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写真:新冠の道の駅:ハイセイコーの馬像
日本周遊紀行(79)日高地方 「新冠、門別、鵡川」
二十間道路の進入地点である道道71を横断すると、間もなく「新冠」(にいかっぷ)に入る。 新冠もサラブレット生産地としてよく耳にする町名である。
新冠川に沿って北上すると「明和牧場」がある、御存知「ハイセイコー」の産地である。
『シンザンを越える強い馬は、近い将来おそらく出るであろう、しかしハイセイコーの人気を上回る馬はおそらく出ることはないだろう』とまで言われた馬である。
昭和48年、弥生賞が行われる中山競馬場には12万3千人という史上空前の超満員となっていた。 地方で連勝を重ね、初の中央進出であったためである。 その後も10戦10勝、ハイセイコーの不敗神話は頂点に達した。
その後ダービーでも「あの怪物ハイセイコーが負けるわけがない」と、ハイセイコーは単勝支持率66.7%という圧倒的な一番人気で、ダービー史上最高でおそらくこれから先も破られることがないだろうと思われる支持率である。
しかしその「ダービー」でハイセイコーは3着と敗れたのだった。 勝ったのはハイセイコーの終生のライバルになるタケホープであった。
その後の成績はあまりかんばしくなく、人気が実力を潰した感じであったという。 戦績は地方で6戦6勝、中央で16戦7勝。
ハイセイコーを送る歌として騎手の増沢末夫が歌う「さらばハイセイコー」が作られ大ヒット曲となったのはご承知である。
国道235沿いに「道の駅・サラブレッドロード新冠」がある。名前の通り各名馬の像が並んでいる、道路際には一際大きくハイセイコーの馬像が建っていた。
馬をやらない小生が勝手に選んだ新冠産名馬:ハイセイコー、スピードシンボリ、ナリタブライアン、トウカイテイオー、タケシバオー
「門別町」には日高地方唯一つの公営競馬場が在る、門別競馬場である。
克って北海道競馬のトレーニングセンターとして使用されていたコースを、改装して造った日本一新しい競馬場である。 コースは一周1,600mと中央競馬場にもひけを取らないが、スタンドは収容人数500人という小さなものであった。
北海道主催の公営競馬場は、現在は門別の他札幌、旭川の三箇所であるとか。
序ながら北海道特有の「ばんえい競馬」について・・、
馬がそりを曳きながら力と速さを争う競馬の競走で、一般には「ばんえい競馬」と呼ばれ、乗馬に対し輓馬(ひきうま)で曳くことから「輓曳」(ばんえい)と表記される。世界で唯一、北海道でのみ行われている競馬である。
一般の平地競馬で使われているサラブレッド系種などの「軽種馬」は使わず、古くから農耕馬として利用されてきた体重約800~1200 kg前後の「ばんえい馬」(重種馬)が、騎手と重量物を積んだ鉄製のそりを曳き、2箇所の障害が設置された直線200 mのコースを力と持久力を競う。
荷物を運びきる事を重視しているので、ゴールは通常の競馬と違って「鼻の先」ではなく、最後尾が通過した時点で判断するのが特徴である。 速さだけだなく、パワーと持久力がもとめられ、一気に攻めたり、いったん止まって力を貯めたりと、坂の前で見せる旗手同士の駆け引きも勝敗のポイントになるという。
ばんえい専用の競馬場としては北見・岩見沢・帯広と、平地競走(北海道競馬)と併催する旭川競馬場の四箇所で持ち回りで開催していたが、近年のレジャーの多様化などで売り上げが伸び悩み、平成10年頃には赤字に転落する。 厳しい運営状況から旭川市・北見市・岩見沢市が撤退を表明、残る帯広市も単独での開催継続は負担が大きすぎるとして難色を示し、ばんえい競馬は60年の歴史に幕を閉じ、廃止が濃厚と見られていた。
しかし、ファンらの嘆願やソフトバンク子会社の支援を申し出たことから、以降はは帯広市単独での開催継続が決まったという。
輓曳競馬の由来は北海道開拓期における余興や催事として行われたのが始まりで、木材を運び出していた馬の力比べに起源を持つという。
当初は2頭の馬に丸太を結びつけ、互いに引っ張りあっていたというが、明治末期頃から荷物を載せたソリを引かせる現行の競走方式が登場した。
最古の輓馬競走の競技記録として相撲好きな北海道らしく、ソリに土俵を乗せて競走が行われたことなども記載されているという。
馬をやらない小生が勝手に選んだ門別産名馬=スペシャルウイーク、シンボリルドルフ。
国道235は鵡川町(むかわちょう)に入った。
今まで「馬」に関する記述が多かったので、ここらで話題を変えよう。
鵡川町のほぼ中央に日高山脈を源流とする比較的大きく道内一の清流・「鵡川」が蛇行を繰り返しながら穏やかに太平洋に注いでいる。
この川に秋になると大量の「シシャモ」が遡上すると言い、鵡川はシシャモの街で「町魚」にもなっている。
シシャモは栄養豊富な魚でビタミンA、B2、D、Eが含まれている、勿論、カルシウムの所要量は高く、1日の必要量が7~8匹で摂取できるという。 最近では『骨粗しょう症』や『老化防止』などの、手軽な食品として重宝がられている。
