霧多布岬(湯沸岬)に立つ「湯沸岬灯台」
日本周遊紀行(66)霧多布 「湿原と縄文海進」
根室市街から花咲半島を横切る形で「花咲港」へ出る。
根室港(現在の根室地区)と合わせ、日本北東端の要港として重要港湾に指定されている。 港に面した商店は「花咲カニ」の看板が賑やかである。
この地より北海道は南部に面した太平洋岸を巡ることになる。
「昆布盛」、「落石」を過ぎ、全く清閑な道道142を暫くすると「霧多布」の浜中町である。
広大な湿原を右手に見ながら、先ずは岬へ向かうべく新川のT字路を左折する。
霧多布の家並みをぬけて丘陵地へ到ると馬が放牧されたなだらかな草原、彼方に広がる薄青い海、まずは霧多布の東海岸、浜中湾に面した展望台へ到着した。
岬の突端間近に「湯沸岬灯台」が在る。
灯台表のローマ字表記では、touhutumisaki(とうぶつみさき)と書かれてある、「とうふつみさき」という表現も、現地での看板で見かけたが、何故、「湯沸」と言う変わった名称のを当てているか名前の由来は定かでない。
ただ「霧多布」の名前の通り「湯が沸き立つように霧が発生するところ」と、勝手に解釈したのだが・・?。
事実、この辺りの海域は霧の発生する日数は年間100日を超えるという。
霧の発生は春から秋、特に夏場に多く、これは、暖流(黒潮)の影響で温かく湿った南風が、寒流(親潮)によって上空で急激に冷やされることによって凝結し霧となるためらしく、一般に内陸部で朝に発生しやがて消えていく「放射霧」とは異なり、終日消えないのが特徴らしい。
「湯沸灯台」は、北海道で始めて小型・軽量で、霧が多いせいか高光度の灯器が使用されているといい、霧が多い日は霧笛も鳴り響くという。
「霧多布湿原」のド真中を車は走る。 ということは湿原の中に車道をこしらえたことになるが、昔だから許されていたが世界のお墨付きを頂いた今日(こんにち)では想像もつかないことであろう。
湿原の中心を流れる琵琶瀬川を渡ると河口の琵琶瀬漁港のすぐ向いに大きな島が見渡せる、「嶮暮帰島」(けんぼっきしま)というらしい。
1876年(明治9年)に岩手県出身者が移住し、コンブ漁を営んでいたという記録があるが、今は無人島らしい。
その後、動物作家のムツゴロウこと「畑正憲」氏が1971年(昭和46年)から約一年間定住したことにより嶮暮帰島の名は有名となったという。
畑正憲氏は九州・日田市出身で、娘が魚の命を奪って食べることを拒絶するようになったことに衝撃を受け、もっと深く生の自然に触れさせて表面的な生き物好きの虚弱精神を払拭させて育てることを決意し、東京を離れて浜中町の嶮暮帰島に移住したという。
更に対岸の浜中町に移り「ムツゴロウ動物王国」を開園している。
この道道沿いにその看板そして施設が在ったようだが、中標津町にも広大な牧場やログハウスの自宅を有したムツ牧場を開園しているという。
「ムツゴロウ動物王国」は、テレビ番組でも人気番組になったりしたが、ここの動物王国は原則非公開だった。
このため、都会の人々に動物に触れ合ってもらうと2004年、東京都あきる野市の東京サマーラド内の約9万m2の敷地に観光施設としての「東京ムツゴロウ動物王国」を開園している。 事実上「ムツゴロウ動物王国」は東京都に移転したことになるが・・?。
霧多布湿原が程よく見渡せる高台になっているところが「琵琶瀬展望台」である。
琵琶瀬展望台よりの湿原
昨年、訪れた時は、その名のとおり霧が深く見通しは皆無であったが今般は納得の大展望が得られた。 そこからの眺望は海側も湿原側もなかなかのものであった、特に中央を琵琶瀬川が大きくウねっている姿が良い。
湿原は、この辺りの幌戸湿原、厚岸湖(湿原を含む)と合わせてラムサール条約(水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)の登録指定地である。
タンチョウ等、野鳥の観察にはこの地の中央に在る、「霧多布湿原センター」がよさそうである。
