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2011年8月29日月曜日

日本周遊行(164) 佐土原 「野田泉光院」

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 日本周遊行(164) 佐土原 「野田泉光院」   ,




(クリック大)
佐土原町上田島の大光寺にある野田泉光院の墓(市指定 史跡;宮崎市提供)





「野田泉光院」は、西の松尾芭蕉とも呼ばれていて・・、

鎌倉末期の1335年、領主・伊東祐聡(祐明から4代目)は、佐土原町上田島の一角に「大光寺」を建立し、以降、伊東氏代々の菩提寺とした。 
後に戦国期、領主が島津氏に代わると以降、島津氏の菩提寺になっている。 
寺院は、国の重要文化財に指定されている名刹でもある。

この古寺・大光寺の山手の静かな森の一角に「野田泉光院」の墓がある。
「泉光院」は、佐土原の真言宗・安宮寺(新城地区に在った今は無き寺跡〉の八代目住職で、寺跡には、日本九峰修行供養塔があり、彼自身の墓は大光寺境内にある。 

本名を野田成亮(のだしげすけ)といい、泉光院とは修験者の院号である。 
当時の最高水準の知識人であり高僧だったという。

尚、由緒ある佐土原町(さどわらちょう)は、2006年1月1日、宮崎市に編入され消滅している。



1811年(文化8)、56歳の時に斉藤平四郎という30代の男性を従え、6年2ヶ月にわたる全国の山伏寺を回る旅に出た。
泉光院は、西の松尾芭蕉とも呼ばれていて、後に、『日本九峰修行日記』を著している。 
日記は当時の庶民の姿を知る貴重な資料となっている。

作家・石川英輔氏が、野田泉光院の『日本九峰修行日記』を、ノンフィクションに訳して『泉光院江戸旅日記』を著している。

泉光院江戸旅日記』の書が新聞の広告に出るなり興味八百と山好き、旅好きの小生は早速買い求め、熟読し、大切な蔵書の一角を占めている。 

副題には『山伏が見た江戸期庶民のくらし』となっていて、帯紙には表側に「 文化文政の6年間、南は鹿児島から北は秋田まで日本を歩き回った僧・泉光院の見聞録 」とあり、裏側に「泉光院の足跡⇒佐土原⇒宮崎⇒鹿児島⇒指宿⇒阿蘇山⇒長崎⇒名護屋⇒彦山⇒中津⇒小倉⇒長府⇒萩⇒広島⇒津和野⇒大山⇒鳥取⇒大江山⇒丹後半島⇒三方五胡⇒伏見⇒京都⇒福知山⇒姫路⇒大阪⇒草津⇒白山⇒金沢⇒能登⇒富山⇒野麦峠⇒松本⇒身延山⇒甲府⇒江戸⇒秩父⇒前橋⇒日光⇒浅間山⇒戸隠⇒立山⇒鶴岡⇒出羽三山⇒本庄⇒金華山⇒仙台⇒山形⇒那須野⇒筑波山⇒成田⇒銚子⇒鎌倉⇒箱根⇒下田⇒富士山⇒岡崎⇒岐阜⇒伊勢⇒白浜⇒和歌山⇒吉野⇒高砂⇒岡山⇒今治⇒大分 他」とある。


主人公の泉光院は56歳で当時としては老年といっていい高齢であった。 
そして、執筆者の山伏は出発当時の地位、要職として高地位にある寺院の住職であった。 大先達という高位の山伏として日向一国の山伏を支配するという階級位であった。 尚且つ、佐土原の島津家の縁者として禄も受けており、佐土原では弓術の指導などもしていたという人物であった。

本人著書の『日本九峰修行日記』に示す記録の中から興味深いのは、そのような有能な人物が敢えて貧しい人々の間を托鉢・修行をしていて、当時の一般の人々、特に農民の生活の一端をも垣間見て、そのことを詳細に記載しているのである。 
ところで面白いのが、長いたびの間斉藤平四朗というお供が付いていた。 そして、この男は佐土原の町人で、ある種、道楽人であったらしい・・?。


旅は経路を現在の地名と照らし合わせつつ、当時の一般の生活を浮き彫りにしようという主旨で書かれている。 
この住職(泉光院)は6年間、ほんとにまめに日記を付けていたらしく、行程は本著の帯紙の通りで、南は鹿児島から北は秋田の本庄(本荘市)まで、日本中を歩き抜いている。

更に驚くべき事は、巡国しながら日本の名だたる山岳聖地を登攀しているのである。
そのことは、彼が著した旅日記・『日本九峰修行日記』にも多くの山名も記載されている。

作者は旅日記を「修業日記」と題したように、修業、参詣の宗教的目的をもって巡回訪国している。
登山もこの宗教的目的の下に行われているが、回国修業の登山にしては当時としては一流の登山家とも考えられている。
山好きの小生としては興味あるところなので、その内容を記してみる。



