真山山頂付近に鎮座する赤神神社の「五社堂」
日本周遊紀行(22)男鹿 「なまはげ」
「999」の石段と五社堂の縁起伝説について・・、
昔、漢の武帝が五匹のコウモリを従えて男鹿にやってきた、コウモリは男鹿で五匹の鬼に変わった。
武帝は五匹の鬼たちを家来として使ったが、一年に一度だけ正月に休みを与えた。
鬼たちは大喜びして里へ降り、畑作物や家畜を奪って大暴れし、しまいには娘まで浚(さらって)ってくるようになった。
困ってしまった村人は、鬼に賭けを申し入れる。
「あの山のてっぺんまで、一夜のうちに1000段の石段を築けば、一年に一人ずつ娘を差し上げる。だが、それができなければ、二度と里へ降りて来ないと約束してほしい」・・と。
鬼たちは、日の暮れるのを待って、さっそく石段造りに取り掛かった。
遠く離れた「寒風山」から空を飛ぶようにして石を運び、あれよあれよという間に石段を築いていった。
これに驚いた村人は、物まねのうまい「天邪鬼・アマノジャク」に鶏の鳴き声を頼んだ。
999段を積み終え、あと一段というところで、アマノジャクが「コケコッコー」と叫んだ。 鬼たちは一番鶏が鳴いたことにびっくりし、約束どおり山の奥深くへと立ち去って行ったという。
鬼が来なくなって、何か寂しい気持ちになった村人たちは年に一度、正月15日に、鬼の真似をして村中を回り歩くようになったという。
これが「なまはげ」の始まりだともいう。
ここまでは民話風の空想伝記物語であるが、現実的な二番目の伝説について・・、
古く大陸の国の人々を見る機会のほとんどない時代、漂流民のように男鹿半島の海岸にたどり着いた異国人を「なまはげ」としたのではないか、というものである。
大身肥満でしかも紅毛碧眼(こうもうへきがん)の異邦人は村人にとって、まさに、「なまはげ」に見えたというのであろう。
それに彼らがもっていた技術や知識によって驚異的な石段作りが成し遂げられたといい、滑車や特殊な綱によるものであったとする伝えがある。
三番目には男鹿の真山、本山は古くからの修験道の霊場として知られていたことから、修験者は修業姿のまま里に下り、門付け祈祷をして回った。
修業の間の凄(すさま)じい形相や山中の修業後の姿などを「なまはげ」としてみたのが始まりともいうのである。
「なまはげ」の伝承、伝説については他にもあるようだ。
明治後半から戦前にかけて、ナマハゲ役は未婚の若者であった。
役に当たった若者は,まず神社を参拝してお祓いをしてもらい、そして風呂に入って身を清め、肉、ネギ、ニンニクを断ち、つまり精進潔斎(しょうじんけっさい:肉食を絶つなどして身をきよめること)に勤めると。
現在、一般的に言われるナマハゲは・、
山の神様や正月の歳神様の化身といわれている。
大晦日の晩、赤と青の恐い仮面をかぶり、身には藁で編んだミノをまとい、大きな声で「泣く子はいねが、怠け者はいねが」と家中を探し廻ります。その荒々しさによって家の悪霊や災禍を祓い清めるといわれている。
又、ナマハゲは、お田植祭などに参加した子供たちに「食べ物を粗末にしないように」、「両親の言いつけをよく守るように」と約束させる場面の先導役ともなる。
ナマハゲは、人々を戒める役割を持つと同時に、春の到来を告げ、その年の実りをもたらす神様でもある。
次回は、「大潟村」
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