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日本周遊紀行(135)大分 「豊の国」 ,
豊の国、豊後の国、そして古豪・大分氏が元祖であった・・、
大分の市街北部の大分光吉I・Cまで向かう。
大分市は大分県の中部海岸に位置する市で、勿論、県の県庁所在地である。
古くは「豊後の国」の国府が置かれた都市で府内(ふない)とも呼ばれた。
古代、大和朝廷の時代には九州は「筑紫(ちくし)の国」、「豊(とよ)の国」、「日向(ひゅうが)の国」と称していた。
それが律令によって細分化されて、[筑紫の国]が[筑前:ちくぜん][筑後:ちくご]に、[豊の国]が[豊前:ぶぜん][豊後:ぶんご]に、[肥の国]が[肥前:ひぜん][肥後:ひご]に、[日向の国]が[日向:ひゅうが][薩摩:さつま][大隅:おおすみ]の九つに分けら九州の名が付いた。
九州は日本国発祥の地といわれ、無理やり解(かい)せば「 初めに日出るところであり、豊かにして、肥ゆる、国を筑くところなり 」となる。
豊の国、豊後の国は既に、九州の瀬戸内ルートを通して畿内に通じた「海の道」でもあり、東九州の要地であった。
その古代、既に「大分」の名が見れる。
市内には有名な「亀塚古墳」の他にも多くの古墳があり、これは有力な勢力を持った人が大分にいたことを示しているという。
その内、三芳地区にある「古宮古墳」は、九州に一つしかないといわれる畿内型終末期古墳(古墳時代:大和時代、畿内地方に多くの巨大古墳が造営されたが、その時代の終末期と呼ばれる)が、ここ「豊の国」にあり、当時日本の政治や経済の中心であった畿内の文化を色濃く反映した地域であったことが伺える。
古墳時代終末期には、既に古墳築造の禁止令(薄葬令=はくそうれい)が発せられていた。
古宮古墳はその最後の頃の古墳であり、誰が葬られているのかは確かな事は判っていないが、当時かなりの権力をもった人物で5世紀以来、賀来川流域を治めていた大分君(おおいたぎみ)の一族で、壬申の乱で活躍した「恵尺」(えさか)という人物が葬られていると想定されいる。
古事記には「 国造本紀 」の項目の中で、大分君は阿蘇君(火の君)と同様に国造(くにのみやっこ:こくぞう)と同格に列せられていて、九州の地方豪族として中央(都、畿内)にも知られていた。
国造制とは、6世紀頃に律令制が導入される以前のヤマト王権(大和朝廷)の時代の制度で、地方統治体制(ここでは一つ国を意味する)の下の長官、国の長を意味する。
この時期、大分地方に大分国造が置かれていて、この大分国造になったのが大分君一族であった可能性が高いといわれる。
この時代に起こった中央の勢力争いに豊の国からその代表として「大分恵尺」(おおきだ の えさか)が応援に駆けつけ大功をなしたとされている。
「壬申の乱」とは、672年に起きた日本古代の最大の内乱であり、天智天皇の太子・大友皇子(おおとものみこ)に対し、皇弟・大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が反旗をひるがえしたことによる。
この戦いに勝利して後に天武天皇となった大海人皇子は、大分君・恵尺の功績に十分に報いて、死後、恵尺の出身国・「豊の国」(この時期、律令制が発布、豊後の国となる)に古墳の造営を許可されたという。
大分市椎迫(しいざこ)の丘陵、西の台小学校の東に石棺式石室の古墳が今も残る。
この古代大分氏に因んで、明治期に豊後の国が大分県になり尚且つ、大分市と呼称したとされる。
奈良期・国府時代の国分寺跡は「久大本線」の4つ目の駅「豊後国分」駅前に良く整備、復元された状態で見学でき、「大分市歴史資料館」が併設されている。
しかし、肝心の「豊後国府」跡は未だに発見されていないという。
学説もいくつかあって確定していないが、「久大本線」の駅名にもなっている「古国府」(ふるごう)辺りにあったことは間違いないともいわれ、古国府という地名にもなっているこの地域に遺構が残されているのでは・・?と想像されてる。
次回は、中世の豊後、「創始者・大友氏」
『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
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