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日本周遊紀行(143)霧島 「韓国岳」 、
渡来人の故郷の山・霧島山系・「韓国岳」(からくにだけ)とは・・ 、
国道223号線は小鳥のさえずりが聞こえそうな森の中を走る一本道で、つい止まって大きく深呼吸をしたくなるような快適な道路である。
それもその筈で、この道は基本的には霧島山系の観光ルートであり、全体的に路面は走り易く良好なのは当然でもあった。
屈曲を繰り返しながら高度をかせぎ、「まほろばの里」や緑の中に「国民休暇村」などを見過ごして、丸尾地区という霧島温泉郷の中心・・?へ来た。
霧島探勝の好基地になっているようである。
霧島国際ホテルの白亜の建物を左に見ながら、「えびの高原」への標識に従って、霧島山系の中枢部を目指してみた。
道路沿いには既に霧島温泉の源泉が噴出し出し、道端に「立入禁止」の表札もある。
そこは集湯施設であり、噴煙の合間に縦横に延びている配管施設でもあった。
次には、硫黄谷温泉とあって、巨大なリゾートホテルの様な霧島ホテルがあった。
ホテルの敷地内に20ヶ所以上の泉源があり、そこから湧き出る膨大な量の温泉はすべて自噴しているとのこと。
案内によると霧島山系の中腹に位置する一軒宿の温泉ホテルで、このホテルのユニークさは自前で発電能力をもち、ホテルの電気を賄っているらしい。
自噴の温泉井、温泉熱を利用して設置された地熱発電所で、その時、蒸気分離器で分離された熱水は温泉としてそのまま利用しているという。
その温泉は千人が一度に入浴できるという庭園大浴場や巨大な体育館のような施設の中には自噴泉の大浴槽を中心に10を超える大小様々な風呂があって、しかもこれらは混浴であるとか。
湯質は単純酸性硫黄泉・54度、明ばん泉・50度、鉄泉・62度、塩類泉・49度とあった。 入浴料は1000円とあり家族一同、行楽で一日中利用することが出来そうである。
ただ、一人身の旅の途中の“おっさん”には、どうも向いてないようである。
更に霧島山を目指したが、既に、濛々たる霧のガスが吹き上げてきていて視界は全く効かない、つまりホワイトアウトである。
仕方なしに戻ることにした、残念である。
ところで、九重山系に九重山という山は無い様に、こちら霧島山には霧島山という山はなく韓国岳、獅子戸岳、新燃岳、中岳、高千穂峰などの総称で、所謂、霧島山系である。
標高1700mの韓国岳がその主峰であり、韓国岳は「からくにだけ」と読み、天気が良い日は頂上から韓国が見える・・?(実際は見えるわけない)ぐらい眺めが良いので名付けられたという。
実際、この山の名前の由来については・?、
古代、朝鮮半島からの渡来系(百済系統)の人々が豊前の国の宇佐に大量に入り込んできたとされる。
その後、8世紀始め頃、宇佐の稲積から現在の国分隼人(霧島市)を中心に移住してきた人達がいて、この地の郷名を稲積郷、豊国郷と名付けて住みついたといわれる。
国分隼人から見える霧島連山の秀麗な山々の姿が、故国(朝鮮半島)の山々を連想させるものであったろうし、彼らは、この霧島連山最高峰の山に故国への追慕を寄せて、「韓の国」を起想しながら「韓国岳」と表記したのではないかと推測される。
又、その氏神に現在の霧島市国分に「韓国宇豆峯神社」と名づけて鎮座させ総鎮守としたという。
宇豆峯神社の宇豆はウズと読み、これは明らかに「太秦・ウズマサ」のウズを意味しているといい、峯は韓国岳を現している。
太秦は朝鮮から渡来した秦氏(はだし・百済から帰化した中国系住民)の居住した地域をいい、有名な京都の映画村「太秦」がそうである。
その人たちの大半はそのまま大隅に住み着いたと言われ、そして示すように、この地域は日本で最初に「漢字」が使われた可能性もあるという。
可憐でも、その広がりは天空の絨毯と称せられる「ミヤマキリシマ」は、今は濃霧にかき消されて一望だに出来ない。ミヤマキリシマは「深山霧島」のことで、この地からその名が付いたことは周知である。
鹿児島・宮崎両県にまだかる霧島連山は、古代より信仰の対象として崇拝されてきた山々で、その秀麗な姿は全国でもまれに見る美しさといい、日本で最初に国立公園に指定されている。
1934年(昭和9年3月)、「霧島国立公園」として日本で最初の国立公園に指定されたが、その後、1964年(昭和39年)には錦江湾(桜島)と屋久島が「霧島屋久国立公園」として追加指定されている。
霧の街・都城市から霧島連山を見ると霧に浮かぶ島々を連想させる。
「霧島」の名前は霧に浮かぶ島から命名されたと言われている。
霧島は当然活火山であり、新燃岳は昭和34年に噴火し、お鉢から今も噴煙が活発に上がってる。
尚、霧島屋久国立公園のうち「屋久島」は、九州最高峰の宮之浦岳(みやのうらだけ、1935m 九州最高峰、日本100名山:)や縄文杉をはじめとする熱帯植物相や希少な動物が見られ、自然環境の特異性、重要性から、平成5年12月に世界遺産条約に基づく「世界遺産」として登録されている。
霧島山系の東南に位置する秀麗な山「高千穂峰」は標高1594mで、連山とされているが遠方から眺めると独立峰の山容にも見える。
中央に高く角錐の頂が見え、その左右に一段下がって肩を張ったように稜線が際立ち、やがて雄大な裾を引く秀麗な山で、お馴染み古事記、日本書紀にも出て来る「天孫降臨」の山地であり、この山は裾野から見てもその優美さは見飽きないという。
高千穂峰は、二つの寄生火山といわれる二ツ石と御鉢(おはち)を従え天に立ち、山頂にはニニギノミコトが降臨した際、逆さに突きたてたという鉾「天の逆鉾(あまのさかほこ)」(鉄あるいは銅製、長さ138cm、周囲26cm霧島東神社の社宝)が立てられており、日本の創始の地である事を物語っているとされている。
ご当地出身の歴代の力士の四股名「逆鉾」は、“天の逆鉾”から名付けたものであり、最近では井筒部屋所属の元力士で、本名が福薗 好昭が井筒部屋の親方となって後進の指導に当たっている。実弟に「寺尾」がいて、年寄・錣山(しころやま)として部屋の指導にあたっているのは周知である。
次回は、霧島・「高千穂」
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