日本周遊紀行(129)東京 「江戸城城郭」
江戸城内堀と天守閣の想像図(資料)
江戸城は、元は千代田城と呼ばれた・・、
大田道灌築城(前回記載)の江戸城は、後に北条氏(小田原・北条氏綱以降)の支配下となり、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐により北条氏が滅びると、徳川家康の居城となった。
江戸城は、武蔵国豊嶋郡江戸(現在の東京都千代田区千代田)にあり、別名は「千代田城」ともいい、江戸幕府の最高政庁であった。
家康公が初めて江戸城に入城した時は、城といっても名ばかりで、形ばかりの石垣を築いた簡素なもので、城自体も屋根は腐り雨が降ると天井から雨水が落ちるという。
あまりの荒廃ぶりにビックリしたそうである。
その後、栄華を誇った江戸城は、徳川家康、秀忠、家光の三世代にわたり諸大名の天下普請により30年をかけて築かれたといわれる。
完成時の江戸城は、五層六階(地下室もあった)の高層で約60メートルの高さがあり、当時の日本最大の木造建築物であったという。
参考までに、当時の城は大阪城の倍の面積があり、将軍様のお成りになる天守閣としては空前絶後の威容を誇こったとい。
総構えとしての全体の面積も、世界最大を誇る城郭であったといい、主な城郭は、本丸、大奥(中奥、表向)、二の丸、三の丸、西の丸、紅葉山(家康を祀る東照宮をはじめ、歴代将軍の霊廟がつくられていた)などである。
因みに、各大名などによる本丸までの登城コースとしては大手門⇒下乗橋⇒三の門⇒中の門⇒中雀門⇒玄関⇒本丸と、各橋を渡り各門を経て辿ることになる。
大名により異なるが、ランクにより大手門・下乗橋前で下馬(駕籠や馬から下りる)し、武家最上位の御三家でも中の門までで、玄関にまで乗り物を横付けできたのは朝廷からの勅使だけだったという。
普通は大勢の家臣を持つ大名でも、付いてきた供の数も各門で減らされ、最終的に玄関から先は藩主か名代一人になったという。
城内を囲むお壕、所謂「内堀」は概ね現存するお壕で、日比谷門、馬場先門の在る日比谷壕から大手門、竹橋の竹橋門、武道館の在る田安門、千鳥が淵、半蔵門、桜田壕の桜田門などがある。
一方、更に内堀から大名屋敷や町人その他の屋敷を取り囲む「外堀」は、東は江戸湾に面した浜御殿(浜離宮)から隅田川の両国、浅草、ここより山手線に沿った神田川が当時の外堀で、秋葉原近くの筋違御門、水道橋の小石川御門、飯田橋の牛込御門、市谷の市ヶ谷御門、四谷御門そして赤坂御門、溜池から虎ノ門、新橋に至るルートである。
又、この外堀には御門のほかに、三十六見附(みつけ:数の正確性は疑問)といわれる、所謂、敵の侵入を発見し、防ぐための構築物、見張り番所の城門がある。
現在でも「牛込見附」、「市ヶ谷見附」、「四谷見附」、「赤坂見附」の名称などは今も残っているのは周知である。
次回は、その「半蔵門」
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