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日本周遊紀行(110)いわき湯本 「炭鉱と温泉」
我が故郷である「いわき湯本」は、「炭鉱と温泉」の街であった・・、
我が故郷が近付いたため、常磐道・富岡I・Cで一気に「いわき」へ向かう。
「いわき湯本」が小生の故郷である。
生まれは満州国・奉天市(今の中国東北部・瀋陽)であるが、終戦後、引揚げてきて父の故郷である「いわき湯本」へ住み着き、20代前半までこちらで、営々としていたのだが。
先ず、「常磐炭鉱」について・・、
「湯本」は文字通り古い温泉の街であり、そして、克ってはあの「常磐炭鉱」で賑わった炭鉱の街であった。 日本のエネルギー産業の柱である「黒いダイヤ」と云われた「石炭」の街であった。
明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。 これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためでもある。
しかし、硫黄分の多い炭質という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲(しゅうきょく;積当時は水平であった地層が、地殻変動のため波状に曲る現象)を受けているため、掘削は石炭層を求めて地下へ地下へと掘り下げるため、特別な技術を要する炭鉱でもあった。
このため、次第にコスト的に負担がかかり、各鉱は採算が次第に悪化していった。
しかも、この石炭を掘り出す際、この湯本地区は同時に温泉が湧き出てきて、相当に難儀を強いられたという。
その後、化石燃料(石炭から石油の時代へ)の変化にともない石炭は次第に斜陽の追い込まれ、経営的にも苦難を強いられ次々と閉鎖していった。
最後まで残った常磐炭砿(後の常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、国内の石炭業自体も1985年に全面撤退している。
今は、「石炭化石館」として、往時の常磐炭田の採掘の歴史や産出化石をはじめ、地球の歴史を物語るといわれる諸外国の化石資料などを展示している。
そして「湯本温泉」である・・、
一方、炭鉱にとって煙たい(石炭だから・・??)存在だった湧出する温泉は、逆に脚光を浴びるようになった。
元より「湯本温泉」は、平安初期には開湯されたと言われる。
湯本温泉は「三箱の御湯」と呼ばれ道後温泉、有馬温泉と共に日本の三古泉として名が知られていた。
中世には戦国大名の来湯も多くあり、江戸時代は浜街道唯一の温泉宿場町として、来湯遊が絶えなかったという。
炭鉱閉山の後は、同経営母体である「常磐興産」が大量湧出する温泉に眼をつけ、常磐ハワイアンセンター(現、スパリゾート・ハワイアンズ)なる常夏の大温泉レジャーセンターを設立し、全国にその名を知らしめた。
スパリゾートハワイアンズは遊び感覚いっぱいの温泉リゾート施設である。
ウォーターパークといわれる大プール、流れるプール、ワンダーホルンなどの施設があり、特に、中央メーンステージでは、ここの一番の呼び物のその名の如く「フラダンスショー」が定時的の演ぜられる。
建物は、鉄骨ガラス張りの大ドームが特徴的である。主な施設としては、水着で入るスプリングタウンには中世の南ヨーロッパ風ドームの男女別共同風呂を中心にジャグジー、ミスト、打たせなど各種の風呂もある。
屋外へも繋がっていて、そこには温泉の川や洞窟プロムナード、パノラマサウナがあって木々や岩などが配され南国ムードを一層盛り上げている。
又、「江戸情話与市」は、ギネスブックに登録されたといわれる世界一広い露天風呂であるとのこと。
その絶え間なく噴き出る源泉は、レジャー・保養施設、宿泊施設のみならず、今は一般家庭にまで引湯され、昨今の温泉ブームにのって街は活況を呈しているとか。
湯本温泉で最も古い記録は、平安中期の延長5年(927年)、延喜式神名帳に「陸奥国石城郡小七座・温泉(ゆ)神社」(通称・おんせん神社)と記してある。 しかし、奈良時代に石城国が設置された時に、その名が記されていることから、開湯はそれ以前の奈良時代に遡るとも言われる。
当時、岩城、佐竹、田村氏などの戦国領主が湯本に湯治に来ていたことが記録されているし、また、江戸期には鳥居・内藤氏の所領であった時期、浜に街道が整備されたとき唯一の温泉宿場として栄え、年間約2万人前後の浴客で賑わったともいう。
当時の温泉は、地表に勢い良く湧出していたとされる。
だが、明治期になると常磐地区で大規模な石炭採掘が始められ、坑内に湧出する温泉を汲み上げため温泉面の低下を来し、大正期には湯脈が断たれ温泉町として機能を失ってしまったともいう。
