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日本周遊紀行(165)日向 「美々津」 ,
美々津は、神武天皇の「東征」の出発地である・・、
ここは日向市である。
先の宮崎の項でも述べたが、「日向の国」の中心は古代は日向宮崎であり、中世から江戸期にかけては島津氏や伊東氏の居城であった都城や佐土原がその中心であった。
そして、古代神代の時代におけるここ日向の美々津は、神武天皇の「御東征」の出発地として知られ、初代天皇として名を残した神武天皇の伝説の地であって、古代の片鱗がここにも残るという。
「神武天皇」という名は有名ではあるが、近世に至るまで、天皇の名は諡号(シゴウ=おくり名)として後から付けられたものであって、その時代に人々にそう呼ばれたわけではなかった。
たとえば神武天皇の名前は本来、古事記では神倭伊波礼毘古命・カムヤマトイワレビコノミコト、日本書紀では神日本磐余彦尊・カンヤマトイワレヒコノミコトといった。
その他の呼び名もあるようだが、神武天皇をはじめ現在使われている天皇の呼称は、奈良時代後期の文人である淡海三船(おうみ の みふね;天皇家筋の奈良時代後期の政治家、教養人、文人)が初代天皇から奈良時代までの凡そ40代の歴代天皇の漢風諡号を付されたとされている。
ところで東征というと東国、つまり我々の認識では関東や東北地方を平定したように聞こえるが、 邇邇芸命(ニニギ)の天孫降臨以来、九州に国家を構えていた天皇家(宮崎)にとっては、東国とは近畿地方あたりを指したようである。
即ち、この神話は九州に都を持つ国家の王が、近畿地方までを勢力下に組み入れ、名実共に大八島(オオヤシマ=日本全州)の中央を制圧したという事である。
神武天皇45歳のとき、宮崎市の皇宮屋(こぐや:神武天皇の居所、宮崎神宮・摂社)で東征のための軍議をなされ、大和へ向かうことを決心する。
そして船出の地に選ばれたのがここ美々津であったと伝えられている。
この地から舟出した神武天皇一行は、沖に浮かぶ一ッ神と七ッバエと呼ばれる二つの岩礁の間を通って旅立ったとされ、その後、天皇一行が二度と戻られることがなかったが。
因みにその後、この岩礁の間を通ると二度と戻れないとされ、現在でもこの間を通って沖に出る漁船はないといわれる。
出港後は、豊国(大分宇佐宮)、筑紫岡田宮(福岡芦屋)から阿岐の国(広島安芸)へ、そして吉備国高嶋宮(岡山)から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入った。
浪速では、上陸を阻止しようと長髄彦(ナガスネビコ;大和地方の豪族の長で、イワレビコの東征に抵抗したとされる)との戦いが行われ、この時、イワレビコは「日に向かって戦うことは不吉である」として更に、南の方へ回航しその後、紀州に回って大和に入ったとされている。
大和を平定した後に橿原宮(かしはら宮:奈良)で即位し、初代天皇となるが、この日が紀元節と言われる現在の2月11日とされ、つまり「建国記念日」である。
神武東征御船出の地として美々津港の右岸、耳川に面して「立磐神社」いう社が建っている。神武天皇東征の折、ここで戦勝と海上安全を祈願したといわれ、後に景行天皇の時代に、東征を記念して創建されたと伝わっている。
東征の船出を待つあいだ、腰かけていたという「腰かけ岩」も祀られている。
又、この社のすぐ近くに「日本海軍発祥之地」の記念碑が建つ。
神武天皇親率の水軍が初めて編成されて進発した地とされ、即ち、日本海軍は天皇が統治された海軍で有っことから、国が美々津の地を海軍発祥の地と定め建立したという。
『紀元二千六百年』の歌 紀元2600年奉祝会選定(昭和14年、NHK作)
金鵄(きんし)輝く 日本の
栄(はえ)ある光 身にうけて
いまこそ祝え この朝(あした)
紀元は二千六百年
ああ 一億の胸はなる
荒(すさ)ぶ世界に ただ一つ>
揺るがぬ御代に 生立ちし
感謝は清き 火と燃えて
紀元は二千六百年
ああ 報国の血は勇む
次回は、「延岡」
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