周遊紀行;温泉と観光(12)積丹半島 「神威岬」
積丹半島・「神威岬」であるが・・、
積丹半島の中央部先端が神威岬である。
そこは80mの切り立った細い岩峰が延びていて、”恐竜の背中”の様なその頂上付近には「チャレンカの道」呼ばれる、良く整備された遊歩道が付けられている。
眼下にはシャコタンブルーと言われる大海が広がり、その透明度は約20m以上ともいう。
その岬の先端から沖合いには、乙女の化身と言われる、高さ41メートルの「神威岩」が天を刺している。
剣状の神威岩には、ある伝説が伝えられる、『 日高地方の平取の酋長の娘「チャレンカ」は、源義経を慕って神威岬まで何十里も追って来たが、義経はすでに船出した後であり、彼女は悲しみのあまり、この岬から身を投じて果てた。 その後、彼女は岩と化し、常しえに愛を訴える神威岩になったと・・、 』
尤も、北海道の義経伝説は、和人のアイヌ対策上広められていったというのが一般的らしい。この岬は、アイヌ人達によって江戸末期(1856年)こ頃までは女人禁制の地で、船に女人が乗ると海が荒れて遭難すると信じられていた。
岬の先端付近に建っている灯台は、北海道に現存する灯台としては五番目に古く、明治中期の1888年に初点灯しているという。
「神威岬」は幕末まで女人禁制だった・・、
この辺りには女性を嫌う恐ろしい神がいて女性が乗った船を沈めるなどという伝説が信じられていた。
実際に、この灯台を巡って遭難事故も起きている。
この神威岬の海岸には大人が立って歩けない程の小さな手掘りのトンネルが今も残っているという。何故、このトンネルが堀られたのかは、大正元年10月に神威岬灯台職員の悲しい出来事があったからと言われてる。
神威岬灯台は明治21年に建てられ、当時、灯台職員とその家族が居住していた。
家族は、買い物をするのにも余別の部落(神威岬の東)まで片道4㎞の山道を通らなければならない生活をしていた。
その山道は、馬の背のような崖の道が続き、強風で一歩踏みはずすと海に転げ落ちそうなところが何カ所もあった。
荒れた日などは子供や女性はとても歩くことが出来ず、海岸の岩や大きな石を飛び跳ねながら歩くのが普通であったという。
切り立った崖からは落石があったり、特に絶壁が海に突き出たところなどは、凪の日や干潮時を見計らって波の間をすばやく渡らなければならなかった。
1912年(大正元年)10月の或る朝のこと、三歳の次男を連れた灯台長の奥さんと、若い職員の奥さんが食料品の買いだしのため、海岸を歩いて余別の集落まで出掛けた。
行く途中、その危険な岩場で思いがけない大波が寄せ、一瞬のうちに三人は海にのみこまれ行方不明になてしまったという。
この事故以降、村人はトンネルを掘るよう役所に陳情したが、「一般の道路でないため作れない・・、」と断られてしまう。
そこで村人は、自らトンネルを掘る作業を開始した。 そのころは現在とは違い満足な道具もなく、すべて手掘りであった。
両方から掘り進めるうちトンネルの中央が食い違ってしまい、困り果てて作業は中断していたが、ある日、反対側からハンマーの音がかすかに聞こえてきた。
今度は両方から鐘を鳴らして実験をしてみたところ、かすかにお互いの鐘の音が聞こえ位置の確認ができた。
中央で食い違っていたトンネルが少しずつ近づき、誰からともなく鐘の音に合わせ、念仏を唱えながら堀り進み、遂にトンネルは貫通したという。
それ以来、誰言うと無く、このトンネルの名は「念仏トンネル」と言うようになり、念仏を唱えながら通ると安全だと言い伝えられている。
今、このトンネルの前に、「念仏トンネル由来の碑」が立っているという。
ところで最近、日本の灯台の全てが自動制御になっており、従って灯台守、つまり現在「灯台」で暮らしている人は殆どいないといい、目の前の官舎は専ら灯台の航路標識事務所になっている。
実際は灯台守、つまり海上保安官が灯台の保守管理などの仕事しているが、やはりこちらも人員に余裕はないらしく、非番(当直明け)の時はもちろん休みの時も、灯台やブイや機械に不都合があれば容赦なく呼び出され、夜や荒天時の出動もあるという。
小生、幼少の頃習った好きな歌の中で、「灯台守」があった。
『灯台守』 イギリス民謡
凍れる月影 空にさえて 激しき雨風 北の海に
真冬の荒波 寄する小島 山なす荒波 猛り狂う
思えよ 灯台 守る人の その夜も 灯台 守る人の
尊きやさしき 愛の心 尊き誠よ 海を照らす
「ソ-ラン節」と並ぶ北海道のもう一つの民謡に、先に紹介したが「江差追分」があるが、この江差追分の数多い歌詞は、義経伝説や神威岬以北への和人や婦女子通行禁止を背景にして作詞されたものと言われる。
『 蝦夷地海路の 御神威様はネー なぜに女の足とめる 』、
「御神威様」とは神威岬のことである。
次回は、小樽運河
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