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日本周遊紀行(147)知覧 「特攻の真実」 ,
薩摩富士と呼ばれる「開門岳」と池田湖
彼等は、古里の「開聞岳」を二度旋回して死地に向かったという・・! 、
第二次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)末期の日本で、戦況不利な状態下、陸海軍あげて大規模で特別な計画作戦として、「特攻作戦」が計画、実施された。
その理由として、先ず、優秀な搭乗員の減少により、通常の航空攻撃は既に充分な戦果を得ることができなくなった。
そして初めて行われた特攻作戦はあくまで志願制ではあったが、幾ばくかの戦果を上げることができた。
しかし、末期に至っては事実上強制的な特攻隊の編成が行われ、攻撃目的も精神論的なものが主眼となり、アメリカ軍の対応強化もあってその有効性が大幅に減じられたといわれる。
知覧では、昭和14年頃から陸軍飛行場としての調査がはじめられ、昭和16年、陸軍飛行学校知覧分教所として正式に開校された。
少年飛行兵や学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていたが第10期生の頃から、この飛行場は、ほぼ三年間にわたって特攻基地としてその役割を果たすことになる。
中でも、戦いの終盤、沖縄決戦において「特攻」という人類史上例のない作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となって突撃していった。
一機一艦の突撃を敢行した「特攻機」は全部で2500機といわれ、そのうち1900機が沖縄に押し寄せた米機動部隊に突入したとされるが、その中心が知覧飛行場であった。
特攻は、知覧基地の他にも万世基地(知覧から西へ約15kmの吹上浜に面する位置に万世飛行場という特攻基地)や都城基地(宮崎県都城市)などから出撃し、1036人の隊員が戦死したのである。
知覧基地を飛び立ち、南へ向かう特攻隊員たちが見た風景は,薩摩半島南端の開聞岳,左手に池田湖,その向こうに大隅半島であったろう。
彼等の一番つらかった瞬間は、飛行機に乗り込むときに残った足が地面を離れる刹那、そして飛び立った後、振り返る度に見えていた開聞岳が見えなくなった瞬間、その2回だったといわれる。
そして彼等は「薩摩富士」と呼ばれる三角錐の際立つ秀麗な「開聞岳」を、二度旋回して死地に向かったという。
「特攻という戦法の自殺的行為」に就いては、戦中の国民皆兵、軍人教育、そしてあの有名な皇国教育は、国のために命を捧げることを徹底して教えこまれていたから、元々、戦争へおもむく兵士は生きて帰れることなど考えていなかった。
たまたま終戦、或いは不時に着任出来なかった特攻パイロットの中には帰郷が許された者もいたが、その時は軍から「特攻の任務については極秘にせよ」と厳命されたといい、当の本人も家族を悲しませたくないという思いもあり、大半の特攻パイロットは、家族には語らず死んでいったともいう。
遺書にも親や残された者が悲しむことのないように、気遣った文面が多く目立つのはこのためであった。
1944年10月、第二次世界大戦中(太平洋戦争)にフィリピン・レイテ島沖で行われた、通称「レイテ沖海戦」が行われた。
日本海軍とアメリカ海軍との、両国海軍が総力をあげて戦った史上最大の海戦としても有名である。
「戦艦大和」、「戦艦武蔵」を主軸とした水上部隊が参加し、日本側の作戦名は「捷一号作戦」(しょういちごう:捷は勝の意味で勝利に通ずる)と呼称した。
アメリカ軍によるフィリピン奪還作戦(米側ではマスケティーア作戦と呼ばれた)の阻止を目的として行われた。
日本海軍はこの海戦を最後に、組織的抵抗を終えたとも言える。
又、この海戦で「神風特別攻撃隊」による攻撃が初めて行われた。
海軍として最初の組織的な「航空機特攻作戦」は、大西瀧治郎海軍中将により提唱されたという。
大西は生還を全く期さない戦法を自ら「特攻は外道の統率」であると認識していて、この作戦に応呼すべきは1回限りの奇襲策と考え、決断したはずであり、アメリカ空母を一時的に行動不能にするためには有効な戦法と判断し、それを命じている。
