google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 各県の主要な温泉地や観光地を、気ままに巡ってます。

2011年1月15日土曜日

日本周遊紀行(62)日和佐 「薬王寺」

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日本周遊紀行(62)日和佐 「薬王寺」 ,


医王山・薬王寺の「瑜祇塔」


那珂川町の国道55の「道の駅・公方の郷なかがわ」で一服入れる。 公方の郷とは貴き御方に所縁があると思ったが、やはり室町将軍・足利氏が居留した地であった。
室町後期、政治の腐敗を嘆き淡路島で病死した第10代将軍足利義植(あしかがよしたね)の養子・義冬は、父の悲願を果たすため上洛したが戦いに敗れ、阿波の守護・細川持隆に迎えられ、この地に落ちついたという。その後、足利氏は九代270年にわたってこの地に居住し、漢文学などを広め「阿波公方」として人々に親しまれたという。これが公方の郷の由縁であった。
那賀川町、羽ノ浦町は、平成18年3月に阿南市に吸収合併されるとのこと。
阿南市街は、国道55のバイパスで知らぬ間に通り過ぎてしまった。その後は、自然豊かな四国とは思えぬほどの重工業の港湾が広がっている、橘港である。 古くは天然の良港として知られており、昭和初期には阪神~高知航路の中継港として栄えたが、今では、火力発電、造船、鉄工所などの大企業がひしめき、徳島県東部における工業の集積拠点としての役割を果たしているようである。

国道55は別名「土佐東街道・土佐浜街道」と称している。浜街道とは言いながら、現在は山中険路の道であるが。 由岐町と日和佐町の町界あたりの地名に「星越」というのがある、星をも越すような高度がある・・?というのはチト、オーバーではあるが、かなりの高所を走っているのは確かなようである。 山間からどうやら見通しのきく平地に出たようだ、日和佐の街である。


二十三霊場・「薬王寺」 ,
日和佐の町内に入ると国道沿いに名刹が在った。「医王山・薬王寺」である。
我々年配者には有難そうな厄除けのお寺さんであり、誰が詠んだか、御詠歌(巡礼または信者などが詠う和歌)としてこんな歌碑があった。

『 皆人の 病みぬる年の 薬王寺 
            祈願のくすりを 興えましませ
 』
御本尊も、当然と思える薬師如来である。

山門をくぐり 桜並木の参道から本堂への石段を登りつつ、振り返ると日和佐城と日和佐湾・太平洋が望まれる。 石段は、女厄坂の33段、男厄の42段とあり、大師堂、地蔵堂から本堂に達する。 この上には61段の還暦の厄坂というのもあり、山腹の高目に密教特有の円形のお堂に四角い屋根の「瑜祇塔」(ゆぎとう・多宝塔の原型とされているのが瑜祇塔であり、一重の屋根と円筒形の厨子、そして屋根の上に聾える五本の相輪が特徴)が建ち、屋根の上には五智を表す五つの相輪が立つ。
瑜祇塔は、通常の寺仏堂とはチョッと変わった斬新な印象を与えてくれる不思議な塔で、神秘的な香りが感じられる。建造は比較的新しく、昭和39年に四国霊場開創1150年を記念して建てられたという。内部には宝物展示室や地下の戒壇巡りなどがあるという。
自分の厄年に、厄坂の石段を一段ずつコインを置いてゆくと、願いが叶うという薬王寺。
寺院は行基菩薩の開基で、弘法大師が厄除けを願って薬師如来像を刻んで本尊とした。 阿波・「発心の道場」の23番、最後の霊場で、24番からは土佐の高知の地で、「修行の道場」へ進むことになる。

薬王寺の山腹より日和佐の町が一望でき、日和佐湾が青く光る。
湾の小山状の上部に「日和佐城」がこじんまりと遠慮がちに見えてる。 海城というか、山城というか・・? お城・天守閣は昭和期の近年、観光用に増築されたものらしいが、本来、室町時代にこの地に拠った肥後守・日和佐氏の築城であるが、戦国期、四国を統一した長曽我部元親(土佐高知の戦国武将、四国全土を統一しているが・・)に降伏している。

日和佐の町内を少し行くと、程なく「道の駅・日和佐」である、ここで小服を入れる。
JR牟岐線日和佐駅と国道に接して立地しており、四国でも国道とJRの駅が一体になっているのは珍しいのでは・・?。 ここには温泉が在る、足湯もある。小生も一足浸かることにした。 物産館の敷地内で湧出する温泉を利用したもので、お遍路さんの足を癒す「休足所(足湯)」としては最適であり、発案担当者に感謝したい。
弘法大師が薬王寺を開いた際、その麓から湧く泉を発見したという古泉でもあり、飲用、また温浴に適した水として、人々に効能を知らせたと伝えられている。 少々の硫黄臭があり、無色透明でサラリとした湯は単純硫化水素泉。 神経痛やリウマチ、慢性皮膚病、慢性金属中毒症、糖尿病などに効能があるという。地下30メートルから豊富に冷泉がわき出ているという。