シシャモは和語で「柳葉魚」と書く、 ところが、全国で市販されている「子持ちししゃも」の90%は柳葉魚ではないという、カラフトシシャモといって価格が安く、外観や食感が柳葉魚に似ているが本物の柳葉魚の風味には到底かなわないそうだ。 カラフトシシャモの鱗は、小さくほとんど無いように見えるが、本物の柳葉魚の鱗は、大きくはっきりとしている。 スーパーや居酒屋でチェックしてみるとおもしろいかも。
鵡川町の柳葉魚で、一杯飲みながら本物の柳葉魚の風味を味わいたいものである。
時期になれば、地元の鮮魚店で全国宅配も有るという、純品は季節限定である。
国道235号と鵡川・鵡川橋のたもとに、その名も「シシャモパーク」と云う公園が在る。
更に、「馬」の話であります・・、
厚真町と苫小牧に挟まれた北側に「安平町」(あびらちょう:2006年3月、早来町と追分町が合併して誕生)というのがある、この町でも一頭の名馬を輩出している、「ディープ・インパクト」という馬である。
ところで「ディープ・インパクト」とは、数年前の上映された映画(1998年、アメリカ)の題名で、地球に巨大彗星が直撃することが明らかになり彗星を爆破しようとするが失敗、 彗星の一部がカリブ海を直撃してアメリカ全土を超巨大津波が襲う。 彗星本体の直撃まで後数時間、人々はどう行動するのか、というSFパニック映画である。若年期よりSF映画の好きな小生は、早速は拝見しているが。
そして更に米航空宇宙局(NASA)の探査機「ディープ・インパクト」が2005年1月、ケープカナベラル空軍基地から打ち上げられた。 こちらも同じく彗星で、この星に衝撃弾をぶつけ、彗星の内部構造を解明しようという大胆なプロジェクトである。「ディープ・インパクト」とは以上のことで馴染みのある名称だった。
しかし、3度目の「ディープ・インパクト」では、馬をやらない小生にとってもディープのインパクトを与えてくれた。 そう・・、引き続き馬の話なのである。
「凱旋門賞」というフランスで行はれた世界最高峰のレースといわれ、世界の最強馬決定戦の意味合いで「ディープ・インパクト」が出場したのであった。 本年(2006年)のその日、日本の放送史上初めて地上波での海外競走馬の生中継が行われたことでも話題となったが、しかし、ディープインパクトはレールリンク、ブライド(ともにフランス)の強襲に合い3着に終わった。
しかも、その後、薬物使用と判定され失格処分になったが、ゴール前の得意の直線コースで、「らしさ」の切り裂くような走りが中央で揉まれて出来なかったのである。
「ディープインパクト」は北海道早来町(現在の安平町)の「ノーザンファーム」で生まれている。その後、栗東トレーニングセンター(滋賀県栗東市・琵琶湖近辺)池江厩舎に所属する。 2歳でデビューするとクラシック(桜花賞、皐月賞、オークス、日本ダービー、菊花賞)へ順調に駒を進め、2005年に史上6頭目となるクラシック三冠馬(皐月賞 、東京優駿:日本ダービー、菊花賞)に輝いている。
シンボリルドルフ以来、史上2頭目となる無敗の三冠馬として2005年には社会現象的に注目される存在となったが、この年の締めくくりを飾る「有馬記念」ではハーツクライに破れ生涯初の黒星を喫した。
なお主戦騎手である武豊氏は、皐月賞における同馬の走りを「飛んでいる」ような走りと表現しており、以来ディープインパクトの走りは「飛ぶ」と表現されるようになる。そして有馬記念の敗戦の弁では「今日は飛ばなかった」と評している。
凱旋門賞の後、圧倒的戦績とファンの惜しむ声を振り切って年内限りで現役を引退することを表明した。 フランスからの帰国後はジャパンカップ、有馬記念を危なげなく制しシンボリルドルフ、テイエムオペラオー、アドマイヤドンに続く四頭目の七冠馬(クラシック三冠を含めG1を7勝)に輝き、2006年12月24日の有馬記念の圧倒的勝利を最後に引退、同日の最終レース終了後にそのまま引退式が行われた。
既に総額51億円の種牡馬シンジケートが組まれており、今後は、同じく北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬入りするという。戦績は14戦・12勝(勝率8割6分)1敗1失格。 「ディープインパクト」について武豊は、「走りたいと思う気持ちを強く持ちすぎていて、乗るのが難しい馬」と語っている。
普段は人懐っこくておとなしく、厩舎では「お坊ちゃま」のニックネームで呼ばれていた。 厩務員の市川氏は「素直な性格」は「天然」だとも言って、非常に利口な馬で普通の馬が10回で覚えることをディープインパクトは2、3回で覚えると調教助手は語っている。
菊花賞で無敗の三冠馬となったディープインパクトだが、同じ無敗の三冠馬のシンボリルドルフ(17戦・14勝:勝率8割2分、3敗:2・3・6着)との比較という点においては、同馬の主戦騎手だった岡部氏が「ルドルフのほうが強い」と答えている。 しかし、自ら「ディープの追っかけ」と言うほどディープインパクトのファンでもあった。
柴田政人騎手は「ルドルフを超えたというよりも、すごい馬が出てきたという感じで、ポテンシャル(潜在能力)は他の馬とはまるで異なる」と評している。
次回は苫小牧・「全国制覇・駒大苫小牧高」
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