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日本周遊紀行(27)野間 「縁と因縁の地」
野間灯台
野間は、「縁と因縁」の今昔の地
内海を過ぎて間もなくすると道路のすぐ横の海岸に、いきなり灯台が現われた。 「野間灯台」と記されていた。
ほぼ渚の磯の上に立つ白亜の灯台は、伊勢湾を航行する船舶のよき道しるべとなっていて知多半島のシンボル的存在であろう。
しかし何故か、この灯台の周囲は鉄のフェンスで囲ってある。
このフェンスを良く見るといろんな形の錠前(主に南京錠)が多数引っ掛けてある、しかもその錠に男女のカップルの名前が記され、何事かメッセージが書いてある。
何のことはない、ここは恋が成就する願掛けの灯台だったのである。
以前、ある週刊誌に興味本位に描かれたのをきっかけに今年になってどんどん増え、しかも町が広報誌で宣伝したから、なおさらブームにもなっているとか。
野間灯台の明りに照らされ、錠(情・・?)でしっかり結ばれて離さない。 何とも男女間の機微、情の景は理解できるが・・?。
この先の奥田の山中に「恋の水神社」というのがある。
多くのカップルや若者がお参りに来るという祈願社で、あらゆる病気、特に「恋の病」に効くといわれ、そこには「恋の水」が湧いているともいう。
美浜町は名称からしても、何ともロマンチックな街のようである。
大御堂寺(野間大坊)の本堂, 源義朝廟と小太刀の奉納
こちらは往時の因縁の地でもあった。
源義経、頼朝公の実父「源義朝」はこの野間の地で命を落としている。
義朝は京都六波羅の合戦である「平治の乱」で平清盛に破れ、この野間の地に落ちのびてきた。
ここで家臣の長田忠致、景致親子による裏切りで入浴中に謀殺されている。
丸腰だった義朝は「我に小太刀の一本でもあれば討たれはせん」と言い残して果てたという。
国道の奥まったところに7世紀に創建された古刹「大御堂寺」があり、源義朝公御廟がここに祀ってある。
嫡男・頼朝公は鎌倉幕府、開府直前にこの地に参り、父義朝公の法要を執り行い、境内の様々な伽藍建立されたという。
その後、秀吉、家康の庇護を受け更に繁栄し、現在尾張地方随一の祈祷寺として人々に広く信仰を集めているという。
家臣の謀反により殺された義朝公の墓には、その霊を弔うため今も有志者によって木太刀が多数供えられている。
あの時、「小太刀の一本でもあれば・・」と無念の想いを託して奉納するのであろうが、木太刀は廟のすぐ近くで、サイズをいろいろ取り揃えて販売されているようである。
寺社関係者の商魂逞しき・・、と言いたいところだが。
野間灯台の錠前、義朝廟の木太刀といい、これらを持ち寄って信仰の意志を伝える日本人的精神活動には、何かの共通点が見える気もするが・・?。
この大御堂寺には、もう一つの因縁事件があった。
戦国期の本能寺の変(1582年、織田信長の重臣・明智光秀が謀反を起こし、京都の本能寺において主人信長を討った事件。天下統一を目前にした織田信長は命を落とし、日本の歴史を大きく変える出来事となる)の後、織田信孝(信長の三男)は光秀を滅ぼしたという功績にも関わらず、清洲会議で織田家の後継者は羽柴秀吉によって三法師君(幼少・信長直系の孫・秀信)に決められてしまう。
この処遇に不満をもった信孝は家老の柴田勝家らと結び、秀吉に対して挙兵するが、賤ヶ岳の戦いで勝家が敗れて信孝は尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺に送られ蟄居させられる。
後に秀吉に切腹を強要され、この地で自ら自害して果てた・・、享年26。
辞世の句に・・、
『 昔より 主をば討つ身(内海)の の間(野間)なれば
報いを待てや 羽柴筑前 』
自分の身を、家臣に裏切られ殺害された源義朝になぞらえ、羽柴筑前(秀吉)に対する憎悪を剥き出しにした壮絶な歌である。
美しき知多の浜において昔、壮絶な人間模様があったようだが、今は男女の色模様で賑わいを見せている。
そんな事を知ってか知らずか、今も伊勢の海はキラキラと輝いている。
次回、常滑の「焼物とセントレア」
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