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日本周遊紀行(72)中村 「四万十川」 ,
写真:四万十川の「遊覧船」;澄んだ水の青さに季節によって顔を変える四万十川、この船で食事やお酒を飲みながら遊覧する。
日本最後の清流と言われる「四万十川」、
「中村市」、とはいっても旧中村市のことで、本年4月に北部・山間地、西土佐村と合併し新市「四万十市」として発足したばかりである。
四万十川の町として知られる土佐中村は、河口よりやや内陸に入った河畔、四万十川と支流河川の中洲に広がる町並みである。
中村の町並みは、15世紀半ばの室町期、朝廷の関白家の一条氏が応仁の乱の混乱を避け、所領であった土佐幡多の荘(現在の中村・四万十市)に京都から下向してきたことから始まる。 一条氏は、雅やかな京都に対する思慕の念から、この土地に京風の町造り、町並み造りを実施し、中村御所(現在は一条神社)を中心に碁盤目状の街並みや祇園神社、東山、鴨川といった地名を残している。
又、前関白という身分の高さもあり一条氏は土佐の人望を集め、国中の豪族もこれに臣従し「中村」は土佐の小京都とも呼ばれるほど、一方ならぬ賑わいを見せたという。
以降、土佐一条氏は新興勢力、長宗我部氏が幡多に侵攻するまで続くことになる。
実は、中村という名称は、長宗我部氏から始まるという。
土佐中村城は、土佐くろしお鉄道の中村駅から西北に3kmのところ古城山とその山麓を占めるところにある。
この城郭は現在、郷土資料館になっているが、当地は昔から交通の要衝であり、かっては、この地方の豪族、為松氏が城を造り居城としていた。 後に、為松氏は土佐国司となった一条家の家老として仕え、為松城は中村御所の詰の城として整備された。中村御所跡はいま中村一條神社となっている。
町並みを過ぎて、四万十川の渡川大橋を渡り、そのまま西側の河畔土手を走る、成る程、その名に聞こえた清流である。
川幅は1kmもあろうか、草生した洲だまりもあるが、広くは流水部が占めて悠々と移流している。 合流河川の所はさらに川幅は広くなり、雄大さを誇る。
河口付近は、巨大な中洲も発達しているようである。
川岸に造形された船着場に、数艘の屋形船が着岸している。
中央の川面に漁であろうか・・?一艘の川船が佇んでいた。 四万十川らしい風景と雰囲気を感じ、思わずシャッターに手が延びた。
川岸に沿って「四万十屋」や「うなぎ」と銘うった数件のドライブインと御土産屋があり、「遊覧船乗り場」の大きな看板も目につく。 各所に四万十川らしい生活景観を厭味無く演出しているのである。
風物詩等テレビでお馴染みであるが、四万十川は特に生活に密着した川である。
古くから独特の漁(りょう)が盛んに行われて、天然ウナギ、ゴリ(ハゼ類の淡水魚、チチブの方言)、ツガネ(モクズガニ)、テナガエビなどの魚介類のほか、青海苔の産地として知られている。
川漁で生計を立てている人が多いことでも、日本有数の河川といえる。
全長196km、吉野川に次ぐ四国第二の川で、本流に大規模なダムなどが建設されていないことから、「日本最後の清流」と呼ばれている。
四万十川には、中上流域、支流も含めて47もの名物・沈下橋(もぐり橋)があり、高知県では生活文化遺産として保存する方針を1993年に決定している。
もぐり橋(潜水橋、潜没橋、潜流橋、沈み橋、潜り橋などともいう)とは、橋の上に欄干が無く、水面からの高さが高くないことが特徴である。
これは、増水時に、橋が水面下に没するようになっており、流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になることを防ぐためでもあるという。
また、壊れても再建が簡単で費用が安いという利点もある。 その構造から建設費が安く抑えられるため山間部や住居の少ない地域など、比較的交通量の少ない地域で生活道路として多く作られた。
しかし現在では山間部でも広い道路や本格的な橋が造られることから徐々に姿を消しつつあるという。
先にも記したが源流部は県内の東津野村(本年・2005・2月、葉山町と合併し津野町として発足している)の布施坂付近で、この辺りの水域は日本名水100選にも選ばれている。 その後、蛇行を繰り返しながら南下し、窪川、大正、十和の町村を西へ移行しながら、更に四万十市(西土佐村、中村市)を潤して南下し、土佐湾に到る。
本流は珍しく、高知一県のみを流れる一級大河川で、一つの都府県のみを流域とする河川としては、山形一県を流れる最上川本流(224km)に次ぐ長さであるとか。
次回は、土佐清水から足摺へ
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