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日本周遊紀行(96)尾道 「しまなみ海道」 、
しまなみ海道に架かる世界一の斜張橋・「多々羅大橋」
「しまなみ海道」は徒歩、自転車で通行ができるという・・、
山陽道を一路、西下して尾道方面へ向かう、
本州と四国を結ぶ三つの橋のうち、西側に架かるのが愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶのが「しまなみ海峡道」である。
この道は愛称を全国から公募し、「瀬戸内しまなみ海道」と称するようになったという。
瀬戸内海のこの辺りは大小の島々が最も密集している所で海流が激しく、従って海洋交通の難所でもある。
瀬戸大橋、明石海峡大橋に続き、最後に開通した「しまなみ海道」は、これらの島々の内、大きな六つの島を渡りながら結んで通る、まさに海に浮かんだ「しまなみ」海道(本四連絡道路・今治―尾道ルート、西瀬戸自動車道)である。
しまなみ海道は、美しい瀬戸内海に浮かぶ島々に個性的な10本もの橋が架けられている。
又、このルートの最大の特徴は全ての橋を徒歩、自転車で通行ができ、自動車で一瞬にして渡ってしまうのではなく、のんびりと橋の上からの絶景を楽しみながら渡れるのがいい。だが、距離的には本州・尾道から四国・今治までの自転車・徒歩の場合は約80kmにも及ぶという。 1999年(平成11年)5月に全線開通したが、一部の島では有料高速道路は未だ見完成で、現在も工事が進められている。
福山西I・Cから一旦2号線の尾道バイパスに出て、西瀬戸尾道I・Cより先ず一つ目の「向島」へ渡る。
渡ると言っても今までのイメージの大海峡の大橋を跨ぐのではなく、川のような細い水路のような向こう側で、「向島」が島という印象はない。
しかし、細い海峡を挟んだレッキとした島なのである。
ここには二つの橋は平行して架かり、今走っているのが「新尾道大橋」で自動車専用道路であるが、もい一つの「尾道大橋」は通勤、通学や買い物など、所謂生活橋としての役割を果たしている。
向島には、日立造船・向島西工場が在り、ここに映画「男たちの大和/YAMATO」の撮影のため「戦艦大和」の実物大ロケセットが造られ、撮影終了後は一般公開もされるという。
次は因島である、繋ぐ「因島大橋」は橋長1270mの端正な吊橋で、上下二段構造になっており、上部は自動車専用道、下部は自転車歩行者道が架かっている。 因島は、全国でも珍しい島の都市・因島市であった、しかし、2006年1月、隣接する瀬戸田町とともに尾道市に編入され消滅している。
先にも記したが室町・戦国時代、「日本一の水軍」といわれた村上水軍が能島、来島、因島の三島に本拠地を置いた地でもある。
国道沿いの小高い丘に、今は展示資料館になっている「因島水軍城」があり水軍旗や甲等、水軍に縁のある品多数が展示されてる。水軍城は水軍の故里・因島に相応しいものとして、歴史家・奈良本辰也氏の意見を参考に1983(昭和58)年12月に築城されたという。水軍城の麓にある「金蓮寺」は村上水軍の菩提寺で、裏には水軍歴代の墓があり、宝筐印塔18基や五輪塔などが多数ある。
次に生口島である・・、
ここを渡る「生口橋」は「やじろべえ」の原理でバランスをとりながら、ケーブルを張って造られた斜張橋で、世界第九位の規模を持つという、実は、次に渡る「多々羅大橋」が世界最大なのであるが。 生口島は、現在高速道としては未開通で、一般国道317号を行くようになる。
東海岸沿いの見通しの良い道路で、眼前には「岩城島」をはじめ内海を塞ぐように島々が乱浮している。
生口島は行政名は瀬戸田町といい、町の中心は反対の西側の突端部にあり、すぐ前の「高根島」も町域に属する。 島の西方、サンセットビーチの沖合2kmの沖に浮かぶ「鯨形」をした島は「ひょうたん島」といい、昔、NHKテレビで人気を誇った人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島と云われている。
