2011年2月3日木曜日

日本周遊紀行(74)足摺 「38番霊場・金剛福寺」

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 日本周遊紀行(74)足摺 「38番霊場・金剛福寺」   ,



写真:三十八番霊場・金剛福寺



奥の院・石鎚神社、足摺岬に縄文前期の縄文人が在住・・?、

次に金剛福寺に向かおう。
窪川町の37番霊場・岩本寺からは、中村、土佐清水などを経て100kmを超し、霊場と霊場の間の距離は八十八力所中一番長い札所であるという。
しかも、道程は深山的難所が多く 足摺半島岬などは往時は陸の孤島とでもいえる所であったろう。 しかし、ここは四国の最南端の地であり、すぐ前は広々とした大海原を望むところから、観音様の理想の土地(補陀洛)だともいわれる。

補陀洛とは、観世音菩薩が南海上の彼方に住むという信仰で、補陀洛渡海(紀州・勝浦の項に記載)といって補陀落を目指して信仰者が小舟で単身海を渡り入仏することで、中世、熊野(補陀洛寺)や足摺岬から試みられたという。

38番霊場・金剛福寺は、こんな明るい風景の岬の頂上にが建っている。 
仁王門をくぐると正面奥に立派な本堂が迎える、右手には清和天皇を祀り、源満仲(清和源氏の嫡流)が建立したという多宝塔がそびえる。清和天皇、源満仲は源家の創始者であり、武将たち、とりわけ源氏一門との縁が深い寺院であるともいう。 
境内は広く、ゆったりと造作してあり、霊気漂う雰囲気が充分に感じられる。左手に大師堂、弁天堂、愛染堂、鐘楼等が建ち並んでいる。 弘仁13年(822年)、弘法大師はこの地を訪れ、千手観音像を納めて「月輪山・金剛福寺」と号して第38番の霊場に定めたといわれる。

『 ふだらくや ここは岬の 船の棹 
      取るも捨つるも 法のさだやま
 』  御詠歌

御詠歌とは巡礼または仏教信者などがうたう和歌のこと。


自然の造形と人間の造作に心洗われ、足摺岬を後にする。 
先刻と通ってきた岬の東海岸は、遠慮がちに小さな港があり、人家も疎らで車も難渋がちに通るほど未開発の地で自然十分ところであった。
ところが対照的に西側に面する沿岸は高層の建物や人家が並ぶ賑やかな地域である。 尤もで、この辺りは足摺観光の拠点、大きな資源でもある「あしずり温泉郷」が控えていた。 白装束のお遍路さんは勿論、観光客も人汗流すには申し分ない所であろう。

この“あしずり温泉郷”は、古くて新しい不思議な温泉だと言われる・・?。
今から凡そ1200年前、当時極楽浄土に一番近いとされていた最果ての地・足摺村(足摺岬) に弘法大師が金剛福寺を建立したが、その頃より湯が湧き出し、疲れを癒したという言い伝えがある。
ところが150年前、「虎年の大変」と言われる日本で最大級の地震があり、(七日七晩揺れ続けたと言う)その地殻変動により温泉が閉じられてしまったという。
その後、平成の世に至って採掘した所、ラドン含有の良質の温泉が再び永い眠りから醒め、噴出したらしい。 ということで入浴の効用は無論、他にも御利益ありそうな温泉である。


帰路は、「足摺スカイライン」を行く。
足摺観光は概ね、この観光道路を利用しているのが普通であり、観光バスをはじめ車の往来も盛んである。 
今思うと往路では、静かな趣のある東海岸道から向かってきたことに納得するのであった。

スカイラインは、アップダウン、曲折が多くあるが、道はさすがに良好で、標高も400m程あり時折、視界180°の海が見え、これはこれで素晴らしい。
右手にこんもりした山塊が見えている、半島の高峰「白皇山」(433m)である。 
山頂付近に38番霊場・金剛福寺の奥の院でもある「石鎚神社」があった。今は、さびれた神社のようであるが名称の如く、山腹には巨石群があり、石鎚神社という名称は納得でアル。 

ところで、石鎚神社というのは、四国の名峰・「石鎚山」があり、この山を神体山(神しずまります山)とする御社の名称でもあるが、こちらの神社とは何かしら繋がりがあるのだろうか・・?。
又、この近くに「唐人駄場遺跡」といって、巨石を利用したと思われる「巨石遺跡群」(現在公園施設)がある。 かつては、直径約300mもの世界最大級のストーンサークル(環状列石:巨石記念物の一種、柱状または板状の石を環状に立て並べたもので、新石器時代から弥生時代の祭祀・埋葬に関連する遺構。ヨーロッパ・アジアに広く分布し、イギリスのストーンヘンジはその代表)があったという。 
残念なことに遺跡公園の造成中にほとんどの石は移動し、埋められてしまったというが・・、チョッと間の抜けた話である。