尚、日和佐町は、2006年3月に由岐町と合併て「美波町」となっている。 大浜海岸に産卵のため上陸してくるアカウミガメで有名、これを主題とした2009年のNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台にもなった。

次回は、海部(かいふ)の海部氏


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2011年1月14日金曜日

日本周遊紀行(61)小松島 「源義経」

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日本周遊紀行(61)小松島 「源義経」 , 



源義経、「屋島の戦い」の奇策、

徳島の隣はすぐに小松島である。 
小松島は戦国期以後、蜂須賀候が入国して以来、阿波の商業、金融、港湾流通の中心地として栄えたところで、現在でも和歌山や大阪方面とは流通が盛んあところである。 
この港は又、一の谷の合戦後、屋島の合戦で義経一行が上陸した地点として歴史上有名である。今でも市内各地に義経ゆかりの場所が点在しているし、数々の伝説が残る地でもあるという。

国道55が牟岐線と交差するあたり「阿波赤石」駅がある。
このあたりの港を「勢合」といって義経手勢150騎が、ここの港に漂着し勢揃いしたことから、この名が付けられたという。 
ここから、R55に概ね沿って恩山寺の入り口から勝浦川より徳島方面を、義経ドリームロード・義経街道と言って、弦張坂、弦巻坂、旗山、くらかけの岩、天馬岩、弁慶の岩屋などと義経にまつわる伝説の場所が数多く残されている。


平氏は、1184年の一ノ谷の戦いの敗戦後、讃岐国・屋島(現、高松市屋島)を本拠とし内裏(安徳天皇の住まうところ)を置いている。 
義経は「一ノ谷」の後、摂津国の港・渡辺津(大阪)に軍を集めていた。
平氏軍を追討するにあたり渡辺津を出航しようとするが、義経は、戦奉行の梶原景時と激しく論争をしている。(この時の論争を景時の讒言として鎌倉・頼朝へ伝わり、義経追放の一因にもなっているという) 
暴風雨のために景時は出航を見合わせようとするが、義経は景時を振り切って、僅か5艘150騎で風雨をついて出航してしまう。

義経の兵団は、通常3日の航路を6時間ほどで阿波国・勝浦(現・田野町勢合)に到着した。
義経は在地武士団の新居見城主・近藤六親家(こんどう ろくちかいえ)を味方に引き入れつつ、案内役として屋島へ向けて徹夜で進撃している。
徳島を抜けて、現在の県道1号線を北上、大阪峠を越えて、播磨灘の海岸沿い(R11沿い)から、僅か1日でに屋島の対岸に至った。
干潮時には騎馬で渡れる(当時は海を隔てた島であったが、現在は陸続きである)ことを知った義経は、強襲を決意。 少兵であることを悟られないために、義経は周辺の民家に火をかけ一気に屋島の内裏へと攻め込んだ。
海上からの攻撃のみを予想していた平氏軍は狼狽して、内裏を捨てて海上へ逃げ出したのである。
この源平の戦いは「一の谷」以来、再び義経の機略によるもので、「屋島の戦い」と称している。

屋島の陥落により、平氏は四国における拠点を失った。
何とか九州に渡ろうとするが、既に源範頼の大軍によって押さえられており、平氏は彦島に孤立してしまう。
義経は水軍を編成して、最後の決戦である「壇ノ浦の戦い」に臨むことになる。



第18番霊場・母養山恩山寺



十八番霊場・「恩山寺」

恩山寺へ向かう。 
恩山寺は小松島市の郊外、「義経ドリームロード」より少々入った緑濃き、小高い山の中腹に建っている。 
義経が屋島へ向かう折、戦勝祈願したかどうかは定かでないが、山門 をくぐって石段を上った境内にのすぐ右に地蔵堂がある。 小さな地蔵像が数多く並 んでいて、左に大師堂、庫裏があり、内に納経所がある。 さらに正面の石段を40段程上 ると、どっしりとした本堂が建っていた。  

聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開基した奈良期の寺院で、当初は女人禁制の寺であった。弘法大師がこのお寺に止まっていたとき、母堂の玉依御前が大師を訪ねたが、女性の身なれば入山することができない。 そこで大師はひと七日(一週間)滝に打たれ修行をし、女人解禁の秘法を修めたといわれる。
それでやっと大師は母君を迎え入れることができ、この寺で孝行を尽くしたという。 この時大師が修行をしたのが、赤い欄干のかかっている橋の下であり、そのことを記念して、びらん樹が植えられている。
また、大師の母君はここで髪の毛を剃って出家された。 その髪の毛は、剃髪所に納められている。 そのことから、母養山恩山寺と寺号を改めた。

駐車場から竹林の茂る参道を少しのぼってたどりつく境内には、 樹齢約300年の大きなイチョウの木や、樹齢約350年という立派なソテツの木がある。
長い階段を上ったところにある本堂の左側には細い階段があり、 約300mほど歩けば恩山寺自然公園の展望台に出ることができる。 ここからは小松島港や市街地、紀伊水道を一望できる。

次回は、日和佐



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