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日本周遊紀行(66)田野 「二十三の郷士」 、
土佐勤王の志士とライオン宰相、
「ごめん-なはり」
「奈半利」という町に来た。 ナハリと詠む。
人名や地名は、時に不可解な名称は当たり前であるが、何か気になるときがある、ナハリもそうである。この語呂が気になったので一応調べてみたが一向に見当たらない。一見アイヌ語ような響きがあるが、定かでない・・?「ごめん-なはり」とシャレ謝りをしておく。
実は、“ごめん-なはり”は後免-奈半利のことで、この奈半利は最近の平成14年7月に開通した「土佐くろしお鉄道」の起点であって、南国市の後免駅より東へ20番目の東の端の駅にあたる。別名「ごめん・なはり線」ともいっている。 これはさて置き、奈半利は由緒ある歴史の町でもある・・。
奈半利の町から北東にR493が、東海岸の東洋町野根へ連なっている。
地図上でみても細く曲りくねって描いてあり、一見して山間の難路が続くようである。R55の土佐浜街道と比較して、距離にして20kmほど短縮できる野根山越ながら、国道493号の道は決して快適とはいえない。 だが、現在も土佐・高知と阿波・徳島を結ぶ最短のコースに代わりは無い。
しかし昔は、阿波と土佐を結ぶには野根山街道のみであった。
往時の野根街道は、奈半利から尾根づたいに野根に至る約35キロの只一つの街道で、国司、土佐流人の移動、調庸物搬入出の道として開発され、古代・養老年間(奈良中期)にはすでに利用されていたという。
戦国初期、長宗我部氏が四国制覇進行の軍略路として通い、藩政時代は参勤交代の通行路ともなった。 また幕末の激動には、中岡慎太郎をはじめ志士達の脱藩の道、二十三士動乱の道でもあった。室戸岬に立つ「中岡 慎太郎」は、この街道沿いの北川郷柏木で生まれている。
野根山街道は、今でも当時の面影をそのまま留めた、全国的にも珍しい歴史の街道であるといえる。
「道の駅・田野」で一服する。
正確には「田野駅屋」といい、“田野へ来いや”(土佐弁で田野へいらっしゃいと言う意味)という意味らしい。
鉄道(土佐くろしお鉄道)の駅と一体となった珍しい道の駅でもあり、駅舎の一連の建物は巨大な木造、瓦屋根の建築である。
聞くところ、 田野町は古くから木材の集積地であり、木材製材工業が盛んであったという。 現在でも木材製品の流通の中心地であるらしい。 この駅舎は、そのアピールでもあり、シンボルでもある。
田野町は奈半利川西岸を挟んで、総面積6.56km2、住戸1300戸と小さな町域である。
しかし、江戸期は田野村の藩の御用商人(5人衆といわれる・・)が、奥地の山林資源の開発により富強となり、田野千軒が浦として繁栄した。その一部の豪商邸宅が完全に保存され、当時の建築様式がそのまま残されている。
幕末には安芸郡奉行所が設置されるとともに、藩校・田野学館が併設されて、安芸郡における政治・経済・文化の中心地として栄えたという。 幕末、高知の城下で尊王攘夷を唱える「土佐勤王党」が成立し、この田野の地区からも数人参画している。
土佐藩は一時期、藩内の抗争、藩政に反抗する者として首領・武市半平太(瑞山)はじめ、主だった者14名が投獄されている。 この時、田野の郷士・清岡道之助を首領とする二十三士は、武市半平太らの出獄などを求める嘆願書を藩庁に提出した。 しかし、反乱分子とみなされて相容れられず逆に兵を向けられ、志士たちは抵抗すること無く捕らえられ、ここ奈半利川河畔において斬首されたという。
現在、河畔近く福田寺境内に二十三士の墓と碑および武市瑞山像があり、国道をはさんだ同公園内には、二十三士殉節之地碑が残る。
首領・清岡道之助邸は典型的な郷士屋敷で、田野町が保存管理している。 因みに道之助の妻は、昭和初期“ライオン宰相”と呼ばれた浜口雄幸首相(田野町出身、明治生まれの初の内閣総理大臣)の叔母にあたるという。 近くに浜口雄幸旧邸も復元保存されている。
浜口は、明治生まれの初の第27代・内閣総理大臣であった。
官僚出身でありながら、その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれ、謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも大衆に親しまれた首相であったという。
濱口は「我国の貧しきを以て米国に追従せんことを到底思ひも寄らず」、「我国は国力の関係上仮令一切を犠牲とするも英米二国の海軍力に追従することを能はず」とまで述べている。
日本の国力、実力を知る浜口は、英米との対決は不可能であることを理解していた。 このことは国民生活の負担の軽減と見事にリンクし、戦後不況、社会不安が増大する中で、軍拡から軍縮に転換し、その軍縮余剰金を財源に国民負担を軽減する施策を提示したのであった。
次回は讃州・安芸「土佐の海」
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