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日本周遊紀行(33)伊勢神宮 「参拝意義と倭姫命」
その昔、西行も、芭蕉も神宮の神を参拝した。
正殿は、白絹の帳(とばり)の向こうに鎮座して、その姿を直接見ることは出来ない。
何故なのであろうか・・?、一般には『 畏れ多く、神様は見るものではなく、感じるもの 』と言われる。
西行が伊勢神宮を参拝したとき詠んだ歌で・・、
『 何ごとの おはしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる 』
又、西行の歌を見た芭蕉も・・、
『 何の木の 花とは知らず 匂いかな 』
と合わせ詠んでいる。
「 神とは目には見えないもであるが、有難いものである 」と言っているのである。
神への参拝は、己の心を写す鏡でもある、とそう思いたい。
そういえば、伊勢神宮の御神体は八咫鏡(やたのかがみ)であった。
これは三種の神器(さんしゅのじんぎ)の一つで、天孫降臨の時に天照大神から授けられたとする鏡であり、「三種」のなかでも最も重要かつ神聖な宝物であるという。
皇祖神である「天照大神の分身」ともされていて、皇室を守護する御神体という意味をももつ。
「鏡」は、装飾された鏡が古代の古墳から出土しているように、霊性を有すると考えられ、「魔境」ともいわれた。 鏡が神話に初めて登場するのは古事記でいう「天の岩戸事件」の時で、岩戸に閉じこもった天照大神が、そっと外の宴を覗いた時に天照大神の顔を写した鏡がこの八咫鏡であった。
この「八咫鏡」は世上を照らす太陽神であり、太陽神は即ち天照大神である・・、
農耕民族である日本人にとっては太陽神・天照大神が天地人民にあまねく与えられる日光は、何よりも大切で敬うものであるとする基本的考え方がある。
いかにして神々をなだめ天候を穏やかにして作物の実りを豊かにするかという問題は、支配者層から一般人民まで身分に関係なく最大の関心事だったはずである。
作物の出来・不出来は生死に直結する大問題であるから、我々現代人が思っている以上に古代人にとって太陽神・天照大神の存在は大きく、その子孫である天皇にたいする畏敬と期待は大きかったと言えるのでは。
日本の歴代天皇が継承している三種の宝物としている中で、剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)で草薙剣(くさなぎのつるぎ)と同義、玉は八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)といわれる。 「三種の神器」については後の機会に詳しく述べる予定です。
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)について、
内宮北方およそ2kmの地(内宮別宮・宇治山田駅近く御幸道路に面す)に内宮・別宮として「倭姫命」が祭られている。
「日本書紀」や「倭姫命世記」(やまとひめのみことのせいき)の記載によると、姫は都のあった大和(やまと=現在の奈良県の辺り)を出発して伊賀、近江、美濃を経て伊勢の国へ巡幸したとある。
当時、国内では疫病がはやり、人々は不安におののいていた。
占いの結果「天照大御神をおまつりする場所を皇居の外に移すほかない」と決心し 、垂仁天皇の時に、皇女の倭姫命が天照大御神の鎮座の地(宮地)を求めるために、重大な決意のもと巡幸の旅に出る。
一行は美濃の国まで北上し、更に伊勢湾沿いに南下する。
現在、これらの巡幸足跡地には美濃の国の天神神社をはじめ、倭姫命にまつわる十数の宮・神社が祀られている。
各地を巡った後に、倭姫命は伊勢の国に到着する。
海の幸、山の幸に恵まれ、稲作の盛んな国であるこの地「うまし国」に、天照大御神も「 この神風の伊勢の国は常世之浪の重浪(しきなみ)よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもう。 」(日本書記)と託宣し、ここに鎮座することをお決めになったとされる。
それ以来神宮では、日本人の主食である米にまつわるお祭りを数多く行い、稲作文化を大切にしてきた。
そこから生まれた神宮の精神は、日々の食事に感謝する気持ちとして、今も我々の暮らしの中にあるといわれる。
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