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日本周遊紀行(77)日高地方 「静内とアイヌの戦い」
アイヌと和人の最後の戦い・・、そして「アイヌ」は・・?、
国道235は沿岸地を北西に進む、日高本線・「日高三石・ひだかみついし」駅を右にみて、次の「春立・はるだち」駅付近からはすでに静内町である。
静内町は周辺の町と同様大部分は日高山地の領域に属するが、町並みは太平洋岸から内陸へ静内川を中心に発展しているようである。
日高支庁管内のほぼ中央に位置し夏は涼しく、冬は雪が少ないため道内では最も気候の温和な地域と言われる。 その気候風土と恵まれた自然環境から「北海道の伊豆」とも称されている。
現在、静内も同様に近隣の三石町、新冠町と合併協議が進んでいるらしい。
住み良い町「静内」は、やはり古代から住人は在ったようで、既に約9000年も前から石器や土器を使った人達が住んでいたことが遺跡の調査によって確認されている。 その後も紀元前後の縄文時代から、古墳(飛鳥)、奈良、平安時代へと移りかわり鎌倉、室町時代にはアイヌ文化になっていたといわれる。
ただ、北海道には時代の経過とともに独特の文化が栄えたことで知られるが、同一民族が同一文化を継承したとは一概にいえないともいう。 それはアイヌ民族は記録を持たず、文化の変遷にともなう民族の存亡や移動の記録、伝承がまったく観られないからだと・・。
そのアイヌ達は樺太(サハリン)、千島、北海道、そして東北北部に暮らしていたことが確認されている。
この「静内」も、昔からアイヌコタンが沢山あり豊かな大自然の中で狩猟、漁労、採取を中心に独自の生活を営み、様々な生活の知恵と風俗、習慣、言語、信仰を受けつぎ、自由で豊かな生活が営まれてきた地域である。
アイヌとは、アイヌ語で「人間」という意味である。
江戸時代も後期の頃、静内(シベチャリ)川で砂金が採れるようになり、これを目的に内地から和人が住み着くようになり、和人の移住が増えるにつれて利権等が絡むようになり、アイヌ人との衝突も起こり易くなった。
こんな時期に道内でも最大と言われるアイヌ民族の存亡をかけた「シャクシャインの戦い」が勃発するのである。
『シャクシャインの戦い』
1669年(寛文9)頃、日高から釧路に及ぶ地域集団の総大将である「シャクシャイン」を中心に松前藩の収奪に抵抗しておきた近世最大のアイヌ民族の反乱であり、静内町(しぶちゃり)を拠点として増毛から白糖にいたるアイヌがいっせいに蜂起した事件である。
松前藩はアイヌに対する交易の独占化をはかり、アイヌ自らの自由交易を禁止したのと合わせて、和人による不正な相場による取引が後を断たなかった。 藩は交換レートは今までの数倍にも引き上げた。当然、アイヌ人達は松前藩や和人商人に対する不満が高まった。 アイヌは「シャクシャイン」を中心とし、蝦夷地・樺太・千島に居住するアイヌウタリ(同胞)に決起を促し、アイヌの国に入り込んできて権益を貪る和人達を殺し食糧を確保して松前へ攻め入り、和人を撃退してアイヌの国を取り戻そうと呼びかけた。 呼びかけに応じ、石狩・宗谷・利尻などの一部地域を除く殆ど全道に及ぶアイヌがいっせいに蜂起し、殺害された和人の数は太平洋岸で120人、日本海岸では240人に達したといわれる。
アイヌの攻勢を攻めあぐねた松前藩は、1669年(寛文9)10月、和義を結ぶという理由で酒宴を開いた。 シャクシャイン以下74名のリーダー的アイヌ人は武装を解いて藩側の陣営を訪れ、宴席が盛り上がったところで全員が松前藩によって謀殺されたという。
騙まし討ちであった。
この乱の結果以降、松前藩は蝦夷地に勢力をひろげ、アイヌ民族に対する政治的・経済的支配をますます強めた。 また武器を取り上げ、鉄器の流入を制限してアイヌ民族の抵抗力を奪い、隷属化するようにした。
この戦いをもってアイヌ民族の悲劇が始まり衰亡、根絶へ向ったともいわれる。
静内川(シベチャリ川)流域には16世紀から18世紀に遺された「アイヌの遺跡」が5箇所ありこれは国指定史跡として保存されている。
シベチャリチャシ跡、ホイナシリチャシ跡、メナチャシ跡、オチリッチャシ跡、ルイオピラチャシ跡などがある。 チャシ(アイヌ語)とは 一般には「砦」・「城」と訳されているが、言葉から連想するような強固でしっかりとしたものではなく、元来あった自然地形を利用して築かれた簡便なもので、丘陵の突端の一部に壕をめぐらし、地上を地ならしして柵や見晴らしなどを施したものが多い。 北海道および東北諸県に五百近い址が残存しているという。
次回は、引き続き静内の「開拓期」
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