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日本周遊紀行(113)日立 「水木浜」
日立の「水木浜」とは・・、
紙の町・高萩の沿岸から十王町、日立市に入った。
十王町は本年(2004年)、日立市と合併し新日立市になっている。
お馴染みの総合メーカーである日立製作所は、ここが発祥の地である。
往時の日立の山地は銅鉱石の産地であり、明治期、殖産興業、軍事増産の掛け声で、「日立鉱山」として発足し、採鉱、精錬を開始している。
「日立鉱山」を取り巻く電気、機械の修理部門だった各工場が、自社製品の開発、販売にのりだし、そして独立したのが日立製作所である。
現在は日立グループとして、家電関係はもとより、ITやバイオテクノロジー、ナノテクノロジーなどの最先端技術や知識を結集し、次世代の中核事業を担っている。
又、「日立」は太平洋戦争に過酷な歴史を体験した。
昭和10年代、日立鉱山と日立製作所は益々発展する中、世間は軍事色が強まってくる。
同社の金属製造、加工技術は次第に軍事関連へと向かい、戦争関連産業の拠点になっていった。
太平洋戦争に突入した日本は昭和20年には沖縄占領、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下等敗色が濃厚になってゆく。
そんな最中(さなか)、軍事産業都市の日立も、当然攻撃目標の対象になった。
米軍の艦砲射撃、爆撃攻撃は激しく、全市街地の約7割が焦土と化し、壊滅的な打撃を受け、1500人を超える市民の命を失ったという。
当時、小生の故郷「いわき湯本」でも艦砲射撃の音と、燃え上がる日立の街の様子が確認出来たという。
市街地の北部、国道6号線に沿って「神峰公園」がある。
高台、丘陵地にあって太平洋の展望がすこぶる良く、動物園、遊園地、レジャーランドなど市民の憩いの場所になっている。
ここの一角に神峰神社があり、立派な石造りの階段の上に本殿、拝殿が鎮座している。
創建は、室町中期(1428年)とされ、祭神は日本創生の神、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)を祀る。
こちらの社殿及び山頂社から眺める大洋もすこぶる良い。
江戸期の1695年、徳川光圀候が神峰神社に参拝した時、海上から朝日の昇る様子を観て、『朝日の立ち上る様は領内随一』として、一帯を日が立ち上る地・「日立」と命名したといわれる。
無論、日立は常陸(ひたち)の国からきていることは疑いの余地がない。
徳川光圀(とくがわみつくに)といえば、・・三つ葉葵の紋所が描かれた印籠を見せて「控え居ろう・・!!、この紋所が目に入らぬか」と曰く、御存じ「水戸黄門」のことである。
尚、光圀候のことは水戸の項で述べることにする。
日立の南に「水木浜」という浜辺が在る。
ここは、何と72年毎に神事が行われる祭事場である。
茨城県内陸部、水府村に「東金砂神社」と金砂郷町に「西金砂神社」と、奥山に両神社が鎮座している。
両神は平安初期に日立市の水木浜の大島という磯に出現し、後に内陸地の東金砂山と西金砂山と相対して聳える山上に、其々祀られたという。
伝説によると西金砂山の神は女神で、東金砂山の男神に嫁いで夫婦になったとも伝えられている。
その金砂両神社の大祭礼は、何と「72年毎」に行われるという。
なぜ、72年毎かは定かでないが、祭礼は「磯出大祭礼」といい「金砂大田楽」とも言われる。
磯出大祭礼の当日は、東、西金砂神社が、それぞれに総勢500人を超える氏子が7日間(6泊)をかけ、常陸太田市を経て日立の「水木浜」までの往復約70kmの道のりを古式にのっとり渡御(行列)し、水木浜の清い潮水で御神体を浄めるという神事である。
これはは五穀豊穣、天下泰平を祈願して72年ごとの未年(ひつじ年)に行われるという。
第1回目が平安初期の(西暦851年)から第16回目の前回が昭和6年に行われ、第17回目が昨年の平成15年3月に行われた。
この間、時代の変遷、変動期にも一回として途絶える事無く、受け継がれているという。
渡御の途中には、休憩して神事を行う御休場(おやすみば)と、宿泊して田楽舞や神事を行う御泊場(おとまりば)が各地に設けられる。
金砂大田楽の田楽とは、民間の舞踊で田植の時、笛や太鼓を鳴らして五穀豊穣、万民豊楽を願うもの。
昨今では田楽舞といって伝統の舞踊形式になっていて、渡御行列の際に奉納されている。 又、この期間は地元・地域の郷土芸能や伝統行事の奉納披露も行えわれ、大祭を盛り上げる。
ただ、昔日に人々の平均寿命は72歳以下であろうし、神社の氏子、祭事関係者は無論、御近所さん達にしても存命中にこの大祭礼に遭遇することもなく、寿命を全うしてしまった人もあろう。
正に、一生に一度、遭遇するか、しないかの大祭礼なのである。
運良く祭事に携わった人達は、正に「天運」といっても過言ではなく、更に、参拝に授かった人々も「幸運」の持ち主なのである。
ところで、小生、ふとした縁で、一昨年(2003年)の大祭に孫娘と一緒に参拝し、御札(おふだ)まで授かっているのである。
そして渡御行列及び水木浜での神事を謹んで参見している。 実に小生も、所謂、幸運の一人なのである。
因みに、次回は2075年の開催である・・!。
今回見逃した方は、がんばって長生きして下さい・・!!。
小生のその時の記録・・、
「金砂神社磯出大祭礼」に寄せて・・、
『 花井○○は現在満3歳である。
此の度、縁あって72年毎に行われる「金砂神社大祭礼」に際し、西金砂社殿に参拝し、幼少ながら「家内安全」「健康豊楽」を付添人と共に祈願することが出来た。 そして社宮より、72年に一度発行される記念すべき御札を授受することができた。 つきましては、身内安泰と無病長寿を成就し、この御札を72年後の次期大祭(第18回)に西金砂神社に返拝することを願う。そして次に72年に一度の東金砂神社の御札を授かることを、併せて希望する。時に西暦2075年、花井○○75歳の御時節である。
付添人 織内将男 64歳(花井○○ 祖父)
神奈川県厚木市
平成15年3月31日(西暦2003年)大吉日 』
「金砂神社磯出大祭礼」概説
『磯出大祭礼は、西金砂神社(茨城県久慈郡金砂郷町)と東金砂神社(茨城県久慈郡水府村)が、五穀豊穣、天下泰平、万民豊楽を祈願し、72年ごとの未の年に同時期に執行しているお祭りで、金砂大田楽(かなさおおでんがく)ともいわれています。仁寿元年(851年)に第1回目を執行して以来、一度も途絶えることなく続けられてきたとされ、総勢500有余人にも及ぶ渡御行列と祭事、そして、金砂田楽(田楽舞)から成る。
西金砂神社あるいは東金砂神社からそれぞれ出社した数百人規模の行列は、古式服飾にてり6泊7日をかけて日立市水木浜までの往復約75kmの道のりを歩く。 行程の途中数箇所で祭事や国選択民俗芸能・茨城県指定無形民俗文化財の「金砂田楽(西金砂神社田楽舞・東金砂神社田楽舞)」を披露奉納します。
第17回目の大祭礼は、西金砂神社が平成15年3月22日(土)から3月28日(金)まで、東金砂神社は3日遅れて平成15年3月25日(火)から3月31日(月)までの日程で行われました。』
次回は日立は「常陸」
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