しかし、1回限りの奇襲策が意外な程の戦果を挙げたことから、特攻作戦の継続、拡大することになる。
大西中将はかねて「特攻に狎(なれる)れてはいけない」が口癖であったといい、「特攻が日常化すると、命ずる方はそれを単に事務的に処理しがちで、命じられた方の心理や不安、心の葛藤や恐怖心、そして何よりも彼らの献身や犠牲の大事さを忘れがちになる」とも言っていたという。
しかし、実態は、陸海軍とも初期戦果に目を奪われ、たちまち、「特攻に狎らされてしまった」のであった。
その後、全軍特攻へと拡大し、狂気の自殺攻撃の兵器を生み出し、全軍特攻から全国民特攻へと暗黒の道を辿ることになり、行く手には日本民族そのものの玉砕による滅亡が危ぶまれる事態へとなっていった。
「特攻隊生みの親」は大西海軍中将と言われるが・・、
一方、既に、海軍内では検討されてきた事案で、大西中将は発案者ではなく実行者であるとも言われる。
いずれにしても彼は終戦の昭和20年8月16日未明、一切一身の責任を負い、介錯なしで割腹自決している。
大西は「特攻隊の英霊に曰く(いわく)、善く戦ひたり深謝する」ではじまる、特攻隊員に感謝し、遺族に詫びた遺書を残している。
ある新聞記者が、特攻の生みの親とされる大西中将にインタビューを行った。 その中で『 わしはな、神風攻撃で戦局を覆せるとは思っていなかった。今も、そう思っている。それにもかかわらず、わしは、次から次へと、若い人たちを死にかり立てている 』、 『 わしはな、この日本が破れようとしている時に、若い人たちが喜こんで敵に体当りをして死んで行ったという歴史をつくりたかった。つくっておきたかったと言った方が正確だな(中略)そういう歴史がないと・・、後世の日本人はどんなに淋しいことだろう 』・・と。「現代史の証言」より・・!!。
当時の戦争責任者・・?の「内心の暴露・・?」を我々はどう解釈していいのやら・・??、
一人の過去の人間に対して、一方、二方・・多方と種々の見方ができる。
歴史も同様で、歴史の一つの事象に対して一方、二方・・多方の見方ができ、戦争の責任問題にしても然りである。
戦争を発祥し、命令し、命令されて戦地に赴く・・!、
特攻を発案し、命令し、命令されて特攻機で戦地に向かう。
命令するものと、命令されるものの一線を何処に科すのかは常に曖昧である。
歴史(過去の事象)というものは概念的な結果であって、多くの曖昧さが含むものであろう。
命令するものも、命令されるものも、一線共通しているのは、結果を望んで使命感に溢れ、純粋に、実務を遂行したことであろう。
つまり、戦争の責任を同国民として何処に科すのか、誰に科すのかという事は非常に曖昧のような気がするのである。
曖昧さゆえに現世の人々は、結果に対して如何様にも考えられ、如何様にも発言できるのである。
大事なことは「過去の経過、状況もさることながら、その結果であって、その結果を現在に生かし、未来にどう繋げていくか」という事であろう。
現在、多くの「特攻隊員」が祀られている「靖国神社」は、その参拝について多々の物議を醸し出している。
他所様(よそさま:外国、中国、韓国))が靖国のことで色々言っているが、それはある意味で仕方がないが(勝手であるが・・)、日本国民の知識人や責任階級者が、それに乗じてかどうか確かではないが、靖国神社に「参拝するな」とか、「分祀せよ」とか、宗教法人を取り払えとか、果ては別の慰霊所を造れと物議が湧き上がっている。
この優秀な(・・?)日本人は「 歴史を、どう断罪しようとしているのか・・? 」、そこに見えるのは歴史の多様さ、曖昧さへの認識の疑問と思考的傲慢さが透けて見えて仕方がないのである。
やや陰鬱な気分で記念館を出、直線の桜並木へ戻る。
この「直線の桜並木」は当時、死出の旅立ちの、片道だけの滑走路だとされる・・!。
今年は(2005年)戦後60年の節目を迎えて、知覧特攻平和会館への訪問者は、さすがにいつもの年より多いと言われる。
次回は、「頴娃」・・?
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祝い・・!! 平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月)
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