2011年4月28日木曜日

日本周遊紀行(122)雲仙 「雲仙地獄」

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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/



日本周遊紀行(122)雲仙 「雲仙地獄」  、



雲仙地獄


雲仙温泉の新湯(共同湯)



雲仙には、雲仙地獄を挟んで古湯と新湯がある・・、

昨夜、雨の音を聞いたようだ・・!、 
目覚めて気がつくと、やはり小雨が降っている。 
自宅をスタートしてから10日以上になるが、雨の日を迎えたのは初めてであった。 
何となく水不足、雨を期待している四国、特に瀬戸内拠りのことを思い出した。 
久方ぶりのお湿りで結構なことなんだが、今日の行程は実は雲仙の山地へ向かうため余り有難くはなかった。 
雨模様なので慌てず、ゆっくり出かけることにした。


先ずは、いつものように朝湯、浴衣姿でのんびり朝食そしてテレビニュース。 
来年のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会に向けて、数日後に迫った日本チームの最終予選の情報等盛んに報じていた。 
いやはや実にのんびりで9時少々前の出発であり、体調も充分休んだせいか良好のようである。

宿舎のすぐ手前に、山上の雲仙から反対側山麓の島原方面へ抜ける国道51号線を走る。 
雨に濡れて一段と濃さを増した緑の壁を気持ち良く車は進む。 
フルタイムの四輪駆動車なので山道や濡れた路面、チョットの悪路は平気である。 

ヘアーピンカーブが連続する難路も快調に走りぬく、頼りがいのあるマイカーも出発して既に3500kmを越えていた。 気が付くと空模様も何時しか山中の雲が切れ掛かって明るさを取り戻しているようだ、このまま晴れてくれ・・!。
山歩きを長年経験してきた小生であり、山の天気にかけては敏感である・・、と自認しているが。 

一般に天気が下る時は高い方(山上の方)より、回復する時も高所より・・と山の頂上付近を観察する事により或る程度の予報が叶うと思っている。 
端的に言うと富士山の山頂の天気は、近畿地方の天気と同質であるといわれる。 自宅でも窓から見える丹沢山系の東端・大山の様子を見てて或る程度の予測できる。  

ここは標高700m前後の雲仙山系で、既に山腹から山上尾根に達しようとしていた。 
灰色の雲の動きも急がしそうで、その上に白雲がたなびいている、回復の兆しである。 

どうやら人家が見え始め別荘風の瀟洒な建物も見える。 
既に火山性の硫黄臭が漂う国道をそのまま進むと雲仙のメインタウン・温泉街へ来たようである。 華やかさ、派手さはないが、土産屋や旅館が雰囲気よく並んでいる。 

インフォメイション・センターで様子を伺いながら観光案内書を頂く、雨は上がったようであるがこの様子だと雲仙岳や標高1359m、あの普賢岳、妙見岳一帯の景観は残念ながら望めないだろう。



雲仙温泉には、古湯ゾーンと新湯ゾーンがあるらしい。 
又、温泉街を取り巻くように火山性噴煙の上がる地獄が有り、「地獄めぐり」が楽しめるという、その地獄を覗にいこう。 
新湯方面の最奥部、新湯ホテルの近くの駐車場に車を置く。朝早いせいか、広い置き場も小生の車のみであった。

この駐車場の奥が、地獄巡りの入り口でもあるようだ。
雨に濡れたドウダンツツジや、蓮華ツツジの林の間に石畳が敷かれて、歩き易く良く整備されている。 
進むと火山性のガスが燻って(くすぶって)荒涼とした岩肌が現れた、先ずは「邪見地獄」と銘打ってある。 見学路以外のところは進入防止、危険防止のため柵が施してある。 

続いて「大叫喚地獄」という大層な名前の地獄に来た、鋭い噴気音と共に高々と白煙をたちのぼらせ、風によって左右になびき、こちらに向かってくるときは咽(むせ)そうになる。 
灰色の熱湯地極池はゴボゴボと間歇的に吹き上がる、ここは雲仙で最も噴気活動が活発な地獄であろう。他にも数箇所の地獄があるが、展望地より周囲を眺めながら一旦戻ることにする。


