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2011年11月21日月曜日

日本周遊紀行(182)出雲 「出雲大社の遷宮」


(1分毎に美女と時刻が変わります)



 日本周遊紀行(182)出雲 「出雲大社の遷宮」  .




出雲大社の参道松並木;
参道は真中と両側と松並木によって三つのゾーンに分かれている。 
昔は、中央の参道は皇族の方々や例祭の時の天皇の勅使が通られる道とされていたという。



参道横、勅使館と手水舎の間に因幡の白兎でお馴染みの「大国主神と白兎」の像が立つ。



出雲大社の本殿は半世紀ぶりの遷宮されるという・・、

素人目には判りにくいが、出雲大社の神殿、特に本殿は外観から痛みが判るほど進んでいるらしい。
従って、平成20年春頃には御神体を遷し、国宝・本殿の大修理に着手し、改修することになっているという。 
完成には数年かかる見通しで、昭和28年以来、半世紀ぶりの大事業となる見込みだとか。

但し、修理は本殿だけではなく、全ての摂・末社及び修理を必要とする諸建物も本殿と平行して事業は継続され、おそらく10年近い事業になるのではないかとも思われている。

平成20年始めには、祭神・大国主を仮のお住まいとして御仮殿(現拝殿)に遷し、そのときには「仮殿遷座祭」を行うという。 

修造が整う平成25年頃には、元の御本殿にお還りになり、その時も再度「本殿遷座祭」を執行するとしている。



「遷宮」は式年遷宮といって20年に一度の定期的建て直しの「伊勢神宮」があるが、神宮の正殿の隣りには同じ広さの宮地がもう一つ用意され、いわば神々のお引っ越しである。 
だがこちら、大社の遷宮は同敷地内での建て直しとなる。 

造営遷宮とは新しく社殿を建て替え、旧社殿から新社殿へ祭神をお遷しすることで、たとえば、寺院は基本的に倒れたり、火災にあったりしない限り建て替えられないから、法隆寺のように世界最古の木造建築物として残されている。 

ところが、神社の場合は一般に定期毎に、又は、建立されてから一定の期間を過ぎたり、壊れたりなどした時に立て替えを行い、新装成った社殿によって、神様の霊験を一層パワーアップするという考え方である。 
これら神仏に対する造営的考えも日本文化の一つであると言える。


因みに大社本殿の重層な屋根の場合、檜皮葺の厚さが1m以上にもなり、全国のヒノキの立木から皮をはいで集めるという。
本殿の他にも八足門や神々の宿になる東・西十九社などの重文の建築物も修理をすると数万枚もの驚くほどの量の檜皮が必要だという。


平安期、「雲に分け入る千木」と高さ十六丈(48m)もの壮大さが詠われた本殿であるが、現在の国宝・本殿の高さは半分(24m)になる。 

この社殿の形式的高さ、平床面積・六間四方(約120㎡)を最小単位として、これを「正殿式(せいでんしき)」と呼ぶらしく、これに満たないものを「仮殿式(かりでんしき)」として分類している。 

鎌倉中期(弘安年間)より約330年間は「仮殿式」で造営され、以降、江戸寛文年間に「正殿式」に復し、ほぼ現在の本殿の姿となっている。 
今回の遷宮は当然、現行の正殿式で行われるという。



小生、本殿境内横の神楽殿から入場したため、正順の参拝順路ではなかったが、参拝の後、正規の参道側へ回ってみた。
風雪を刻む樹齢数百年の松並木の参道が整然と並び美事である。 

よく見ると参道は真中と両側と松並木によって三つのゾーンに分かれている。 
昔は、中央の参道は皇族の方々や例祭の時の天皇の勅使が通られる道とされていた。 

今は、誰でもが大社に託すそれぞれの思いを胸に、自由に通れる時代になっている。 
この松並木と玉砂利の参道は、いかにもご神域の神々しさを感じる。 
勅使館と手水舎の間に、「因幡の白兎」でお馴染みの大国主神と兎の像が立つ。
(「因幡の白兎」については後述)
振り返って本殿境内を覗くと、相変わらず例の女性がせっせと「御百度参り」の願掛けに勤しんでいた。



出雲大社は地域的には、出雲市ではなく大社町に鎮座していたが、2003年(平成15年)12月 出雲市、平田市、佐田町、大社町、多伎町、湖陵町との合併により、出雲市に存在することになった。 

一方、宍道湖に面する斐川町は、出雲市との合併に際して、住民による合併賛否の投票が行われた結果、反対多数となり単独町制の道を選んでいる。
斐川町は、現在、出雲市、雲南市、松江市の巨大地域に囲まれていて、見るからに窮屈そうである。

尚、昨今(2008年)、出雲市との合併に関する住民説明会などを開いて、住民同士の話し合いが再度行われているようである。 
その、斐川町方面へ向かう。


次回は、斐川・「大蛇伝説と斐伊川」




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2011年11月20日日曜日

日本周遊紀行(182)出雲 「出雲神話と史実」

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 日本周遊紀行(182)出雲 「出雲神話と史実」  .




