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日本周遊紀行;紀行(115)水戸 「水戸藩」
那珂川河口の海門橋
「水戸」の名称は、この那珂川の「水運の戸口」から付いたとされる。
市街地より那珂川の海門橋を渡ると、海洋観光地「大洗」である。
大洗には素敵な民謡が有った。
『磯節』 茨城県民謡
ハーサイショネ
磯で名所は 大洗様よ
ハーサイショネ
松が見えます ほのぼのと
松がネ
見えますイソ ほのぼのと
大洗の北、町界を川幅いっぱいに悠々と「那珂川」が太平洋に注ぐ。
関東第三の大河である那珂川は関東随一の清流としても知られ、多くの魚類が生息しており、往時の江戸期にははサケの遡上する河川として水戸藩へも献上品されていたという。
江戸初期、那珂川から涸沼、北浦を結ぶ運河の整備が計画されていた。
水戸と江戸を結ぶ流通を発展させることを目的に、鹿島灘を迂回せずに直接北浦から利根川を経て江戸に物資を輸送させることで、財政難にあえぐ水戸藩の財政を好転させることを目的としていた。
しかし、財政難で農民の負担が余りにも大きく、大規模な百姓一揆を誘発したこともあって事業は頓挫してしまったという。
だが、那珂川が舟運として使われていたことには変わりなく、水戸藩は水運河港として大いに盛え、水運は近代まで存在していた。
「水戸」の名称は、この「水運の戸口」とされていた事に由来するという。
ご存知「水戸」は水戸・徳川家所縁(ゆかり)の地で、水戸黄門(徳川光圀)、日本の三名園・梅の「偕楽園」でも知られる。
また、明治時代以降は納豆の生産と消費が盛んであり、水戸納豆として親しまれている。
水戸は、無論、「常陸の国」が前進である。
常陸は今の茨城県を指すが、当初の常陸国は現在の茨城県の大部分(西南部を除く)と、福島県から宮城県南部にまで至る辺境の広大な国であり、奈良期の7世紀に成立している古い国柄である。
奈良期・八世紀初頭の養老年頃の編集とされる「常陸風土記」によると、常陸国の国柄、名の由来は、以下の様に記されている。
『 然と名づける所以は、「往来の道路、江海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の峰谷に相続ければ、直道(ひたみち)の義をとって、名称と為せり」。倭武(やまとたける)の天皇、東の夷(えみし)の国を巡狩はして、新治の県を幸過ししに国造 那良珠命(ひならすのみこと)を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。風俗の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の国というはこれなり。 』
又、常陸国風土記が編纂された時代に、常陸国は、『 土地が広く、海山の産物も多く、人々は豊に暮らし、まるで常世の国(極楽)のようだ 』とある。
「常陸」は、「常世の国で陸は極楽」という訳で名付けられたようだ。
奈良期の政庁・国府は現在の石岡市にあったとされ、遺跡も発掘されている。
又、官寺である国分寺も石岡市府中にあった。
さて、水戸の始まりは、平安末期に、常陸の国の名門・大掾氏(だいじょう)一門が、水戸台地に居館(水戸城)を構えたのが最初と言われる。
戦国期、常陸は戦国大名・佐竹氏が豊臣秀吉によって支配をそのまま認められていたが、関ヶ原の戦いの際54万石の佐竹義宣は東軍・徳川方に加担しなかったため、出羽秋田(久保田藩20万石)に減量転封されている。
佐竹氏の後、徳川幕府が開かれ、家康が駿府に移動するに当たって、家康の11男・徳川頼房が25万石で入って「水戸藩」が成立する。
水戸市の原形は、この頼房によって拓かれてゆくことになる。
余談だが・・、
佐竹氏は、秋田に左遷されるにあたって、藩主家の墓地と水戸の美人を根刮ぎ、転封先に持っていったと云われる。
これが、秋田美人のルーツともされるようになり、このため近年に至って秋田は美人の産地となり、水戸には美人がいなくなったとも云われているが・・??。
次回は、水戸の黄門様
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