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2011年4月8日金曜日

日本周遊紀行(112)呼子 「名護屋」



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 日本周遊紀行(112)呼子 「名護屋」   、



秀吉の行った半島進出は朝鮮の出兵か、侵略か、征伐か・・?

名護屋湾が深く入り組んでいる。その途中の大橋を渡ると鎮西の「名護屋」である。
秀吉が晩年、執念をもって外夷に走った有名処であり、方々各所に秀吉直臣だった福島、堀、黒田の各氏、又、徳川、上杉といった大大名の名も連ねる陣屋跡である。

名護屋城は今から400年程前、全国平定をなしとげた豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国(今の中国)へ向けて出兵(文禄、慶長の役)するため、その前進根拠地として築かせた城郭である。
城郭は元々松浦党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城であったところで垣副城と称していた。
その跡に秀吉が大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりに築城したものである。

天正19年(1591年)8月に起工、加藤清正、寺沢広高が普請奉行となり、九州の諸大名を中心に総動員し、突貫工事で挙行、僅か八ヶ月後の文禄元年(1592年)には完成したという。 
規模は、当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮なものであったらしく、本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、本丸北西隅に五重七階の天守が築かれた。 

城跡からは、金箔を施した瓦が出土しており、派手好きの秀吉らしく戦争の為に構えた城郭であっても絢爛豪華であったことが伺える。 
城郭の周辺には各大名の陣屋が配置され、最近、秀吉の茶室跡等が見つかったと話題を呼んだ。


朝鮮の役は、豊臣秀吉が1592(文禄1)~93年,1597(慶長2)~98年の2度にわたって朝鮮を侵略した戦争である。
全国を統一した秀吉は、国内の支配体制をさらに強化し、領土を広げようとして明(中国)の征服を画策し、朝鮮側(李氏朝鮮)に道案内を求めた。 
しかし朝鮮が断ったので二度にわたって16万人ともいえる兵団を朝鮮へ向かわせた。 

はじめ,朝鮮の都・ソウルを陥落させ北方まで進んだが,後に明・朝鮮の連合軍に苦戦したが、1598年、秀吉の病死によって終戦となり兵を引きあげた。

この戦は近年になって物議をかもし、「朝鮮出兵」と呼ばれることが多いが、朝鮮側が受けた被害に関心をもつ立場などからは「朝鮮侵略」と呼ぶこともある。
これに対し日本側の立場からは朝鮮征伐と呼ばれる場合もあるとか。 

豊臣政権時から江戸時代後期に至るまでは、明の征服をも目指していたことから唐入り、唐の御陣、また高麗陣、朝鮮の陣などと呼ばれたこともあるとか。 
又、近年の教科書には、当事国の意を汲んで朝鮮侵略と表記されていることが多いという。
現在、これら陣屋跡の発掘が進んでいるようである。

中でも有力大名であった前田利家が置いたとされる陣屋の発掘調査がこのほど終了したといい、調査では利家の大規模な邸宅跡も確認されている。
又、昨今、名護屋城跡の周辺では、全国から終結した徳川家康ら有力武将の陣屋が、約130箇所程確認されていると言う。


名護屋は、昔は名護屋村と称していたが、今は鎮西町の行政区のようである。 
鎮西(ちんぜい)と聞くと、高校野球の鎮西高校、鎮西学院など熊本を連想するし、それに鎮西といったら九州のイメージになるが。

奈良期、大宰府を改称して設けられた九州統督の役所を鎮西府とした。 
平安期、身内の諍い(いさかい)で九州へ追放となった源 為朝(ためとも:頼朝の叔父)は、九州を制圧したことから「鎮西八郎為朝」と名乗って、その威風を都にまでとどろかせた。 
又、鎌倉期、1185年、源頼朝が家臣を九州地方に派遣して、平家残党や逃亡中の義経の監視及び元平家の九州御家人を統制さする所謂、「鎮西奉行」、「鎮西探題」を設置した(鎮西守護)。
元来、「鎮西」とは、九州の地を鎮めるという形容的意味合いで呼ばれたものであって、地域の固有名ではなかった。

地方の小さな行政名が、故あっての事とは思うが、「鎮西」としたのは些か名前負けはしないだろうか・・?、 
尤も、鎮西町は呼子町など八市町村が合併し、2005年1月1日に新「唐津市」となってる。 
従って、九州地区の自治体名で「鎮西」というのは現存していないらしい。

次回は、伊万里の焼物



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