2011年3月13日日曜日

日本周遊紀行(97)大三島 「大山祇神社」

『東日本大震災』に遭われた被災者の皆さんに、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。 一日も早い回復をお祈りいたします。




日本周遊紀行(97)大三島 「大山祇神社」




全国11,000社余りの大山祇神を祀る総本社




天照大神の兄神である大山祇神
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四国は古事記・日本書紀の「国生みの神話」で、伊予の二名島(ふたなしま)という名前で出ている。伊予国は、日本でもかなり古くから開けたところであり、古事記の冒頭の部分では伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の神が、国産みをする場面に登場する。
古事記には、『ここに伊邪那岐命、先に「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、後に妹・伊邪那美命は「あなにやし、えをとこを」と言ひき。かく言ひおえて御合わして、生める子は、淡路の穂の狭別島、次に伊予の二名島を産みき。』とある。 
つまり、イザナギとイザナミが結婚して、先ず、淡路島を生み、次に伊予つまり四国を生んだと言っているのである。 「四国は、面四つにして伊予、讃岐、阿波、土佐と名を付けた」の下りは先に述べた。

天照大神の兄神である大山祇大神(オオヤマズミ)は、瓊瓊杵尊(ニニギ)が「天孫降臨」に際して、娘神の木花開耶姫尊(コノハナサクヤ)を瓊瓊杵尊の后妃(きさき)となるよう命じた大神であり、国を奉り、国土・日本民族の総氏神である。 
神武天皇の東征に際して、大山祇神の子孫であった小千命(乎千命:オチノミコト)が先駆者として伊予二名島(四国)にわたり、瀬戸内海の治安を司っていた際に、芸予海峽の要衝である御島(大三島)に大山祇大神を主神として「大山祇神社」(おおやまずみじんじゃ)祀った。 
又、仁徳天皇の頃に「伊予・越智国造」の祖が創祀したことにはじまるともいう。 


瀬戸内海の「しまなみ諸島」は、大小の多数の島々がその海域を塞ぐように列島を成していて、大三島はその中でも最大の島である。 
市街地は島の中心西部で、フェリーが着く宮浦地区であろう。その町の奥まった一角に、日本総鎮守と呼ばれるの大社殿が鎮座している。 海・山の守護神として尊崇され、約2600年前、神武天皇東征に先駆けて創建されたという。

初代天皇・神武天皇が即位したのが紀元前660年(紀元節)とされているので,日本の歴史が始まった直後から鎮座している神社である。
以来、神の鎮まる神聖な島・「御島(みしま)」と呼ばれ、本州、四国、九州を鎮守する日本総鎮守の神として崇拝されてきた。 
現在の大三島の呼称はこの御島から起ったと伝えられている。

全国11,000社余りの大山祇神を祀る総本社で、中国地方では古来より北の出雲大社、南の大山祇神社といわれ、全国の大山祇神社、三島神社(「三島」の名称も、ここ大三島からとされる)の総本社である。

四社詣「大山祇神社、熊野大社(紀ノ国)、厳島神社(安芸国)、宇佐神宮(豊前国)」または五社詣(上記に太宰府天満宮を加えたもの)の中心ともなっているといわれる。 
山の神、海の神、戦いの神として歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社である。 
源氏、平家をはじめ多くの武将が武具を奉納し、武運長久を祈ったため、国宝、重要文化財の甲冑、刀剣の類の多くが、この神社の宝物殿に集まっているという。
社殿境内の中央には創建当時に植栽されたという「楠の大樹」が蔽っている。根回り20メートル、樹齢は2600年(大社創建当時)と言われている。 



ところで2600年前っていつ頃の時代・・?、
2600年前といえば神武天皇が即位した年代(2660年前といわれる)と類似する。つまり、紀元前600年代で、紀元前7世紀のことである。 
史上、700年代が奈良朝、600年代が飛鳥期で古代と言われ、それでも西暦は紀元後である。 紀元前3世紀あたりが弥生前記というから、2600年前は余裕で「縄文時代」にあたるのである。 
屋久島の縄文杉も真青という訳である。 
因みに、縄文杉の樹齢は当初、5~6000年と言われたが、近年の測定法で2700年前後とされている。
周囲の社叢林は、日本最古といわれ楠の原生林であり、昭和26年に国の天然記念物に指定されている。

次回は、尾道、「越智氏」の伝承

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