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2011年7月25日月曜日

日本周遊紀行(156)日南 「飫肥藩・伊東氏」





日本周遊紀行(156)日南 「飫肥藩・伊東氏」  、



「曾我兄弟の仇討ち」で、打たれたはずの伊東氏が・・? 、


伊東氏は江戸時代、飫肥藩の領主として現在の宮崎県日南市を中心として栄えた一族である。元々は、鎌倉・頼朝時代に当地へ移封された豪族で、関東の伊豆地方(本拠は静岡県伊東市)の伊東氏をルーツとしている。 
そして伊東氏と言えば、「曾我兄弟の仇討ち」で有名であり、その当事者でもあった。


早速ながら、その「曾我兄弟のあだ討ち」について一寸・・、
結論を先に述べると、日向の伊東氏は「」を討たれた方の家系である。 
鎌倉当時、伊東氏と工藤氏は同系の一族であるが、氏名も変更している。

平安末期、頼朝が伊豆へ流されたとき、平家方として幽閉された頼朝を見張っていたのが伊東次郎祐親である。 
同族、祐親の甥子・工藤(藤原)祐経は、領地争いのことで祐親には常ずね恨みを抱いていた。 

或る時、祐親を狙った刺客の一矢が、祐親ではなく一緒にいた祐親の嫡男・伊東(河津)三郎祐泰に当たってしまい、祐泰は憤死する。 
その結果、祐泰の子である一萬丸と箱王が遺児として残されてしまった。
二人は、成人した後の伊東(曽我)十郎、伊東(曽我)五郎の兄弟である。
後の曽我の姓は、頼朝から相模国足柄郡曽我庄を賜ったことから命名された。


1193年5月、源頼朝は富士の裾野で盛大な巻狩り(狩猟が主であるが戦闘訓練の意味もある)を開くが、この巻狩りに、曽我兄弟と兄弟の仇敵・工藤祐経も参加していた。 
この時、兄弟は積年の父の恨みを晴らさんと祐経の寝所に押し入り、酒に酔って遊女と寝ていた祐経を見事討ち果たした。 

兄弟のその後の様子は後にして・・、
頼朝の信任厚かった工藤祐経は討たれてしまったが、過去に奥州征伐(1189年源頼朝が奥州藤原氏の本拠平泉を突いてこれを討ち滅ぼした戦役)において功があったとして、九州・日向国の地頭職をその子である祐時に与え、収めることになる。(同時に祐時の弟・工藤祐長は奥州安積郡の領主となる)

この時、日向に領地を得た工藤家は、元の家名である伊東家を名乗り、以降、南北朝から戦国期頃には日向から現在の熊本県八代市、球磨地方あたりまで勢力図を広げ、戦国大名としての地位を築いた。 

戦国末期、島津氏の台頭によって、やがて大名の地位すら奪われ凋落するが、 関ケ原合戦後は現在の日南市の飫肥地方にて復活し、明治維新まで飫肥藩領主として続くことになる。 


因みに、曽我十郎・五郎兄弟は仇討ちを果たした後、騒ぎを聞きつけて集まってきた御家人に取囲まれ、兄弟はここで10人斬りの働きをするが、十郎祐成は新田四郎忠常(頼朝家臣)に討たれ、五郎は捕らえられて頼朝の面前で仇討ちに至った経緯心底を述べる。 
頼朝は一時、助命を考えたが、祐経の遺児に請われて斬首を申し渡したとされる。



飫肥」と書いて「おび」とは読み難いし。 
謂(いわ)れは不明だが「飫」の意味は腹いっぱいに飲み食いすることで、「肥」は字の如くで土地が肥えて、食物が豊富をいう。
即ち、土地柄が良く、作物や天然資源が豊富で人々が安心して暮らせる地域という意味であろう。


当時、飫肥村その後、町域になったが、1950年1月に南那珂郡、吾田町、油津町および東郷村の4町村が合併して「日南市」が誕生する。 
市名の由来は、当地が「日向(宮崎県の旧国名)の南、日本の南」であることから名づけられたものとされる。 
風致優美とされるこの町・飫肥は、NHK朝の連続ドラマ「わかば」の舞台にもなった。

次回は、「鵜戸神宮




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