日本周遊紀行;温泉と観光(34)松島 「五大堂」
写真2枚:松島・五大堂
松島の「五大堂」は、坂上田村麻呂が創建した・・、
今日は10月3日の日曜日であった。
雨の日とはいえ、さすが天下の松島である、大勢の人が巡っている。
赤い狐狸橋(下が透けて見えるので、透橋ともいうらしい)を渡ると「五大堂」である。如何にも歴史を感じさせる瀟洒な建物で、松島の島々を見据えて鎮座している。
平安初期、坂上田村麻呂が蝦夷征伐のおり、毘沙門堂(毘沙門天=四天王の一つ、男の神、戦・勝負の神、北方を守護する神)を建立したのが最初といわれる。
平安初期の828年、慈覚大師円仁が瑞巌寺を開いた際、五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになったとか。
御堂は桃山様式の美しい木造建築で、下屋部分の周囲に12支の彫刻が施されている。
これは太陽の方向に正面を向いた時、その時刻を表すともいう。 国指定重要文化財
坂上田村麻呂(さかのうえの・たむらまろ)について・・、
奈良後期から平安初期、日本の国土は概ね稲作文化が浸透していた。
ところが東北北部地域、とくに津軽地方以北は狩猟や漁業、山畑農菜等、想像以上に豊かだったので、そのまま縄文の食文化が継承されていた。
当然、何かと手間の掛かる米作りとは相容れぬもので、西方(西日本地方)とは食文化をはじめとする文化摩擦が生じていた。
これらの住民は、主として先住民といわれた蝦夷民族(えみし)・アイヌであったのだが。
この頃、時代によって様々な見方も有るが、奥羽の先住民族である蝦夷と大和朝廷との関係は、国と統一と西方文化を広めるため、蝦夷との争乱がしばしば記録に出てきている。
都からの援軍、増派が度々されているが、蝦夷側の抵抗が激しく、支配下に収めることに難渋していた。
そんな中、蝦夷鎮圧と西の文化(稲作文化)の融合を推し進めるべく登場したのが「坂上田村麻呂」である。
朝廷は、坂上田村麻呂を将軍に武装した大軍(”稲作キャンペーン集団”ともいうべき・・?)を派遣し、この時の拠点を一旦、多賀城に置いている。
この時期、田村麻呂は休息時、近くの絶景地・松島を見物遊山に出かけている。
そして、その松島の余りの美しさに、この地に戦勝祈願を兼ねて「毘沙門」の御堂を設えたという。
今の五大堂である。
彼は戦においても、相手の事情を理解しつつ、やみくもに武力を用いることがなかったといい、そのため戦後はよく治まったとされている。
また彼の人柄は「怒れば猛獣も倒れ、笑えば赤子もなつく」という魅力に富んだ風貌伝説とあいまって、武将であるのに寛仁の心をもった人といわれ、敵対将軍としては、珍しく、いつのまにか津軽の人たちにも染み込み、慕われてきたといわれる。
津軽の「ねぶた祭り」は、この時の戦の駆け引きに使われたのが起源とされている。
祭りは、坂上田村麻呂が武者人形として、毎回のように登場していることは周知である。
因みに、この時代に都は長岡京から、延暦13年(西暦794年)、京都の「平安京」に遷都されている。
天皇は桓武天皇の時期であり、その3年後に蝦夷は平定されている。
そして坂上田村麻呂が、初めて「征夷大将軍」という称号を授かった時でもある。
田村麻呂は、大陸渡来人の子孫ともいわれる。
中国が漢の時代、後漢・霊帝(2世紀の戦国時代)の後裔と言われ、応神天皇の時代に日本に帰化した阿智王(阿智使主;後漢の最後の皇帝・献帝の孫ともいわれる)を祖とすると伝わる。
坂上氏の本拠地は、大和国添上郡坂上であるとされ、代々、坂上(さかのうえ)氏を名乗っている。
田村麻呂は、8世紀の後半の791年以降蝦夷征伐を行い、797年「征夷大将軍」となり、蝦夷の平定を進めている。
征夷大将軍とは、その名称の通り「蝦夷を征伐する」ための朝廷から授かった臨時の役職名であった。
田村麻呂以降は使われることがなかったが、平安末期から鎌倉創世記、源平の争いで源頼朝がこの役職を希望し、1192年朝廷から征夷大将軍を任じられている。
頼朝以降の征夷大将軍は、もっぱら武家の頭領の地位を表す役職になり、江戸末期1867年の「王政復古」の政令で廃止されるまで続くことになったのは周知である。
次回引続き、「坂上田村麻呂」の追記
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