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2010年12月2日木曜日

日本周遊紀行(51)和歌山 「和歌山城」

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 日本周遊紀行(51)和歌山 「和歌山城」 



秀吉の舎弟・秀長築城の名城・「和歌山城」


阪和道(海南・湯浅道路)から和歌山市内の和歌山城へ向うことにする。
I・Cから国道24を和歌山市街方面、和歌山駅を右に見ながら程なく和歌山城・天守閣が見渡せた。
入城口を見つけるため、そのままぐるりとお城の回りを走り駐車場を探すと市役所前のお城側に広い駐車場を見つけた、と思ったら観光バス専用である。 
観光バスが一度に、こんなに来ることがあるのかね・・?と疑念をもちながら、どうやらスペースの小さい城内の300円の有料駐車場に入れる事が出来た。 
有料にしては余り整備されてない駐車場であるが。 
石垣に沿って作られた石畳の階段を上り天守閣のすぐ下まであがった。 
ここで又、入城料350円である。 金銭をケチるわけでないが、平日の観光客相手に、いかにも小銭を収受している感じで、何やら気分を損なわせる・・?。


城郭は、三層大天守と二層小天守、二基の隅櫓を多聞櫓で結んだ連立式天守式がいい。
付属する天守曲輪本丸御殿の曲輪の二つの独立した曲輪がある。 
又、岡口門が、国の重要文化財に指定されているのをはじめ、石垣、堀、門・・,等の遺構が残る。 
表側にお堀端を構え、こんもりと緑茂る虎伏山(とらふすやま)に白亜の天守閣がそびえる威容は、さすがに御三家にふさわしい風格を醸し出してる。 
残念だったのは、一般の入場口が裏坂や新裏坂といった脇道にあたり、お城の顔とも言うべき「一の橋大手門」から入場、退出が出来ない仕組みに成っていた事であった。


ナンバー2の名補佐官・豊臣秀長の生涯

和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の「豊臣秀長」に築城させたのが始まりである。 
豊臣秀長というと戦国時代としては表舞台に出ず、馴染みが薄いように思われるが、秀吉が天下を掌握した第一の功労者で天下の名補佐役といわれ、生涯ナンバー2を守り抜いた人物である。

戦国期、陽に陰に激しく抵抗した紀州一円を平定したのは、秀長の武力はもちろん才覚と人格によるところが多いという。 
彼が果たした功績は非常に大きく、握った権限は著しく強かった。 特に、後半生は眩いばかりの栄光に包まれている。 116万石の大封を得、従二位権大納言の高位に至り、天下の政事の中枢に深くかかわり、百戦不敗の武功を誇り得た。
そして、生涯の絶頂期に永い病の末に生涯を終えて、自らの大封を養嫡子に譲ることが出来た。 つまり、この人は功績を積み、出世を重ね、至福のうちに天寿を全うしたのである。

戦国期、英雄人傑が輩出し一家一国を築いた数多(あまた)の中で、天下人と呼び、余りに著名な信長、秀吉、家康の三雄に次ぐ英傑であるとも言える。
このような豊臣秀長により築城された和歌山城ではあるが、本人は中央中枢で多忙を極めていたため、城代として桑山重晴(秀吉直参の秀長家老)が勤めていた。


徳川御三家の紀州・和歌山

江戸期・徳川幕府が成立してからは、加藤清正の息女を正室とする家康十男・「徳川 頼宣」が紀伊国・和歌山55万5千石に転封され、紀州徳川家の家祖となって徳川御三家が成立している。 
第五代紀州藩主「吉宗」の時、徳川将軍家の血筋が途絶えたことが因で、江戸幕府八代将軍へと抜擢、就任している。
紀州・和歌山は、将軍・吉宗も出所した徳川御三家の一つとして知られる城下町である。 


和歌山城を中心にして、町は放射状に発展してきた。 
和歌山は、温暖な気候で海は万葉にも詠われた「和歌の浦」と川は「紀ノ川」であろう。 そして、和歌山市内及びその隣接地域には、数多くの神社仏閣が存在する。 
数多くというが唯の数ではない、市域の地図を広げると数えるだけで60~70位にもなり、小さめの地図だと名称を記載するだけで、その面が埋まってしまう程である。 
市内を数分歩くと何れかの神社・仏閣に行き当たる、こんな具合であろう。 
和歌山市は、多様な神の町なのである。

次回は、和歌山 「紀の国の三神



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