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2011年10月3日月曜日

日本周遊紀行(173) 下関 「馬関戦争」

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 日本周遊紀行(173) 下関 「馬関戦争」   .




みもすそ公園に大砲が四門据ている。(馬関戦争は、藩が攘夷決行として馬関海峡を通過するアメリカ商船を攻撃したことに端を発する。)



幕末の思想は「尊王攘夷」であり、事件は攘夷決行の期限であった1863年に勃発する・・、

「みもすそ公園」のほぼ中央に大砲(おおずつ)が四門据えられている。 
これも下関の歴史を物語る史跡の一コマである。

江戸末期・幕末において、もっとも力と意味を持った思想は「尊王攘夷」、つまり天皇を尊び外圧・外敵・外国を撃退するという思想であった。 
ペリー来航以来、日本は鎖国から次第に開国へと方向転換する中、一部藩内では「外夷、外国打つべし」の攘夷論者が台頭する。 

そんな最中、事件は尊王攘夷派が攘夷決行の期限であった文久3年5月(1863年)に、長州藩が下関海峡(当時は馬関海峡)を通過するアメリカ商船を攻撃したことに端を発し、ついでフランス商船やオランダ艦船をも砲撃した。 

ただちにアメリカ・フランス軍艦から報復の攻撃を受けたが、長州藩は更に砲台を増強し強硬な姿勢を崩さなかった。 
更に、イギリスは列国の代表と連合協力体制を樹立し、中国にいた極東イギリス軍の動員も可能となっていたので、攘夷の急先鋒である長州藩に政治的効果をも狙って正式に宣戦を布告、一旦、諸船団を横浜に集結させた。 


元冶元年(1864)7月、イギリス9隻 フランス3隻 オランダ4隻 アメリカ1隻の総計17隻、大砲の総数288門、兵員5000人の四国連合艦隊は横浜を出航し下関に集結した。

イギリス留学から帰国した伊藤俊介(後の博文)、井上聞多(後の馨)が戦闘回避に奔走するも、長州藩は戦闘の方針は変わらなかった。 
そしてその年の八月、ついに連合艦隊は下関への砲撃を開始し,戦闘が開始された。 
連合軍は陸戦隊が上陸して長州軍を打ち破り、3日間で砲台の破壊、大砲の奪取を徹底して行った。 
長州藩は惨敗した・・!!。

その後、高杉晋作等によって和平交渉が行われ、長州藩は下関海峡の外国船の通行の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、下関砲台の撤去などの条件を受け入れて講和が成立した。 
以降、長州藩内の攘夷派は没落し、保守派(開国派)へと主導権が移っていくことになる。


この事は、同年代(1863年)鹿児島・薩摩において勃発した「薩英戦争」にも似ている。 
薩摩藩内でも攘夷論が闊歩するなか、実際に攘夷が発生している。(生麦事件:横浜近辺、生麦において薩摩藩士によるイギリス人斬殺事件) これが元で、薩摩、イギリスの間に戦闘が行なわれ、結果的には引き分け程度になるのであるが薩摩藩は、この戦争で攘夷の不可能を悟り、藩論を開国へと大きく方向を転回することになる。 

以降、長州、薩摩は倒幕へと転換し、薩長連合を以って「鳥羽伏見の戦い」から一気に明治維新へと繋がってゆくのである。
尚、賠償金300万ドルは、前年の攘夷は幕府の命令によるものと長州藩が主張し、列国もそれを認めて幕府が肩代わりして支払うことになったとする。 
幕府が倒れた段階で、残りは明治政府に引継がれている。

関門海峡は、平安末期、武家社会の出発点となった壇ノ浦の源平合戦からおよそ700年後に、はからずも江戸末期、武家社会を終わりに導く歴史の転換の舞台ともなったのである。


下関は、関門海峡を挟んで、本州の最西端に位置する山口県を代表する都市の一つである。
現在の都市規模は山口市をも凌ぎ、山口県一を誇る。 
中国地方でも5番目(広島、岡山、倉敷、福山に次ぐ)の大都市で、経済面でも山口県西部(旧長門国)の中心的都市であり、下関市に営業拠点を置く企業も少なくないという。

中心部の下関港周辺は、古くは赤間関(あかまがせき)と呼ばれおり、これを赤馬関とも書いたことから、これを略した馬関(ばかん)という別名も用いられた。

2005年2月、下関市、菊川町、豊田町、豊浦町、豊北町が合併(新設合併)して、新たに下関市が発足していて、国から中核市(法定人口が30万人以上)の指定をも受けている。


次回は、「仙崎




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