そして石炭産業が斜陽になってからは、再び、温泉揚湯会社を設立し、毎分5トンの揚湯を確保したという。
幸いなことに現在は揚湯にも拘らず、年々温泉面は上昇しているとのこと。
源泉は、石炭採掘の為の後遺症で現在自噴箇所はないが、推定で水準海面下約40mぐらいまで湯面が上がってきていると思われ、 揚湯量は毎分5トンを超え、町内の地下パイプを通し各施設に配湯し、浴槽の吐湯口で50度以上を保っているという。
今で言う、「源泉純粋かけ流し」である。
因みに、いわき湯本温泉の源泉は現在、地下800メートルから汲み上げられている。
温泉は、古代の地下水がマグマの地熱によって温められ、2~3万年以上も前の海底に堆積した地層に閉じ込められたもので、「海洋深層水」の成分も含まれているともいう。
泉質は全国的にも珍しい「含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉」俗称、硫黄泉で、「美人の湯」(美肌作用・解毒作用・末梢血管拡張作用)、「心臓の湯」(血圧を低下させる~動脈硬化、高血圧に効く)、「熱の湯」(高齢者向き~保温効果が高い)を始め数々の効能を併せ持っているといわれる。
「いわき湯本温泉」は、かっての常磐市(じょうばんし)、現在の「いわき市」の一部である。
常磐の名称については、常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものであり、(常磐線、常磐自動車道など) この経緯に由来して茨城県と福島県浜通りの県境周辺(北茨城市・いわき市南部)を、「常磐地区」、「常磐地方」と呼ばれる事もある。
更に、「いわき市」成立までは常磐市がこの地域の正式な地名でもあり、そしてこの市の中心が湯本温泉地区であった。
前記したが、湯本町内・旧炭鉱敷地内には「石炭・化石館」 というのがあり、ここにいわき地方で掘り出された三葉虫などの古生代からの多様な化石が陳列されている。
特に中生代の「フタバスズキリュウ」という、海に住んでいた首長竜の化石がこの町から出土し、原形を復元された姿での化石が展示されている。
常磐炭田は江戸中期から採掘が行われていて、明治期から大正、昭和前期の産業を支えた。 だが、採算面から昭和60年に閉山したが、今なお豊富な石炭が埋蔵されているようでもある。
「いわき湯本」は温泉は出るし、石炭は出るし、恐竜まで出るしで、昔から地下の恵みに支えられている。 これも佐波古神・温泉神社のお陰であり、そんな土地柄なのである。
写真:温泉施設「さはこ湯」
途中、温泉街の中心にある立寄り温泉・「さはこの湯」に浸かった。
やや硫黄の臭いが漂う掛流しの天然自然温泉の湯で、身も心もリラックスできた。
そして、湯本の隣の地区・白鳥町の親戚宅(父の生誕地)へ立ち寄り、従兄と談笑した後、拙家の菩提寺「白鳥山・龍勝寺」へ向かった。
たびたび訪れて見慣れた風景であるが、いかにも田舎の静観な山間に境内・寺院が在る。
子孫の繁栄健勝と旅の安全を祈願参拝する。
龍勝寺は、旧湯長谷藩の菩提寺でもあった。(「湯長谷」については後述)
参道から山門をくぐった左手に「阿弥陀堂」が在り、ご本尊は珍しく、胎内に納めた「腹ごもりの阿弥陀尊」という弥陀三尊が安置されている。
阿弥陀堂の建立は明治42年といわれるので決して古くはないが、この小さな「胎内仏」は、作者、年代ともに定かではなく、かなり古いものだと推測されている。
一般的に胎内仏は、亡くなった人の冥福を祈って仏像を造るとき、故人がいつも祈っていた小さい仏像をその中に納めるのであるが、この寺の胎内仏には、「見ると目がつぶれる」という奇異な言い伝えがあるという。 その訳は何となく判るような気もするが・・?。 やはりというか、普段は堂内の安置所は閉ざされ、仏像を見ることはできない。
阿弥陀三尊とは、阿弥陀如来を中尊とし、観音菩薩を左脇侍、勢至菩薩を右脇侍とする三尊形式である。 観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲をあらわす化身であり、勢至菩薩は知恵をあらわす化身とされる。
お寺は臨済宗妙心寺派で、本山は「京都・妙心寺」である。
その菩提寺・「龍勝寺」からほんの2km足らず、5分ほどで湯本名物・「スパリゾートハワイアンズ」が丘陵地の一角に、華やかな別世界を形造っている。
この別世界を題材にした「映画」が近年製作されて話題を呼んでいるという・・!!。
次回は、映画・「フラガール」
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