次に古湯側から巡ってみよう・・、 
この辺りは国道を挟んで両サイドが地獄の様相を呈していた。 
すぐ横の「湯けむり橋」からは岩の間からシューシューと噴煙が立ち上る。 
その先には「清七地獄」というのが在った。江戸時代初期のキリシタン弾圧によって、キリシタン信仰の厚かった「清七」が、この雲仙の地において拷問されたときに噴出したといわれる地獄だという。 

この地は江戸期にキリスト教が禁止されていた時代、大叫喚地獄と合わせて異教徒の刑場として使われたところであり、キリシタン殉教の地でもあるという。 
「真知子岩」というのもあった・・、昭和29年、この年は雲仙が国立公園に指定されてから20年の記念の年であった。

当時、最大の話題でもあった映画「君の名は」のロケが雲仙であり、佐田啓二、岸恵子という美男美女が来雲して、この地で撮影があったらしく、これらを記念して命名されたらしい。 菊田一夫の小説・「君の名は」で大ヒットした映画で、我々往年の世代は昭和初期のラジオドラマで、放送が始まると銭湯が空になったという曰く付きの物語であった。岩には記念の石版が埋め込まれている。 

お糸地獄」は江戸時代、お糸という女性が不義密通をし、更に亭主殺したという事件が起こった。このドロドロした状態をなぞらえて命名したのだろう・・?、罰として、亭主殺しの「お糸は」こんな地獄に落されたのかも・・?。 
遊歩道の山肌には、品形良く「ミヤマキリシマ(雲仙ツツジ)」が枝を伸ばしていた。 本来なら今が花の見頃であるはずだが、噴気地獄で気温が高いせいか、既に赤紫の小振りな花は終わっていた。 



温泉街の北の外れ、左に向けると、「鴛鴦の池」(おしどりのいけ)とも呼ばれる静観の地があった。人っ子一人いない静寂の地、池は鏡面のように光っていて、周囲は靄(もや)が漂っている。 
鴛鴦の池と書いて何て読むのか、薄学の小生が疑問に思ったが「おしどり」の池と称するらしい。さすがに“おしどり”こそ見受けられないが、この湖畔に立ち静かに瞑想をするとき、先ほどまで地球の胎動、地獄の噴出しを真近に接したので、この「寂」とした自然の好対照さに驚きながらも安堵を覚えるのである。 まもなくやって来るだろうと思われる、湖水に浮かぶ「おしどり」に思いを馳せる。



この後は、初めに訪れた「新湯」の共同浴場で噴煙の垢を落そう。 
雲仙にある3か所の共同浴場の一つでもある。一見したところ民家のような建物で、湯番は常駐しているが、あらかじめ近くの小店で入浴券を買うシステムになっている、入浴料は100円で激安。 

素朴な石張りの浴室に長方形の湯船があり、白濁したお湯が満たされている。
地獄から引き湯したものだそうで、強い硫化水素臭が心地良い。源泉は噴気泉を直接利用しているらしく、ろ過して使用しているので肌ざわりが柔らかい。主に、地元の人々が利用しているらしいが、我々観光客も気軽に利用できる。



雲仙の歴史について・・、
雲仙山系は古くは「肥前国風土記」で「高来峰」(古来より現在まで、この地方を高来郡と称し、島原半島を南高来郡、諫早・大村地方は北高来郡である)と呼ばれていた山であり、温泉についての記述もある。雲仙は、元々はただ「温泉」と表記され「うんぜん」と読ませていたらしいが、国立公園指定の際に現在の表記に改められたという。 

奈良期(701年)に行基(奈良時代の高僧)が大乗院満明寺を開いたことが伝えられている。この満明寺の号が「温泉(うんぜん)山」であることからも、以後、温泉(うんぜん)つまり雲仙は、霊山として山岳信仰(修験道)でも多いに栄えたところでもある。 

又、行基は同時に四面宮(現、温泉の主神・雲仙神社)を開いたといわれている。 祭神は、「古事記」によれば筑紫島(九州)の神をあらわす「一身四面」の神だという。この神社は上古(大和朝廷から奈良期)には温泉神社、中古(平安期)には四面宮と称されていたが、1869年(明治2年)の神社改正により筑紫国魂神社と改称され、1915年(大正4年)の県社昇格に際して温泉神社に戻したという。

