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日本周遊紀行(80)波方 「村上水軍」 、
来島海峡大橋
来島海峡は海賊大将・村上水軍の発祥地、
大西町から波方町の半島付け根を横断して今治に入り、程なく今治・尾道ルートと言われる「瀬戸内しまなみ海道」へ通ずる西瀬戸道と交差する。
近くに今治I・Cがあり、中国・山陽地方の尾道へ抜けることが出来る。
小生は四国一周をするつもりなので、当然、このまま国道196を行くことになる。
この時、偶然にも「大三島」において山火事が発生している。 とカーラジオが報じていた。
大三島は、この瀬戸内しまなみ海道の中間にあたり、大小の島が連なる内の最大の島である。
「瀬戸内しまなみ海道」(本四連絡道路・今治―尾道ルート、西瀬戸自動車道)は、愛媛・今治市と広島・尾道市間を来島海峡大橋や多々羅大橋など十本の橋で結ぶ、文字通りの「海の街道」(全長約六十キロ)である。
すべての橋が徒歩や自転車で渡れるといい、珍しいのは四国側玄関の今治市にある世界初の三連つり橋の来島海峡大橋(愛称・くるくる橋ともいうらしい)といわれる。
急流で名高い来島海峡は「海の大名」といわれ、室町から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した「村上水軍」ゆかりの地でもある。
瀬戸内海は太古から、九州はむろん大陸や朝鮮半島から畿内に向けてのルートとして、重要な交通の要所である。
然るに、この内海を堰堤のように大島、伯方・大三島、生口・因島などが阻んでいる。
海流や船舶はこれら島々の間を縫うように流れるのであるが、特に、南端の来島海峡は瀬戸内海の主要航路のようで、大小の主な船舶はこの航路を通過するようになる。
この今治と大島(吉海町)の間にある来島海峡は、「内海では一に来島、二に鳴門、三にくだって馬関瀬戸」と詠われたように、鳴門海峡、関門海峡とともに日本三大急潮として知られる。
潮流が10ノット(時速18.52キロ、1時間に1海里〔1852メートル〕)にもなる所もあり、特に動力の無い時代には、船を操作するのに特殊な技術が必要であった。
この辺りの海難の地が、往時、海賊を発生させる要因になったのかみしれない、
「海賊」とは、陸の山賊と同じで、武装した略奪者集団というものであり、「海賊」という言葉のイメージは恐らく昔も今もこれと変わることはない。
だが史上遡って室町から戦国時代になると「海賊」は盗人的蔑称でなくなり、「海賊大将」などと誇らしげに自称する軍事勢力であり、それらを統率する首領も現れてくる。
海賊は、軍事力を備えた戦術を行使する「水軍」と呼ばれるようになったのである。
60年程続いた南北朝の時代に、南朝の後醍醐天皇の懐良親王(かねよししんのう・後醍醐天皇の第11皇子)を助けたとされる「村上義弘」が頭角を現し、村上水軍の基盤を確立した。
一時は、瀬戸内全域を制する海賊大名であったが、織田水軍(和歌山・九鬼)と2度戦い、2度目の戦いで織田水軍が仕立てた鉄甲船(紀伊の九鬼水軍)の前に大敗し、次第に勢力を弱めていった。
更に豊臣秀吉の時代になり、海上の権力を警戒した秀吉によって海賊禁止令が出され、次第に衰退してゆくが、中世の歴史を語るのに村上水軍を外して語れないともいわれ、晩年、朝廷より義弘公は正五位を賜っている。
来島海峡大橋のすぐ西側に、周囲1kmほどの小島が「来島」である。(来島の南に実際に「小島」という島もある)
往時、来島・村上水軍がここに根拠をもち、来島城の城塞が全島をめぐらしていたという。
しかし、水軍の将家・来島家も、徳川幕府の成立にともない豊後(大分県)に移封され、その後再び今治に戻ることはなかったという。
こんな、村上水軍の古跡の地に、今でも、その精神、技術が継承されているのだろうか・・?、大西町、波方町(現今治市)には、造船で有名な来島ドッグがある。
戦前は、軍艦などを建造していたが、現在は日本でも有数の産業用の造船所として伊予地方の経済を支えている。
戦後、経営難に陥った「来島ドック」の再建を引き受けたのが、伊予地方出身(松前町)の坪内寿夫であることは有名な話である。
社長に就任いらい伊予商人独特の月販方式(月賦販売、今で言うクレジットは伊予今治が発祥地といわれる)などをテコに急成長し、その後も佐世保重工業など造船会社の再建を相次ぎ引き受け、巨大な造船グループを築いたことで、業界では造船の神様、四国の大将とも称される。
次回は、「今治」
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