2009年12月13日日曜日
周遊紀行:温泉と観光(4) 「男鹿の景勝と温泉」
男鹿半島
戸賀湾と各目潟の景観(目潟は湾も含まれる: :県博物館提供)
周遊紀行:温泉と観光(4) 「男鹿の景勝と温泉」
「男鹿半島」は半島付け根・中央部には標高354メートルの寒風山が聳える。聳えるといっても草原状台地の火山で五つの小火山と二つの火口から成ってるらしい。
又、男鹿三山をはじめ、麓の戸賀湾を含んだ地域は爆裂火口地帯を構成している。
つまり、男鹿は元々は火山の島であったようである。
男鹿半島の北部突端部に戸賀湾がある。
県道121号線沿いに位置し戸賀湾、一ノ目潟、二ノ目潟さらには奥羽山脈・青森県境までもを眼下に眺望できる景勝地「八望台」というのがある。
その名は、「高松宮殿下」が命名されたという記念すべき名称でもある。
男鹿半島でも有数のビュースポットで、観光ツアーの定番コースにもなっている。
さて、戸賀浦と周辺地域のことであるが・・、
先端部付近には世界的にも珍しい神秘的な火山湖である一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟といった沼湖が存在する。
いずれも日本では男鹿半島にのみ存在する爆裂火口(マールとよばれる)湖であり、 この湖はマール湖と呼ばれる地形の典型的なものだといわれている。 尤も、戸賀湾そのものも四ノ目潟と呼ばれるマールで、火口が海とつながった火口湾であるともいう。
マールとは・・、
深底部にあるマグマが地下水と接触し急激に接触反応すると、水蒸気マグマ爆発と呼ばれる激しい 爆発が起こる。
この時マグマと水の接触の割合によって、その爆発力は連続的に 変化するが、その中でも激しい爆発が起こった時に作られるのが火山地形のマ ールである。
爆発力が強いために大きな火口が作られ、そのため噴出物は広い範囲に撒散らされるので火口の周りにはごくわずかの堆積物しか残らない。
そのため噴火が終わると火口は速やかに地下水で満たさる。
地下から上昇してきたマグマと地下水が接触して爆発が起こるので、その爆発は 地下水面よりも下で起こり、マールの形成には,マグマと水の接触の割合が関係しているともう。
このことから、どこの火山でも見られるという火山地形ではなく、国内では、九州・指宿地域、男鹿半島の当地、伊豆大島の波浮港などが代表的なマール地形で、地下水の豊富な海岸付近に比較的多いという。
地歴的に観ると、一ノ目潟の形成は9000年前、二ノ目潟と三ノ目潟は4000年前の縄文期と推定されているといわれる。
その八望台から一ノ目潟、ニノ目潟が眺望出来、その間に日本海が一望にできる絶好の展望地である。
この麓の岩礁海岸に、今年(2004年)7月、オープンしたての近代的な「男鹿水族館」があった。
周囲は人家一つ無い自然の中の海岸に忽然とあり、モダンな建物のわりには何故か違和感が無く自然に存在していた。
オープン前に、人気の映画「釣りバカ日誌」のロケ現場として利用されたらしく、前評判が大きかったこともあり、平成16年7月13日のリニューアルオープン以後、大勢の来場客で賑わいを見せているという。
小生も、開業直後の水族館を1000円の入館料を払って見物した。
アシカ、ペンギン等の人気の生き物や川の生き物をはじめ、巨大水槽、水中トンネルなど見所が満載で、水中トンネルは海の底にいる気分である。
館内には男鹿・秋田の海の生物が数多く展示されており、身近ながら中々見ることの出来ない目の前の日本海の中を知ることも出来た。
秋田の名物魚・ハタハタなどの男鹿を代表する魚も沢山展示されていた。
又、この地域は、昭和58年(1983年)5月26日午後0時「日本海中部地震」の強震が発生している。
秋田県能代市西方沖約100kmの地点が震源地で、マグニチュードは7.7、秋田市、むつ市、深浦町で最大震度5を観測している。
地震により発生した津波などにより、104名の犠牲者を出したことは記憶に新しい。
戸賀の加茂青砂地区でも、海岸で遊んでいた合川南小学校児童13人児童や外国人観光客が逃げ遅れて津波に飲まれた。
この日は、雲ひとつない青空で、海は鏡のようであったという・・、現在は、この地に慰霊碑が建っている。
さて、男鹿温泉である・・、
男鹿温泉郷は日本海に突き出した「男鹿半島」の東北端に湧く温泉である。
平安初期(806~810)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の東征の際に発見されたと伝えられる。
因みに、田村麻呂については前後して述べるが、平安時代の武官で、793年に陸奥国の蝦夷に対する戦争で征夷大将軍になって総指揮をとり、801年に敵対する蝦夷を討って降服させた人物である。
平安時代を通じて優れた武人として尊崇され、後世に様々な伝説を生む。中世においては、文の菅原道真、武の坂上田村麻呂と文武のシンボル的存在とされ、田村麻呂は京都の清水寺を創建したと伝えられる、清水寺は元の田村麻呂の自邸でもあったといわれる。
温泉が発見されたのは古代に遡るが、温泉場のして拓けたのは比較的新しいという。
現在では、10数件近いホテルや旅館を中心に多くの土産店が並び、男鹿を代表する宿泊地として、また秋田の奥座敷として親しまれている。
温泉郷の内、海岸沿いの松林に覆われた一角に、国民宿舎の「男鹿」があり、本日はこちらに世話になった。
中は広いが簡素な浴室で湯船は一つ、お湯は濁りのあるチョット珍しい「黄緑色」をしていて薄い塩味がし、「笹濁りの湯」という表現もあるようだ。
しかし、析出物はなかなかのもので、浴槽の底には赤茶けた湯花が大量に積もっている、それを思い切りかき混ぜると赤茶けた色の温泉になった。
お湯はとろりとした感じのもので感触は悪くなく、そこそこの入浴感もある。
ただ、少しぬるめになっていたせいかやや物足りなく感じがしないでもない。
動物の形をした温泉の注ぎ口が、元の形がわからないほどまでに析出していて、成分の濃さを感じる。
湯温はさして高くないのに浴中すぐに大量の汗が噴き出してくる、温もりの湯でもあるようだ、とてもツルツル感のあるお湯が気持ちは上クラスであろう。
男鹿温泉の湯ざわりは、なかなかの実力派であった。
泉質は、ナトリウム-塩化物泉で、効能は 皮膚病、婦人病、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え症など。
次は、深浦・「不老不ふ温泉」
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