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日本周遊紀行(49)印南・由良「日本の味」
紀州南部は、日本人の「味」の古里であった
更に地域が前後するが、印南町(いなみちょう)の事である、こちらはカツオブシの発祥の地といわれる。
暑い時期に大量に釣れるカツオを永く保存し、遠くへ送るための技術としてカツオブシの製法が発明されたいわれる。
印南の漁師たちが操業中遭難して土佐の港に漂着した、以来、土佐の宇佐浦に住み着いて「土佐の宇佐に造っていた漁業基地」で生まれたため「土佐節」と呼ばれた。
土佐人は「宇佐はカツオブシの発祥地」である、と言うが間違いではない。 だが、元々は宇佐にいた「印南」の漁師たちが考案したものであるという。
因みに「土佐の一本釣り」として知られる漁法も、印南の漁師が伝えたものという。
「かつお節」或いは、かつお節らしものは既に縄文期の頃から食されていた、というのは遺跡などからも明らかにされているという。
そのルーツを文献から辿ってみますと、鰹節に関する文献は数多くあり、中でも「古事記」にも「型魚」という言葉で登場しているらしい。
カツオの加工品が当時の貴重な贈答品、賦役品になっていた。
日本人が普通に食するようになり発展したのは江戸中期であり、紀州・印南浦(印南町)の人物が燻製で魚肉中の水分を除去する燻乾法(焙乾法とも)を考案し、現在の荒節に近いものが作られるようになった。
古来、かつお節は武士の「兵糧食」として欠かせないものであり、「三河物語」等の兵法書に兵糧食としての記述があるほか、「かつおぶし」が「勝男武士」という名前で、縁起のよさもあることから日清・日露戦争でも使われたという。
次に「由良」の興国寺と調味料について、
小生、関東・相模の人間として、先ず由良町の「興国寺」のことを記さねばならない。
克って、白隠禅師(駿河の国・原の名僧、松蔭寺)によって「紀に興国寺あり」と云わしめ、宗風一世を風靡し「関南第一禅林」として世に知られた名刹とされている。 国道42号線沿いにある臨済宗妙心寺派(拙宅、同様の宗派)の古刹寺院で、開祖は鎌倉時代の無本覚心(むほんかくしん・法燈国師)である。
時は鎌倉期、鎌倉三代将軍・実朝が、弟・公暁に鶴岡八幡宮で殺されたことは、あまりに有名であり「鎌倉の項」でも述べた。
「ホームページ」: リンク :「鎌倉紀行」
その時、実朝の忠臣・葛山五郎は、君主のかねてよりの夢である宋(中国)へ渡る船の準備を「由良」の港で行っていた。
主人の死を知った葛山は、その苦諦(くたい:この世界の一切存在は苦であるという真理)を弔うため高野山に入る。
その時に知り合ったのが若い「覚心」であった。
故主人・実朝の供養ぶりを知った当時の尼将軍・北条政子は、葛山にその供養料として由良の地を与え一寺を建てた。
これが興国寺の始まりで、無本覚心が開山したものである。
覚心は、開山まえの修行中、道元禅師(曹洞宗・永平寺の開祖)に参じて宋(現在の中国)に渡り、尺八を吹きながら修行し、虚無僧(こむそう)姿で帰朝したという。
これが、現在の虚無僧の起源で、この寺は虚無僧寺院(主に普化宗という日本の仏教の禅宗のひとつ。普化とは、尺八を吹きながら旅をする虚無僧行で有名)の総本山でもある。
金山寺味噌と溜醤油、
覚心和尚は中国の径山寺(キンザンジ)で修行し、この時、食事を摂りながら味噌の作り方を学び、日本に広めたのが「金山寺味噌」であるという。
この金山寺味噌を生成する際、桶底に溜まった液から、溜醤油(たまりじょうゆ)というのが誕生し、更に加工したのが醤油であるといわれる。
覚心は、醤油の製法をもあみ出し、隣の湯浅町に伝えたという。
その後、湯浅の職人が黒潮ルートで房総半島に渡り、銚子において醤油醸造業として発展し、更に江戸期に利根川水運が開発されるに及んで、江戸、関東に広まるのである。
又、紀州徳川藩は湯浅醤油を庇護し、全国に販路を拡大することになる。
現在も「湯浅醤油」は昔ながらの製法で造られているという。
紀州南部の沿岸地は、南部には紀州梅、有田の蜜柑、そして味噌、醤油、カツオブシと、日本人の食、味の発祥地だったのである。
次回は広川 「広村と津波」
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