霧多布湿原(きりたっぷしつげん)は北海道の東部、釧路と根室のほぼ中間の太平洋岸にある。南西から北東に延びる海岸線に沿って長さ約9km、奥行き約3kmに広がる。
これから訪れる釧路湿原、あの弾丸道路が延びる道北のサロベツ原野に次いで国内3番目に広い湿原であり、春(6月)から秋(9月)まで、さまざまな花が順番に咲いて湿原を彩るため、花の湿原とも呼ばれている。
今は季節柄、茶褐色の枯草色の草原が果てしなく広がっている。
1993年にラムサール条約にも登録され、湿原の環境保護のため地元の有志を発起人とした”霧多布湿原トラスト”が作られ、湿原を保全し後世に残すよう活動を行っているという。
「トラスト」とは、歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体のことで、正式名称は「歴史的名勝と自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty) といい、一般にはナショナル・トラストと略されている。
「霧多布」はアイヌ語(キイタップ:霧が多い地域・・?)の当て字であるが、実際、霧の多い土地であることは先に記した。
湿原の中心を横断する道(道道808・琵琶瀬茶内線)は湿原保存のため道の下を水が通る構造になっているという。この道はMGロード(Marshy Grassland Road)の愛称が付けられ、歩道が整備され、各所に見晴らし場所や記念碑が設けられている。
湿原の生成については、約6000年前の縄文期に遡るといわれる・・、
季節は世界的に今よりも温暖で、極地の氷床が大量に溶けて海水面が上昇したことが知られている(※「縄文海進」という)。
当時は霧多布湿原も釧路湿原も陸に大きく入り込んだ湾であった。 その後 気候の冷涼化に従って海水面が低下したが、霧多布では海岸部に砂丘があったため内陸側に沼が残り、この沼が水はけの悪い低地となりアシ、スゲ類(ワタスゲ)、ミズゴケなどが繁茂して湿原が形成されていったという。
(※)縄文海進(じょうもんかいしん)とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。
今から2万年近く前の縄文期、地球は厳しい寒さに包まれ南極・北極・高山の上に厚い氷河が凍りつき、海は氷河に水を取られて今より何十mも海面が低くなっていた。 日本はアジア大陸とつながった半島で、ナウマン象やそれを追う人々が行き来していたらしい。
寒さがピークを過ぎ、一転して暖かくなってくると氷河が溶け川を流れて海に注ぎ、海面がしだいに上がり、地殻変動とともに日本は大陸から切り離され「日本列島」となったという。
上がり始めた海面の勢いはそれでは止まらず、例えば関東地方では極寒期には東京湾が陸地になり利根川、荒川、多摩川を合わせた大河が深い谷を刻みながら流れていたが、一転、温暖期で海面が上昇すると東京湾が復活し、さらに谷に沿って現在の栃木県あたりまで海が進入したという。 この現象を「縄文海進」と呼んでいる。
因みに、現在の気温を標準(0度)とし、日本列島に人類が定住するようになった年代で比較すると、一万年前の縄文早期の頃は地球寒冷期で「-5度」、九千年前の鹿児島・上野原遺跡(鹿児島県霧島市上野原にある縄文時代早期の集落遺跡で「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなった)の時期で暖流が日本海に入り日本風土形成された頃が「-3度」、六千~七千年前は青森・三内丸山遺跡の時期で暖温帯落葉樹林が列島に拡大し、「縄文海進」のピークを迎える頃は「+2度」、その後は一進一退を繰り返し、二千年前の弥生期で稲作が西から北進する頃は現在に近い気温とされている。
だが、いま起きている地球温暖化は、人為的な要因が大きいと考えられ、温室効果ガスである二酸化炭素の濃度により、現在すでに「過去数十万年間に起きた数値」を大幅に上回っているとも言われる。
次回は、「釧路」
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