生口島・瀬戸田町の出身の著名人に、日本画壇の最高峰といわれる平山 郁夫(ひらやま いくお)氏がいる。 絵心画才の無い小生にとって、絵画の価値や良さはあまり判らないが現代画家の最高峰にいるともいわれ、その作品価格は存命する画家の中で飛びぬけて高いと言う。 奈良・薬師寺の玄奘三蔵院伽藍の「大唐西域壁画」の十三壁面は生涯の大作といわれ、「仏教伝来」、「入涅槃幻想」、「祇園精舎」といった、仏教を主題にした幻想的な作風を確立している。
又、シルクロードシリーズやアンコール遺跡をはじめとする世界各地の文化遺産の保護修復活動やユネスコ親善大使など国際的にも貢献、尽力している。
瀬戸田町のほぼ中央に「平山郁夫美術館」が在り、現、東京芸術大学学長でもある。
島の南端から再び「しまなみ海道」の有料道路に入る。 勿論、次の海峡の大橋に掛かる「多田羅大橋」である。瀬戸田PAより、その壮大な勇姿が望めた。広島と愛媛を結ぶ斜張橋で、姉妹橋であるフランスのノルマンディー橋を超えて世界一の優雅な橋になった。
その姿は巨大なハープに似て、別名ハープ橋ともいう、まさに夢の架け橋である。
「大三島」に来て上浦P・Aで一服入れる。
西側遠方で「ヘリ」の爆音声が頻繁に聞こえている、良く見るとボーとであるが煙がタナビーている。昨日昼頃、ラジオニュースで報じていたようだが、未だ消火に致ってないようである。
その後の情報によると、「28日夕方、今治市大三島で発生した山林火災は、3日目を迎えた30日になっても延焼が続き、これまでに130ヘクタール余りが焼け、火の勢いは弱まったものの、依然延焼が続いている。 地元だけでなく広島県や香川県からも応援部隊が投入され懸命の消火活動が続いているが、延焼部分は急斜面のため消火活動に入れない状況である。また、島内の別の場所でも不審火と思われる出火が3件相次いでいることから、警察、消防等で警戒を強めているという。 山地であるため、人的被害は出ていない模様」
その後、愛媛県今治市の警察は、別の放火事件で逮捕・起訴された男が火をつけた疑いが強まったとして、森林放火の疑いで再逮捕した。調べに対し、容疑者は「もやもやした気持ちから放火した」などと供述し容疑を認めているということで、警察で さらに裏付け捜査を進めているという。
とんだお騒がせ事件である・・!!。
次に「伯方島」であるが・・、
パーキング・エリアの正面には、視界を塞ぐように「伯方島」が横たわる、この狭い海峡を跨ぐ変わった形の白いアーチ橋が「大三島橋」であるが、しまなみ海道の行程は事情によりここまでとする。
伯方島は、「はーかーたーの しお」とTVのコマーシャルでお馴染みの「天然塩」の生産地である。 ビニール袋にはっきりと「伯方の塩」と明記してあり、我が家でも時折愛用しているようである。
昔は「塩」は専売品で自由に売買できなかった。食料品店の前に「塩」、「塩販売店」、」「塩小売店」などと書いた看板をよく目にしたが、平成9年の自由化で何処でも、誰でも売買出来るようになった。
ところで日本は世界の中でも塩の自給率がきわめて低い国の一つだという、天然資源としての岩塩もとれず、古くからの海水からの塩田製塩法に頼っていた。
しかし、世界的にみて多雨な地域にあるため天日での製塩も容易ではなく、近年これに代わって「イオン交換膜製塩法」(工場の中でつくられる塩。海水から濃い塩水を抜き出して蒸発装置で煮詰める)という製法が登場した。「伯方の塩」は、輸入(メキシコ)天日海水塩を日本の海水で溶かしてそれを煮つめて結晶させるという、ニガリやミネラルを適度に含んだ天然塩にちかい塩を生産しているという。
塩は、人が生活するのに必要不可欠の物であるが、最近は健康、美容指向で「塩パック・塩マッサージ・ダイエット」と銘打って塩を直接肌に擦りこんだりするが、「塩浴法」という擬似温泉入浴法が評判だとか・・?、実は我が家でも時折行っているが。
そろそろ、しまなみ海道から「おさらば」しよう。
因みに、大三島までの普通車通行料金は西瀬戸尾道⇒大三島まで2300円(往復 4600円)、自転車は260円(往復 520円)、歩行者は無料となっている。
次回は、大三島の「大山祇神社」
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