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2011年9月11日日曜日

日本周遊紀行(169) 津久見 「大友宗麟」

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 日本周遊紀行(169) 津久見 「大友宗麟」   、




津久見は、大友宗麟の最後の居住地であり、終焉の地でもあった

向かう道路は番匠大橋で国道10号線と別れ、佐伯市内は海岸沿いの国道217号線となっている。
市内を去って程なく海岸の高台に至ったとき、佐伯の町並みが鮮やかに望下できた。
その正面遠方に元越山(もとごえざん・582m)であろうか、尖がり山が佐伯の町を見守っているようだ。 山は国木田独歩が佐伯に滞在中数回登り、あまりの景色の素晴らしさに感涙したという。

変化の激しい海岸道を行くうち、こちらは、ほぼ三角形の「彦岳」が眼前に迫る。 その裾野の海岸ギリギリのところを日豊線と国道が走っている。 
これらの地域は、山腹がいきなり海岸に落ち込んでいる険しいリヤス海岸で、所々、トンネルが貫通して無理やり通ってる感じでもある。 


程なく津久見へ達している。 市域としては比較的小さなエリアのようである。 
平成の大合併で自治体の数が少なくなり、その分、各自治エリアが広くなっているはずでがあるが、そんな中、津久見は隣の市町、臼杵市、上浦町に対して合併協議を申し入れているが、いずれも合併に対して、慎重な姿勢を変えていないという。


ところで、九州のなかでも大分県は、日本の「懐」というべき瀬戸内海や豊後水道に面し、台風の襲来や冬の厳しい季節風から守られているため、比較的温暖な気候に恵まれているという。 そういえば、九州地方が台風や梅雨時の大雨による被害が報告される中、大分地方は意外とニュースになっていないのに気が付く。 
津久見は、この温暖な気候と地形を利用してのミカンの栽培が盛んで、「津久見ミカン」は全国でも有名ブランドでもある。


その津久見は、戦国期には大友氏の支配下にあり、大友宗麟が津久見を最後の居住地と位置づけ、宗麟(1530~1587)終焉の地でもあるという。 

宗麟は、大友家の嫡男として豊後府内城に誕生、世に言う「大友二階崩れの変」(豊後大友家での御家騒動)で家督を継いだ。 
その後、毛利氏や秋月氏等との抗争を続けながら、その最盛期には豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後、日向と四国・伊予半国を支配し、強大な戦国大名となった。 

ところが、九州の関が原といわれる「耳川の戦い」の後、大友領内の各地で国人達の反乱が相次ぎ、島津義久などの侵攻もあって大友氏の領土は次々と侵食されていく。 
こんな中、天正14年(1586年)宗麟は中央で統一政策を進める豊臣秀吉に大坂城で謁見して支援を要請し、了解した秀吉は自ら兵を率いて九州征伐に出陣し、各地で島津軍を破っていく。 
だが宗麟自身は戦局が一気に好転していく中で病気に倒れ、豊後国・津久見で病死している。享年58歳であった。

九州征伐後、秀吉の計らいで長男・義統(よしむね)には豊後一国を安堵した。
その前に秀吉は宗麟に日向の地を与えようとしていたらしいが、宗麟自身は既に統治意欲を失っていて、これを辞退したという。 もしくは直前に死去したとされている。
だが、義統自身も朝鮮の役で秀吉に咎められ豊後を改易されている。
宗麟の墓は津久見市内と京都市北区の大徳寺にあり、さらに津久見市上宮本町の響流山・長泉寺に位牌がある。



キリシタン大名としても知られる大友宗麟である。
天文20年(1551年)に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルの知己を得たことがキリスト教との最初の出会いであった。
その後、キリシタンに帰依(洗礼名をフランシスコ・ソウリン)し、キリスト教の領内での布教を許可したり、施設団をローマ教皇のもとに送ったりしている。 
宗麟がキリシタンになったのは、南蛮の優れた文化を取り入れるためともいわれる。 

一方では、領主・宗麟がキリシタンになったことから大友家臣団の宗教対立にも結びつき、これは宗麟の晩年に国人衆の蜂起という形で、不利な立場に置かれ国を滅ぼすことに成ったのは皮肉である。 

宗麟は信仰を深めるほど、キリスト教の「汝、殺すなかれ」という教えと、戦の上で殺生は避けられない戦国乱世との間で葛藤し続けたともいう。


次回は、安心院(あじむ)





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