google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。: 日本周遊紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」

2010年6月9日水曜日

日本周遊紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」

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日本周遊紀行(110)いわき湯本 「湯の岳と温泉神社」




常磐線「いわき湯本駅」

いわき湯本駅前通り

いわき市湯本三函に鎮座する「温泉神社」

故郷の山・「湯の岳」(593m)



我が故郷の「湯の岳と温泉神社」について・・、 

常磐線の「湯本駅」から右方向、天王崎の駅前通りを過ぎると間もなく左に石柱で造られた鳥居が在り、鳥居を潜って石段を上ると立派な社殿が現れる、「温泉神社」である。

少年時代には良くこの辺りで遊んだものである、というよりこの辺りは中学校(湯本第一中学校)への通学途上でもあったのだが。 

五月の初頭に行われる例大祭の「さつきまつり」は、地域住民の最大の楽しみであった。 
上京後、50年以上たった今日・・、現状は定かでないが、当時は温泉に感謝するため、各旅館が温泉を樽に汲み入れ神前に奉納する神事・「神社献湯式」が本殿で行なわれ、大小の神輿や長持(衣服・調度などを入れて保管したり運搬したりする長方形で蓋のある大形の箱で、江戸時代以降さかんに使われもの。神事・婚礼などで長持唄を唄い名がらゆったり運ぶ)、その他の祭事で大変賑わったのも記憶している。


温泉神社は、旧来の地名に因んで佐波古神社(現在は湯本町三函)とも称し、社家に伝わる「神幸由来記」などの古文書によれば、神代の昔、『湯の岳』が御神体山であり信仰の山であって、白鳳年間(奈良期の7世紀頃)、この湯の岳より降臨(神仏などが天降ること)して里宮とし、遷座されたと記されている。

南北朝時代に先ず、「観音山」に移され、その後、江戸時代前半に磐城平藩内藤家によって現在地へと移されたとのこと。
神社の裏山にはご神体・湯の岳から運ばれた八つの大石、神の磐座が安置されているという。


言伝え、伝説によると日本武尊が東征のため当地に進駐の折、大和国・三輪大社(現在奈良県桜井三輪)の主神・大物主神(オオモノヌシノカミ・大巳貴命・大国主命)を勧請、分社し、少彦名命(スクナヒコノミコト、神話時代の国造りの神:大国主神とともに全国を回って国土を開拓した神とされている、医薬の神)と共に合祀されて、以来二神が郷民によって祀れたという。

祭神は地下資源の神、医薬を司る神で湯本町の鎮守様として広く崇敬をあつめている。

その「湯の岳」は、我等町民の山であり、常磐道のいわき湯本I・Cのすぐ横に聳える山で、稜線は弧を描いたなだらかな緑豊かなの山である。 
我等の小学校、中学校の校歌にも詠われ、小生が小学校5、6年の時はクラスが五組であったので「ゴクミ・593」、つまり標高が593mであったのを今でも記憶に有り、印象に残っている。


因みに、温泉神社の元宮、本社である大和の国の「三輪大社」について・・、

現在は大神神社と称されていて、読みは「おおみわじんじゃ」・三輪明神とも呼ばれている。

奈良県桜井市にある由緒ある神社で大和国・一宮であり、大物主神(おおものぬしのかみ:大国主命の同義とも云われる)を祀っている。
日本神話に記されている創建の縁起などから、出雲系の神社で「日本最古の神社」を称し、少なくとも大和国においては最も古い神社の一つであると考えられている。

現在でも、神殿、本殿は置かれてなく、拝殿から奥にある三ツ鳥居を通して御神体である「三輪山」を拝するという原始形態の神祀りの様式をとっている。

神意は、国造りの神様として農業、工業、商業すべての産業開発、 方位除、治病、造酒、製薬、禁厭、交通、航海、縁結びなど、 世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神として 尊崇されている。 
その神威は、全国に亘り、古くは朝廷の鎮護として尊崇されていた。

後背に控える三輪山は縄文時代、あるいは弥生時代から、自然物崇拝をする原始信仰の対象であったとされている。 
特に、古墳期(大和朝廷が誕生し日本国として統一された時期で弥生以降、飛鳥以前の時代)にはいると山麓地帯には次々と大きな古墳が作られた形跡があり、そのことから、この一帯を中心として日本列島を代表する政治的勢力、つまり、ヤマト政権の初期の三輪政権(王朝)が存在したものと考えられているという。


この三輪山は、奈良盆地をめぐる山でも高さ467メートルの一際形の整った円錐形の山であり、いわき湯本の「湯の岳」と酷似しているのである。

三輪山は太古の昔より神宿る山とされ、山そのものが御神体であるとの考えから、常人は足を踏み入れることの出来ない聖域とされ、所謂、禁足(きんそく)の山で、江戸時代には幕府より厳しい政令が設けられ、神社の「山札」がないと入山出来なかったという。

明治以降はこの伝統に基づき、「入山者の心得」なるものが定められ、現在においてはこの規則を遵守すれば誰でも入山出来るようになったが、登山を希望する場合は、社務所にて許可を得、入山届けをして「300円」という入山料を納めなければならない。 
そして参拝証である白いタスキを受け取り御祓いを済ませ、道中では、このタスキを外すことは禁止されているという。 

通例、2時間ほどで下山出来るが、3時間以内に下山しなければならないという規則が定められている。 山中にては、飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止されているという。

又、この神域には数多くの巨石遺構、祭祀遺跡も散在するが、これに対しても原則として許可なしに撮影も出来ない。さらに山内の一木一葉に至るまで神宿るものとし、それに斧や刃物を持入れすることは許されていない。  一般には入山せずに参拝することが多く、拝殿から三輪山を仰ぎ拝むといった手法をとっている。

正月の初詣ともなると、至近のJR桜井線の三輪駅は駅構内まで行列が続いていて、駅に降りたら、そこが参拝の行列の最後であったともいう。 
ひどい時なんかは電車の中まで参拝客の行列が続いていて、電車は参拝客が全部降りきってしまうまで、1時間も駅で止まっていたこともあったという。

三輪山、大神神社は、さすがに我が湯の岳、温泉神社の本社聖域であることから、尊厳と格式か今でも存在することは、ただただ感服するのみである。
三輪地方は、御存じ「三輪そうめん」の故郷でもあった。


いわき湯本の「温泉神社」や「湯の岳」には、このような深い歴史が潜んでいたことに驚きであったが、更に深い因縁が含まれていたのである、それは次回へ。

次回は、「いわき湯本」である「石城地方」



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