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日本周遊紀行(106)仙台 「伊達政宗」
青葉城址の伊達政宗公が仙台市内を見下ろす
国道45は、そのまま行くと仙台市内へ向かっている。
だが、小生は仙台市内には小旅行や娘が仙台在住の時期に数度訪れて観光をしているので、今回は市内のビル楼閣を横目に見ながら沿岸部の国道6号バイパスを行くことにする。
「伊達者」とは・・?、
杜の都・「仙台市」は慶長5年(1600年)伊達政宗が開いたというのは衆知のことで、仙台といえば伊達藩、伊達藩と言えば「伊達政宗」であろう。
東北の覇者、「伊達者」(だてもの)といわれた正宗は、御存じ「戦国の雄」として名を成し、「秀吉・家康を翻弄した男」ともいわれる。
「伊達者(だてもの)」とは、朝鮮出兵時に政宗が揃えた戦装束が余りに派手で華美なものであり、上洛の道中において巷間(ちまた)の噂となったことから呼ばれるようになったといわれる。
これ以来、派手な装いを好み、着こなす人を指してと伊達者と呼ぶようになったと伝えられる。 だが、正宗の本音は派手好みの秀吉の気に入るよう、危ない橋を渡らないよう画策計算したものであった。
この「伊達者」の意味を現代風に言うと、人目につくように形を表す意味、つまり、侠気を示す意や派手に振舞うの意になり、更に「伊達な若い衆」、「伊達や粋狂じゃない」などと言われ、又、見えを張ること;外見を飾ることで「伊達めがね」などと言われるようになったようである。
伊達政宗は1567年に「米沢城」で生まれている。
1567年といえば室町末期に当り、世は戦国期の動乱に入ろうとしていた時期である。因みに、同時期の織田信長(34歳)は美濃・斉藤家の稲葉山城を陥し、「天下布武」を発して京に上った時期であり、そして、豊臣秀吉(31歳)は信長傘下で墨俣城を築城し、美濃攻めで稲葉山城を攻略、美濃の竹中半兵衛を軍師に迎えている。又、家康(26歳)は、今川義元亡き後、武田信玄と協定して今川氏の領国を割譲し、遠江(とうとうみ)を得ている。
「米沢城」は、米沢藩の主城であり、上杉家の名相・上杉景勝、上杉鷹山(ようざん・治憲、日向国高鍋藩出身)などの居城として有名である。
築城は鎌倉期、源頼朝の事務方大番頭・大江広元の2男、長井時広が奥州征伐後(奥州藤原氏)に頼朝の命で地頭職になったのをきっかけに築城されたようである。
長井氏は8代・約150年続くが、室町初期(1380年)に伊達宗遠(8代)が置賜地方を攻略すると、伊達家の支配下となっている。 この時期に伊達政宗(17代)がこの城で生まれ、伊達家の全盛期を築くことになる。
伊達氏は政宗の時代に一時、会津若松城移るが秀吉によってすぐに米沢城に戻されてる。
そして秀吉の「小田原攻め」に遅参した伊達政宗は、岩出山の一揆を扇動したという理由も付加させられて、米沢城から「岩出山城」に左遷されている。
現在の岩出山は仙台市の北、古川市と鳴子の間に位置する岩出山町である。
移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行ったとされている。 その後に、伊達政宗への引渡しを行ったとされている。
以後、仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となった。
その後、正宗が仙台城に移ってからは、岩出山城は仙台城の支城、仙台藩主一門の岩出山・伊達氏が居住する要害になり、明治維新まで続くこといなる。
尚、岩出山城には仙台藩の藩校のひとつである「有備館」が置かれ、現存する最古の藩校として名所、史跡に指定されている。
「伊達政宗」は豊臣政権時代から隙あらば天下を収奪しようと何度も策略していたとされ、従って、中央から常に警戒されていた。
彼は「あと20年早く生まれていれば、天下が取れたのに」と悔しがっていたともいわれる。
徳川期の正宗は信任があったらしく、特に、三代将軍・徳川家光からは尊敬されていたらしい。 家光に「伊達の親父殿」と呼ばれていたこともあり、将軍就任の際に、正宗は率先して頭を下げ諸侯を抑えたともいわれる。
病床に着いた際も将軍・家光自らが見舞ったり、医者の手配をするなど配慮を見せている。 将軍の前での脇差帯刀も許されていたが、側近が酔って居眠りする政宗の刀を調べると中身は木刀であったともいわれる。
伊達者・伊達政宗は、1636年(寛永13年)5月江戸で永眠した、享年70歳であった。
独眼流正宗は、「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という考えから、死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられているという。
辞世の句は・・、
『 曇りなき 心の月を 先だてて
浮世の闇を 照してぞ行く 』
次回、政宗築城の「仙台城」(青葉城)
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