野田成亮の日本九峰とは・・、

西より英彦山、石鎚山、箕面山、金剛山、大峯山、熊野山、富士山、羽黒山、湯殿山などである。
これらは何れも国内有数の山岳霊場で、世に知れ渡っている名山である。
しかし、これら九峰修業の旅以外で、彼はもっと多くの山に登拝しているのである。

九峰以外の主な遍歴の山を列記すると・・、
九州・・阿蘇山 太郎岳(多良岳)黒髪山 求菩提山(くぼてやま) 
山陰・・妙見山 大江山 三滝山(三岳山) 
山陽・・後山 瑜伽(ゆか)山
近畿・・比叡山 朝熊(あさま)山 愛宕山
北陸・・白山 石動山 立山 
東海・・光明山 秋葉山
信越・・浅間山 米山   
関東・・行道山 中ノ岳(妙義) 八溝山 加波・足尾山 筑波山 鹿野(かのう)山
奥羽・・月山 鳥海山 金華山 水晶山
等・・等・・。


引き続き、「野田泉光院・旅日記




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2011年8月28日日曜日

日本周遊紀行(164) 佐土原 「佐野原聖地」

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 日本周遊紀行(164) 佐土原 「佐野原聖地」   、




佐土原は、神武天皇の幼少時の名前・「サノハルノミコト」から起こった・・!

一旦、一ッ葉道路に戻って間もなくすると海岸から離れて10号線に合流する。
ここは既に佐土原である。 
九州流に言うと“サドバル”であるが、こちらは標準語らしく“サドワラ”と読むらしい。 


こちら佐土原も、伝承では「神武天皇」が誕生された地とされている。
佐土原町上田島地区の小高い丘、昼なお暗く鬱蒼と茂る木々の中に、ぽつんと小さな「」が鎮座している。 
この地が「佐野原聖地」と呼ばれる聖なる地というが、拝殿や賽銭箱などはなく、扉に掛かる鍵は壊れかけていて、まるで森の中に放置されたような空間、年月から無視されたように建っている。 
後に、大和の国を平定した人(神)が生まれた場所にしては、あまりに寂しいのである。

佐土原は、始めサノハルと称し「サノハルノミコト」(サノノミコト)は、神武天皇の幼少時の名前である。 

この社は、都於郡(とのこおり:現、西都市)から宮居を遷し、鵜茸草茸不合命(ウガヤフキアエズ)が天下を治め、玉依姫命(タマヨリヒメ)を妻に迎えたとされる地で、後に神武天皇が生まれた場所でもあるという。
日本の初代天皇の聖地としては余りに粗末であると思われるのである。




鎌倉期以降の「佐土原」について・・、
ところで、鎌倉期に源頼朝から日向国・地頭職に任命された工藤祐経が佐土原を支配し、この時期に佐土原神社が創建されたといわれる。
工藤氏は姓を本来の姓である伊東と変えながら400余年に亘り、この地の支配体制を確立している。 第10代・伊東義祐の頃には佐土原城を中心とし日向・四十八城を支配したともされている。

日向・飫肥(おび)の項でも記したが・・、
工藤祐経は鎌倉のお膝元で起きた「曽我兄弟の変」の主たる登場人物で、当の本人は兄弟の仇討ちで殺されてしまう。 

では何故、佐土原の初代領主なのか・・? 
鎌倉期、既に領地を与えられていた祐経本人は鎌倉の地で頼朝の信任厚き重臣として務めを果たしているのであり、領地の管理は、その代官が行っていた。

祐経亡き後、その子伊東祐時の四男祐明、つまり工藤祐経の孫が現地に赴いて実質拝領し、初代「田島氏」と称した。 
佐土原は、当初は「田島の庄」とも呼ばれていたからである。 

佐土原城は戦国期に伊東氏の中心的城郭となり、伊東義祐が居城した頃が全盛期と言われる。
戦国期、島津氏の大軍は伊東氏の本拠である佐土原を目指して進撃を開始し、戦況不利と見た義祐は戦わずして退却し、豊後の大友氏を頼い、大友宗麟はその要請をいれて伊東義祐らを庇護した。 
その後、大友軍は島津軍と戦ったが敗戦、兵を退くところを追撃され「耳川の戦い」で潰滅的敗北を喫し、こうして、大友氏も一気に勢力を失墜することになった。 


奇しくも、伊東氏の出実は伊豆の「伊東の荘」であり、大友氏の出実は相模の小田原の「大友郷」である。 
伊豆と小田原はほぼ隣接していて、東国の雄は親しく九州でも隣国同士となり、共に滅び去ったのである。 

そして滅ぼした当の島津氏も大元(初代都城:島津忠久)は頼朝のご落胤との説もあり、この三者とも頼朝のお声がかりで、九州の平家残党の抑えとして派遣された共通目的があった。

これも歴史の面白さであろう。


次回は、佐土原の「野田泉光院






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