四面宮(しめんぐう)とは、 地元民より「お四面様、お四面さん」と呼ばれて親しまれている。 四面宮と称したのは、日別命(ヒワケノミコト)と言われる一つの神体に、其々四つの神の面をもつことから言われる。

古事記には、島々の生成説話に伊耶那岐命、伊耶那美命の国生み譚があり、これによると淡路島、四国、隠岐の島の次に「九州島」を生んだとある。
つまり「面四つ」あるとし、筑紫を白日別、豊の国を豐日別、肥の国を建日向日豊土比泥別、熊曾の国を建日別と言うとある。
日別命は、筑紫の国魂であるとされる由縁である。 又、日別命というのは出雲系の神々であり、大国主に関係が有ると言われる。大国主の誕生地は有明海に臨む島原半島、雲仙岳の麓であると言う説もあるらしい・・?。

菩薩と言われる「行基」が満明寺を開いた後、同地に出雲の神に遭遇したことから、畏れながら「四面宮」を造営したともいわれる。 
島原半島の中には出雲系の大国主神を祀る「諫早神社」(四面宮の勧請といわれる)をはじめ、10数の分社があるという。 
邪推であるが、雲仙より出し大国主が、「出雲」と命名して国を拓いたというのは、何か共通性を感ずるが・・?、尤も、出雲を開いたのは大国主の父神であるスサノウであるが・・!。
 

その温泉神社は雲仙温泉郷のまっただ中、隣は噴気の沸き出している地獄巡りの散歩道があるところに鎮座してる。 
此れより少し離れたところに摂社・木花開耶姫神社( コノハナサクヤヒメ:天孫・ニニギの妻)が座している。 当社には男女の巨大なシンボルが鎮座しているといい。この社は元禄の頃より祀られたもので向かって右に女陰、左に男根があって思わずギョッとさせられるという。

男は挙(こぞ)って自分の持ち物が大きく、太く、逞しくあるように祈り、また女性は「あなオソロシ」とため息をつきながら祈る、そうするとご利益が有るとされる。 
この男根女陰崇拝の風習は長く伝えらてきて、参拝者は家内安全、男女和合、子宝また良縁の神として拝むべしと記されている。


国道を隔てた向かい側に古刹「満明寺」がある。
勅許を受けて僧・行基は「大乗院満明寺」を開基し、四面宮(温泉神社)をあわせて祀り山号を「温泉山」としたとされている。
高僧・行基は宝平元年(749年)、雲仙の地で入寂(寂滅に入ること、僧の死をいう)したと伝えられている。 

満明寺は一時、比叡山、高野山とともに天下の三山と云われ、千人の僧を集め、雲仙一帯を霊場として世の崇敬を集めていたともいわれる。 
寛永14年(1637) 島原の乱では、僧の中にも一揆に加わるものが出たため、島原藩主・松倉重政によって滅ぼされたという。「地獄」はキリシタンの弾圧の舞台にもなり、多くの命が失われたのもこの地、この頃だと云われてる。


実際、雲仙温泉の事始は1653年(承応2年)に加藤善右衛門が開湯したとされ、民衆の共同湯として初めて「延暦の湯」を起こしたと石碑にはある。 
雲仙は水蒸気が噴出して硫黄の臭いがたちこめる光景が地獄と形容され、昭和2年頃、日本新八景山岳の部で1位になり、昭和9年には我が国で最初の国立公園に指定された。 

天然記念物の群落である地獄一帯のシロドウダン群落、池の原のミヤマキリシマ群落ウンゼンツツジ)や野岳のイヌツゲ群落と活火山特有の植物など、まるで自然の大図鑑である。 

又、明治以降、ヨーロッパや上海の長崎に住む外国人の避暑地としても賑わった歴史も有る。 の雲仙はピンク色のミヤマキリシマに埋め尽くされ、夏は当たり一面緑の息吹、秋は燃えるような鮮やかな紅葉が山肌を染め、冬は真っ白の世界に輝き、太陽に映えまる。


雲仙は、四季それそれの日本の自然の美しさを楽しませてくれる パノラマスクリーンであり、 又、どの季節も心地好い温泉に浸りながら、存分にリラックスできる世界でもある。

次回は平成の新山「雲仙・普賢岳




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