遺跡は、縄文時代前期:紀元前5000年頃に、南方から黒潮に乗ってきた古代人が最初に辿り着いた場所ではないかともいわれている。
石鎚神社は、金剛福寺の奥の院であり、古くから修験の中心地とされ、補陀落渡海の地だったとも云われる。
幕末維新に通訳として日米交渉に活躍したジョン万次郎のことは先に記したが、太平洋を流れる黒潮は、四国の足摺岬が接触点でもあり、黒潮という異界の海上の道は、多くの人やモノを交流させている。 同時に古代の人々も、この海の道によって現代人以上に交流していたのかも知れない。


クネクネと曲がりクネったスカイラインの道も、やがて下りきって元の国道321号へ合流した。
清水の街を抜けると、コバルトブルーの大海と岩礁折りなす美しい海岸線が延びている。この海岸道は別名「足摺サニーロード」と言われている、土佐清水の下の加江から大月町に到るまでのシーサイドロードで絶景が連続する。 
道は「日本の100名道」にもなっていて、私的選者である須藤英一氏によって選ばれたという。

日本の百名道とは、
彼はフリーカメラマンでツーリング写真を主に日本の道、風景を撮りつづけ、取材経験をもとに「日本百名道」(大泉書店)を出版している。
彼に言わせれば「道はただ単に走るだけの場所ではなく、移動するための通過点でもない。クルマで旅するとき、“あの場所に行く”ことだけが目的ではつまらない。途中には日本には美しい景色や風景が沢山在る。これらの風光を目出ながら、味わいながら走る道が沢山あるのです」。 

日本の百名道」 
http://www.ramble.net/sudo/road100/index.html 

因みに、須藤英一氏による日本の百名道のうち、小生がこれまで走破したのは凡そ6~7割に達しているようで、特に大自然の北海道は全道、走行しているようであった。

竜串(たつくし)という、風光明媚な海の観光地へ来た。 日本ではじめて一帯が海中公園に指定された地という。 
黒潮暖流の影響を受けて造礁サンゴや熱帯魚が生息する海の宝庫で、中でも「見残し湾」のシコロサンゴ群落は国の天然記念物に指定されている。 
周辺の岩場は、海食による奇岩怪岩が乱立していて一層、自然美を際立たせている。
トンネルが連続するあたりの先端岬・叶崎灯台が白く輝いて見えている。 この辺の海も実に最高である。


大月町の道の駅「ふれあいパーク大月」で一服入れる。 
公園内には桜の広場や梅林、子供達の遊具やアスレチックがあり、そして広大な公園全体を覆うツツジ(アケボノツツジ・・?)が名所のようだ。広い区域の物産センターの一角に、テント張りの数件の店舗が目に付いた。
美しくエレガントなサンゴ製品のお店であった。 ここ大月町は、古くから高級な桃色珊瑚の産地で、珊瑚の製造・加工・販売が盛んな地でもあるとか。
 

高知の西端にあたる宿毛へ向かう。
宿毛市街のすぐ手前、国道321号に沿って道の駅・「宿毛サニーサイドパーク」があったのでちょっと一服。 
道の駅は松田川の河口部でもあり、宿毛湾に出臍のように出ばったところに在って何より海の景色がいい。海はハワイか沖縄か?と思われるほど澄んでいて心洗われる。

宿毛」と書いて、恥ずかしながら読み方を知らず、“やどげ、しゅくげ、しゅくもう”、などと勝手に想像したが、みな外ずれて正しくは「すくも」と読む。
宿毛は清流・松田川の河口に開けた街である。太古の昔は遠浅の海であり、大湿原には一面に「葦」が生い茂っていたという。この枯れた葦のことを「すくも」と言い、宿毛の名前の由来はここからきていると言われている。

この地方は、宿毛貝塚といわれる遺跡が発掘されていて、既に、縄文中期(5千年前)頃から人跡が確認されているようで、古い土地柄でもあるようだ。 遺跡は国の史跡にも指定されてもいる。
それに、宿毛の幡多地方には、チョッと変わった名所があった。
幕末から明治にかけて、各村の要所々々に泊屋(とまりや)といって若い衆が宿泊する風習があった。 未婚の若者たちが火事などの見張りや災害に備えて泊り込み、救助に出動する慣わしになっていた。今でいう火の見櫓の番小屋のようなものであろうか・・?、
建物は二間四方の木造高床式の平屋建てで、屋根は入母屋造りのどっしりとした風格のある建物である。
当時の一般家庭の住居は殆どが平屋建ての建物で、平地ならこの高床式の泊り屋からは一望の下であったろう。 高床式の風格のある独立家屋は、多いときで百数十ヵ所も設置されていたといい、当時の、この地方の文化と治安状況が如何であったかが想像できる。
各集落にあった古風な泊屋も、今では大部分は破壊され、残っているは芳奈地区の4軒のみであるという。現在、国の指定をうけ、宿毛屈指の観光名所ともなっているという。

次回は、愛媛の「愛南町」 



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