google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。: 日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」(2)

2011年5月20日金曜日

日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」(2)

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 日本周遊紀行(130)別府 「鉄輪温泉」(2)  ,



写真:宿・双葉荘前の「地獄原温泉」


鉄輪温泉の入浴無料・「渋の湯」




一遍上人の開湯、別府・鉄輪温泉・・、

翌朝、眠気覚ましに当館の温泉に浸かって、朝飯前の散策に出かける、昨日とは違ったコースで温泉街の共同浴場を巡ってみた。 
先ず小生の部屋からも覗ける宿の正面、「いでゆ坂」に面した「地獄原温泉」がある。
入口にあるお地蔵さん(一遍上人・・?)のさい銭箱に100円を入れて男女が左右に入場するようになっている。 

克っての平安後期から鎌倉期、この辺りは一面に噴出する「熱湯地獄」だったという。 
古い記録によると鎌倉期の僧・一遍上人が九州巡歴の際に立ち寄り、地湯の湧くこの地を温泉地として開拓したといわれ、今もこの辺りは「地獄原」と呼ばれている。
共同湯の名称もここからきている、含ホウ酸食塩泉。


ご存知、一遍上人は鎌倉中期の僧(1239~1289)で時宗(念仏宗)の開祖でる。
一遍は日本中を遊行(修行)しながら「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え、名号(みょうごう・仏、菩薩の名)の札を出会う人ごとに配ってその世界の楽しさを“踊り念仏”で表現したと言われている。現在の「盆踊り」の発祥とも言われている。 

13歳になると九州・大宰府に移り、10年以上にわたり浄土宗を修行する。 
一旦、還俗するが32歳再出家して、上人が九州の地を踏むのは青年期の修行時代と壮年時代の遊行時代になる。 

古い文献によると建治2年に「一遍上人が九州にくるや、初めてこの地に上陸したとの伝承があり、これ上人ケ浜の名ある所以なり」とあり、今の八湯の一つ亀川温泉の海浜砂湯の上人ケ浜は、その地名の由来とされるという。 

又、当地の共同湯「むし湯」は鎌倉期の建治2年(1276)に一遍上人によって創設されたとあり、受付の前には一遍上人の木像 が安置されている。 
建治2年は上人が38歳の時であり、九州遊行時である。

いで湯坂の中ほどに一遍上人所縁(ゆかり)の「永福寺」がある。
この寺院では、鉄輪の地獄を鎮め、温泉を開拓した一遍上人を「渋の湯、蒸し湯」にお入れする御祭りが行われるという。
永福寺に祀られている上人座像を御室ごと運び出し、「渋の湯」で洗い清め、「むし湯」に入湯させる「湯あみ法要」が行われるという。


次に、宿の裏側から行く、小さな路地だが食料品の小店もあり十字路の先に「熱の湯」がある。
始めは下熱の湯とも言われたらしく、身熱を除去する効果があることから名づけられたという。
入浴無料がいい。 塩化物泉。 

十字路には「すじ湯」が在る。 
木造平屋の普通の住宅の様な共同浴場あり、組合員と宿泊者のみが利用できるらしい、一般客もOk・・?入浴料は寸志とか。


鉄輪温泉特有とでもいえる貸間風の小さな温泉宿が並ぶ路地であり、時間の早い朝方なので未だ人通りは少なく閑散としている。 
ただ共同浴場のオープンは早く、6~7時には開いているようである。
この周りには既に浴衣姿の人々が行き来している。

路地を真直ぐ行くと、この地の中心とも言えるところ共同湯が三軒並ぶ。手前に一遍上人が開湯したといわれる「蒸し湯」がある。 
約八畳ほどの石室があり、温泉で熱せられた床の上には菖蒲(しょうぶ)によく似た石菖(せきしょう)という。
清流沿いにしか群生しない薬草が敷きつめられていて、その上に人が横たわる。石菖特有の純朴な香りで・・、
 
『 豊後鉄輪 むし湯の帰り 肌に石菖の 香が残る 』 

と詩人の野口雨情が詠っている。 
浴料210円で、Tシャツと短パンを持参せよとある。 

次にモルタル造りの一寸古ぼけた「元湯」がある、組合員と宿泊者のみが利用できる共同浴場らしい湯のようで、無色透明で柔らかく、ぬるりとした感じで美肌の湯ともいう。 

奥にあるのが「渋の湯」で、現在の建物は平成10年に建設され真新しい共同湯で、鉄輪を訪れる人々が行き交う「いでゆ坂通り」にも面していて判りやすい。 しかも無料温泉なので多くの利用者でにぎわうという。 塩化物泉。

鉄輪温泉の「いで湯坂」の上部に位置するのが「上人湯」である。
本来は組合員だけの利用しかできないようだが前にあるお店で入浴料を払い、入浴札を借りることで湯に浸かることができる。
白壁造りの中央入り口に神棚が設えてある。この地に上陸した一遍上人に因んでその名が付いた。

「 いでゆ坂」の南、平田川沿いにあるのが「谷の湯」、小さな宿が建ち並ぶ混み入った鉄輪温泉、そんな中でも一寸分かりにくいところにある共同場である、入浴料80円・・?。

その他にも温泉スパ・「ひょうたん温泉」や双葉荘の反対側にも一軒在り、鉄輪温泉地区でも他を合わせると全体で10数件の共同湯があり、その殆どが無料から100円前後で入れるというから真に温泉天国である。


最後に人気の「渋の湯」へ入ることにした。 

無料なので番人も何もないのが妙な感じであり、既に数人の先客があった。
肝心なお風呂は大人がゆったり5、6人が入れる広さであり、やや白く濁り気味である。 

浴槽には源泉が投入されているが水道水もガンガンに投入している。
熱いから仕方ないが温泉効果が減退されて一寸勿体無い感じもする。 先ほど宿の湯に入ったばかりなので、浴槽に浸かるというより湯船の縁で“湯かぶり”で雰囲気を味わう程度であるが・・!。 
ここ渋の湯はナトリウム-塩化物泉で源泉温度89.5℃、かなりの高温。無色透明、無臭のサッパリしたお湯でph4.6とやや酸性であるが、そんな感じは受けなかった。


今日の予定を考えながら、宿に戻った。 
朝食の後、昨日のまとめをして「地獄めぐり」へ出かけることにした。

鉄輪温泉と地獄MAP  http://www5.ocn.ne.jp/~kannawa/newkmap0311.html


次回は、「別府八湯




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