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.『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(128)北里 「北里柴三郎」 ,
北里は第1回ノーベル賞の最有力候補となるが、「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外された・・!!、
サッパリ気分で「黒川温泉」を後にする。
粋な川端通りから橋の袂に来たとき、河原近くに共同浴場の「穴湯」がこじんまりと佇んでいて入浴料100円とあった。
先ほど来た道を一旦小国町まで戻り、熊本、菊池から延びている国道387を行く。
途中、北里地区(小国町)に「北里柴三郎記念館」があった。 細菌学者で医学博士の北里柴三郎の生家であり出身地である。
この辺りの地域名は「北里」と称しているが、元々、肥後の国・北里村であったようで柴三郎は江戸末期・嘉永5年に、この村の庄屋の倅として生まれている。当時は「北里村の柴三郎」という呼び名であったろう。
江戸時代には「苗字帯刀」(姓名を唱え、刀を腰につけること)は武士だけの特権であり、身分を示す象徴としての役割を果していた。
しかし庶民の中でも特に家柄や功績によって、又ある場合には御家人株の売買などによって苗字帯刀が許されることもあった。
その場合は一代許可、永代許可、名字のみ、帯刀のみの例もあったようである。
1870年(明治3)に太政官から苗字差許し(さしゆるし)の布告が出されたが、市民は苗字がなくても特に不自由しないので苗字を名乗ろうとはしなかった。
しかし、明治政府は戸籍整理のため1875年には苗字を持つことを強制、義務づけられた。
同時に帯刀については、同じく1870年に庶民の帯刀は禁止されている。
苗字の付け方は各々自由だったらしく、山の方に住んでる人は山に関係した呼び名で山本、山下、山中・・、海辺の人は浜中、浜内、内海・・、村や地域の名を取って付けた人はその土地の功労者や責任ある立場の人であったろう。
北里家は元々村の庄屋であったので村の名を名乗ったのかもしれない。
因みに、9月19日は「苗字制度の日・苗字の日」、2月13日は「苗字制定記念日」である。
北里柴三郎は細菌学者として野口英世と並び、世界にその名を知られる。
小生在住(厚木市)のすぐ近く、神奈川県相模原市北里地区に北里大学病院があり何度か世話になったが、近辺の人達にもかなり評判が良い病院のようである。むろん、北里柴三郎が創立した病院である。
明治中期(1901年)、日本最初のノーベル賞の受賞確実とされたが、偏見にて除外された事は「知る人ぞ知る」であろう。
この時、共同研究者であったベーリング(ドイツの医学者)と共にジフテリアの血清療法を発表し、その功績により1901年の第1回ノーベル賞の有力候補となるが北里は「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外され、べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞したという。
この件に付いての資料が近年発見され、初期のノーベル賞受賞選考の際に明らかな人種差別があった事の証明となり、ノーベル賞の「負の歴史」として残されているという。
北里柴三郎は明治4年(1871)熊本医学校に学び、更に東京医学校(現東京大学医学部)に進んでいる。卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホ(ドイツの細菌学者、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者)に師事する。
ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので世界の医学界にその名を留めた。
帰国後、福沢諭吉などの援助により伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡を残す。
この研究所では野口英世(福島県猪苗代の貧農家の出身・日本の世界的細菌学者で黄熱病や梅毒等の研究で知られる、研究中に自身も感染して51歳で死去)なども学んでいる。
福沢諭吉の没後の1917年(大正6年)、彼による長年の多大なる恩義に報いるために遺志を継ぎ、福沢の創立した慶應義塾大学に医学部を創設し初代医学部長・付属病院長となる。
新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力したという
又、明治以降多くの医師会が設立されたが、一部は権威争いで反目しあうなど、ばらばらであったが1917年(大正6年)、柴三郎は全国規模の医師会を統合し初代会長となって大日本医師会が誕生する。
その後、医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたっている。
昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に多大な貢献をしたのである。
次回は、「湯布院」
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