式艦上戦闘機・略して「零戦」といい、日本海軍の主力戦闘機・艦上戦闘機として、日中戦争の途中から太平洋戦争の終わりまで戦い続けた。太平洋戦争初期に連合国の戦闘機を駆逐したことから、主交戦国アメリカから「ゼロファイター」の名で恐れられた。昭和20年3月、呉軍港を襲った米海軍機動部隊のグラマン F6Fヘルキャット戦闘機を主力とする艦上機の大編隊(合計で350機以上と言われる)を、紫電改56機、紫電7機の計63機で迎撃、戦闘機48機・爆撃機4機の合計52機を撃墜し、日本海軍戦闘機隊の有終の美を飾ったというのは、結構、有名な話らしい。
公園の一端に、御荘湾をひとまたぎする海上ロープウェイが、西海半島付け根の山頂まで達している、海上を跨ぐロープウェイも珍しい。
御荘湾は、西海半島を挟んで深い入り江が複雑な形で宇和海へ延びていて、天然良好な港を形成している。 南宇和海のこのあたりは、実に自然豊かな景観を成しているのである。
国道56の宿毛街道を北上する。
津島町に入ったように思えたが、実は平成17年8月1日に、宇和島市・吉田町・三間町・津島町が合併して新しい「宇和島市」が誕生している。
又々、「平成の大合併」について、
先の愛南町といい、新しい宇和島市といい、四国南部の地域も合併が盛んに進んでいるようである。
現今、全国的に「平成の大合併」の時代を迎えていて、全国の市町村は合併によりその姿を大きく変わろうとしている。
現在、小生は全国を周遊している旅の途中であり、その都度、地域々々でカーナビや地図を頼りに巡っている。 それは何れも旧態の地域名なっていて地元に足を踏み入れて、はじめて地域名が変わったのに気がつき困惑してしまう。 又、そのまま気がつかずに通過してしまうときもあり、帰ってきた後、いざ記録を纏める段になって気が付くときもある。 はたまた、そのまま気ずかずに旧来の町村名を本文に記載しているかもしれない。そのような事態は是非ともご容赦願いたい。
序ながら今回の合併について述べておこう。合併には「合併特例法」という法律があって、色々な優遇措置が設けられている。
① 合併特例債(合併に役立つ事柄について借金すれば、国が利息や元本を7割までもってくれる)
② 地方交付税の特例(合併しても今までの市町村の状態での計算方法で地方交付税を算定する)
③ 合併により人口3万人以上となった場合、無条件に「市」になれる、普段は人口が5万人いないと「市」になれない。
一方、いわゆる小泉政権・政策のうち今、「三位一体改革」を進めている。
三位一体(さんみいったい)とは、元々、キリスト教の意味合いからきた言葉で、一般には、三つの要素が互いに結びついていて、本質においては一つであるという意味合いである。 今、政治で言われている三位一体とは、「国庫支出金を減らす」、「税源を地方に移譲する」、そして「地方交付税を見直す」、これらが一体になった地方分権化を勧めるのであり、このため国は地方の合併を勧めているわけである。
元より各地域は、次第に地方交付税が削減され、弱小自治体の財政が逼迫する状況もあって全国津々浦々、合併論議が花盛りとなっている。勿論、合併は直前で破談になることもある。
「合併」には大きく分けて、「編入合併」と「新設合併」がある。
「編入合併」は、いわば会社の吸収合併のようなもので、ある自治体の中に他の自治体が取り込まれる形態を言いう。この場合は、大きな自治体は領域だけ広がり、小さな編入される自治体は姿を消すことになる、「新宇和島市」はこの例であろう。
「新設合併」は、いわば対等合併のようなもので、合併する自治体は全て、いったん消滅し、同時に新しい自治体が立ち上がるという形式になる。「愛南町」がこれに相当すると思われる。
又、一方昨今では、国から地方へ権限を委譲する手段に、もう一つの大きな目標である「道州制」がある。小泉内閣の片隅で話題になっているらしく、首相の諮問機関である「地方制度調査会」というのがあって、これらの機関が北海道をモデルに調査研究し、内閣に答申して国会にまで提出しようとしている・・?。
今の「地方」と呼ばれる九州や中国、四国が、九州道、中国・四国道と言われるようになるヤも知れないのである。四国の由来でも述べたが、この際に「愛媛」という愛着ある名称が、もしかしたら消えるかもしれない・・!
次回、更に「愛媛」について、
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