「神無月」というが、出雲地方に限って「神在月」という・・! 、

ところで、オオクニヌシが行った「国造り」とは、列島のどのくらいのエリアに及んだのか・・?。 
記紀や「出雲風土記」などによると、先ず、「紀伊の国」(和歌山)へ出掛けている。 
又、「越の国」つまり北陸あたりから一人の女性を妻にしている。 
同様に、北九州の筑紫にも出向いているし、朝鮮半島の新羅に天降って後、出雲に来た説とした渡来人の説もある。 

天孫族が出雲族に国譲りを迫ったとき、それに反対したオオクニヌシの息子の一人は、長野の諏訪(諏訪大社)まで逃げている。
出雲の神々は、ほぼ日本海沿岸を中心に、西日本から東日本、四国や九州にも及んでいるし、大和にも多い。 

こうした活動の範囲をみると、オオクニヌシすなわち出雲文化が波及した地域は、山陰から北陸にいたる日本海沿岸だけでなく、九州から近畿地方、東北をのぞく東日本、さらに朝鮮半島ともつながりがあったということになる。

これを古代の日本列島の状況に照らしてみると、おそらく縄文時代の末期ごろ、中国大陸や朝鮮半島から農耕文化が伝わってくる動きに類似し、それが日本の縄文社会に次第に浸透し、次の時代の弥生文化とされる新たな文化圏、云わば出雲文化圏から大和文化圏への移行とも言える。 
このことは九州の渡来人伝説と共通し、日本の縄文から弥生の文化の過渡期とも想像できるという。 


この頃、同時に台頭してきたのが高天原の神々つまり「大和朝廷」(ヤマト王権)であった。
オオクニヌシに葦原中つ国の支配権を譲るように迫るのが所謂、前述した「出雲の国譲り」である。


国譲りという説話(話し合い)になってはいるが、実際は、剣を突き刺して迫り、そのあげく力競べをしながら、武力で奪い取った色彩が強い。
いわば、オオクニヌシが造りあげた国土を天孫族(大和朝廷)が武力で奪っているわけである。 

この時、オオクニヌシは『私が支配していた国は、次の天神の子に統治権を譲ろう。しかし、「八雲たつ出雲の国だけは自分が鎮座する神領として、垣根のように青い山で取り囲み、心霊の宿る玉を置いて国を守る』と宣言する。 

つまり、出雲以外の地は天孫族に譲り渡すが、出雲だけは自分で治める、とオオクニヌシは宣言しているのである。 
譲るのは、出雲の国ではなく葦原中国そのもの、すはわち倭国の支配権というわけであった。 
この構図はそのまま、邪馬台国から大和朝廷への王権の移行を示し、出雲系邪馬台国から天照系大和朝廷へと倭国の支配権が移動した事実を伝えている。 
大和朝廷はおそらく、邪馬台国の王権を武力で収奪しているのである。 
出雲の国譲り神話や神武東征伝説が語っているのは、このような古代日本の構造の変革ではないかとも云われるが・・?。



これを古代の日本列島の状況に照らしてみると・・ 、
縄文時代の末期ごろ、中国大陸や朝鮮半島から多くの移民が渡来し、それらの移民によって農耕文化が伝わり、それらが日本の縄文社会に次第に浸透し、新たな文化圏が形成されていくイメージなのであろう。 

つまり、九州の渡来人伝説と共通し、出雲の縄文文化圏から、大和の弥生文化に取って変わる過渡期の時期であったのではないかとも想像することが出来るのである。



本殿を囲む瑞垣(みずがき・神霊の宿ると考えられた山・森・木などの周囲に巡らした垣、玉垣、神垣のこと)にそって、東西の両脇に長い社殿が立ち並ぶ。 
それぞれ十九の細かい社殿に別れており、旧暦の10月11日から17日までの間、全国の神々が出雲大社に集う際に滞在する神所といわれる。 

他の地方ではこの月日を「神無月」というが、出雲地方に限って「神在月」と呼ぶのは、全国の神がここで神の会議を行うからである。

古来出雲の国において、出雲大社の影響は、単なる信仰や崇拝の対象であるだけでなく、一つの政治勢力として出雲の国、及びその周辺勢力に影響を及ぼしていたのである。

一方、神無月の語源は、神を祭る月であることから、「神の月」とする説が有力とされ、即ち、神無月の「無」は、「の」を意味する格助詞(助詞の一類)であるとしている。 

その他の説では、雷の鳴らない月で「雷無月(かみなしづき)」が転じ、「神無月」になったとする説もある。 

同様に「水無月」は、水の無い月と書くが、水が無いわけではなく、「水無月」と同じく、水無月の「無」は「の」にあたる助詞の古語で、「水の月」という意味になる。 

陰暦6月は、日本列島は梅雨の時期であり水は豊富であった。この時期、田に水を引く月でもあり、水の月、即ち水無(の)月と言われるようになったとする見方もある・・?。

だが、この「神無月」には例外がある。
このことは前にも記したが、記紀神話に基づく起源としては、天照大神の孫、瓊瓊杵尊(ニニギ)の降臨に先立ち、出雲を支配していた大国主命が「国譲り」の際、つまり出雲王朝の支配権を大和王朝に譲渡するように迫ったのに対して、大国主の長男 建御名方命(タケミナカタ)が、国譲りに反対し、大和の軍勢である武甕槌命(タケミカヅチ)と戦って負けたことから、信濃の諏訪まで逃れて、その地で諏訪王国を築いたとする。

この時、戦に負けて命乞いをした結果、二度と諏訪から出ないことを条件に助命されたとする。 
従って、全国の神様が出雲に集うため当地方では「神無月」といわれたが、信濃の諏訪の神は出雲へは出掛けられず、この地に留まっていたため、諏訪地方では「神在月」とされている。
即ち、全国が「神無月」であっても、出雲地方と諏訪地方は、「神在月」なのである。

因みに、建御名方命(ケミナカタ)を祭った神社が諏訪大社で、上社には男神の建御名方命、下社には、妻であり、女神である八坂刀売神(ヤサカトメ)・妃神が祀られてある。

次回は、「出雲大社の遷宮」







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