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日本周遊紀行(96)田野畑 「無医村に将基面氏」
無医村だった田野畑村・・?、
十府ヶ浦の海岸線から再び山間に入ったところは「普代村」である。 この村は、丁度北緯40度にあたるという。
「東北・西沿岸編」でも記したが、日本海側の大潟村(旧八郎潟)を通った北緯40度線は、秋田・岩手の北部を横断してこの村に達していた。
記念碑のシンボル塔が海岸に建っている。
又、この村に「鵜鳥神社」という社があり、平安時代の初めに創建されたと言われ、この宮は源義経によって建てられたとも言われている。
義経は、実の兄・頼朝に追われ、平泉で自刀したが、人々は、義経は平泉から逃げ延び、蝦夷地を目指した、という「義経北方伝説」を残した。
その途中、ここ鵜鳥神社に立ち寄ったと伝えられる。
平成17年度、NHK大河は「義経」が放送された。
「田野畑村」も海の山岳地・海のアルプスと言われ、かっては陸の孤島であった。
沿岸に在りながら、大絶壁に阻まれ、周りは重厚な山地に囲まれている。
深い谷、山地が人々の往来を遮った。あまりの道の険しさに、このまま行こうか、それとも引き返そうかと思案したという「思案坂」や「辞職坂」と言った呼称の地が国道45号の界隈に残る。
このように陸の孤島といわれる村で、当然と云うにはおこがましいが、この地区は無医村というか、医者が来ても直ぐ辞めてしまうという。
この無医村だった田野畑村に医師として赴任し、19年にわたり地域医療に貢献した人物がいた。 将基面 誠(しょうぎめん まこと)という。
チョット珍しく印象的な姓名であるが、昭和57年4月、千葉県がんセンター婦人科医長の要職にあった将基面氏は、医師が不在だった村の診療所に赴任し、以来、19年間にわたって村民の健康を守り続けてきた。
在任中は医療の傍ら、幼児から高齢者まで一貫した健康管理に取り組み、また、医療と保健、福祉の体制を強化し、三者を総合的に推進する「ほっとピア構想」というのにも取り組んだ。
平成8年には、これらの地域医療に対する功績が高く評価されて保健衛生と社会福祉の分野で最も権威のあるといわれる「保健文化賞」を受賞されたという。
彼は医療の分野だけでなく、多方面にわたり村の振興に献身したとも云われ、「花笑みの村」と銘うって、「亡くなった妻が好きだった梅の花で、村を一杯にしてほしい」と副賞の全額250万円を村に寄付、診療所や公園などに約200本の梅の苗木を植樹してきた。
今、これらの梅の木が美しい花を咲かせ、成長しているという。
平成13年、田野畑村での村医を辞め妻の故郷・千葉県木更津に帰っている。
地域医療のあり方を描いた感動の人間ドラマとして、『無医村に花は微笑む』がフジテレビ系で2006年1月に放送された。
医師・将基面氏を演じるのは三浦友和、その彼を支え続けながら45歳の若さで亡くなった妻・将棋面 春代さんを伊藤蘭が演じている。
断崖絶壁が続く「北山崎」
田野畑の海岸線は、この山地をギザギザに切り裂いた様な断崖絶壁が連続する。
この一角は「北山崎」といわれ、陸中海岸の中心的スポットでもある。
JTBが自然資源・海岸の部で、国内で唯一最高ランクの特A級に評価し、名実ともに日本一の景観を誇る海岸であるという。
更に、北山崎と並んで「鵜の巣断崖」と言われるのもある、200メートルの落差の圧倒的なスケールを誇る絶壁、中腹には「ウミウ」の巣があることから名づけられた。
五列に連なる断崖は巨大な屏風の様だといい、展望台からの大パノラマが楽しめるという。
次回は「田老」
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