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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
「九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
「九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
日本周遊紀行(118)佐世保 「軍港・佐世保」 、
佐世保の地図と主要地
佐世保軍港で米軍兵士の“黒ちゃん”に捕まった・・!、
間もなく佐世保市へ入った模様である。
佐世保は、2005年4月、吉井町、世知原町を編入し、新「佐世保市」になっているが、更に、来年、2006年3月31日を以って小佐々町、宇久町を佐世保市に編入する予定らしい。
宇久町を地図上で佐世保周辺を見回したが、見つからず、はて、何処にあるもんか・・?と更に探し出すと在りまして、平戸島の西方の島(宇久島)の領域であった。
佐世保市街に到り、著名な軍港でもあるので港へ出て軍艦の一隻でも見物しようと車を進めると、突然、米軍基地の正門へ達してしまった。
「シマッタ・・!」と思ったが遅かった、米軍の“黒ちゃん”に捕まってしまったのである。
直ちに二人の日本人守衛に引き渡されて、免許証の提示や車内検査をやられ、軽い身体検査までさせられた。
事情を丁寧に話すと、どうやら納得したようで、終いには「此れからどちらへ・・」とか「厚木の基地はどうですか・・」とか世間話にまで及んでしまった。
相手は、中年相当の人で、盛んに“ばってん”とか・・“よかばってん”・・と地方訛、長崎弁をまくし立てられたが、最後に気持ち良く見送ってくれた。
どうやら軍艦は、一般の人は市中からは望めないらしい、それもそうだな、と変に納得した。いやはやとんだ目に合いました、出発初日、横須賀軍港で同じ事をやらかしたのを思い出した。
佐世保港は三方を高い山に囲まれ、水深が概ね10m以上あるため、天然の良港といわれ、ここに目をつけた旧帝国海軍は明治22年頃から軍港とし、第三海軍区佐世保鎮守府として戦事一色の港になった。
昭和20年に終戦を迎え、一端は、軍港としての幕を閉じ、昭和23年には貿易港の指定を受けたが、同年6月に勃発した朝鮮戦争により、港湾施設の大半を米軍に接収され、再び軍港としての色合を濃くした。
他の港にない特徴としては、港内の水域の約83%が「日米地位協定」に基づく、米軍への「提供水域」として米軍により管理され、日本の船が航行する場合にはいろんな規制や制限が課せられているという。
太平洋戦争末期、米軍は佐世保の市街地だけを爆撃し、広大な軍港の施設、巨大な弾薬庫や貯油施設をほぼ無傷で残した。
このことは通常の常識では考えられない全く逆の軍事攻撃を行ったのであり、そして、まんまと思惑通り軍事施設をそっくりそのまま手に入れたのである。
戦後はそのまま米海軍第七艦隊の基地となり、朝鮮、ベトナム、湾岸、アフガンに出撃、現在はイラク戦争の最大の補給基地になっている。
沖縄と佐世保の米軍基地がなければ、イラク戦争は遂行できなかったともいわれる。
軍港のイメージが強い佐世保であるが、もともとは西海国立公園の九十九島を始め、市街地北部に連なる弓張岳、烏帽子岳など景勝地も多く、これに西海橋や、昨今では「ハウステンボス」などのテーマタウンも加わわって、観光都市としての色彩も十分である。
さて、先へ進もう・・、
直に国道と港に面した佐世保駅前で暫し港を見物して(軍港ではない)一部、西九州道を乗り継いで、例のハウステンボスへ向かってみた。
佐世保の南側の海域、陸域は,これまた複雑な地形になっている。
琵琶湖よりも小ぶりな「大村湾」だが、この海域は細い二つの瀬戸(幅の狭い海峡になっていて、潮汐の干満によって激しい潮流を生ずるところ)で外洋に繋がっている。
西側の西海町を隔てている「針尾の瀬戸」と東側の「早岐瀬戸」(はいきのせと)である。
早岐瀬戸は、佐世保市早岐町付近を南北に通じているが、一見、川の様でもあるし、陸地を切り削って造った運河のようでもあるが、しかし、れっきとした海峡で海である。
長さ12キロ、平均幅50mで、日本でも最も狭い海峡と言われ、現に東側の陸地は針尾島という島であることから。
最狭部は早岐町の国道202号線に架かる、その名も「観潮橋」といい、僅かに10m足らずの幅で轟音を立てながら海水が流れているという。
おまけに、川べり、でなく海べりに「潮音荘」という旅館が在り、潮を観るのではなく、潮の音を聞く旅館というのが味噌(醤油、味の素)である。
実は世界で最も狭い海峡として、小豆島の土淵海峡(どぶちかいきょう)がギネスに登録されているという。
因みに、針尾の瀬戸は、日本三大潮流(阿波の水門:鳴門海峡、早靹ノ瀬戸:関門海峡)の一つである。
又、この大村湾の最奥部が諫早で、この地域は東側には例の干拓で物議のある有明湾に接してもいる。尚、諫早の干拓については後の記載いたします。
この「早岐の瀬戸」の大村湾寄りの針尾島側に、オランダの街並みを再現した「ハウステンボス」が所在する。
このヨーロピアン・タウンは、東京ドームの33個分という広大な敷地に17世紀のオランダの街並みが再現されたウォーターフロントリゾートである。
ハウステンボスとは、オランダ語で「森の家」という意味で、街には船が行き交う全長6kmの運河が走り、ホテルを主体に様々なアミューズメント・ミュージアム施設をはじめ、ショッピングやレストランも充実している。郵便局や銀行等生活する街としての機能も備えているという。
変わったところでは高貴な「迎賓館」というオランダ王室等のVIP宿泊用に設けられたホテルもある。
過去に宿泊した主なVIP は天皇・皇后両陛下(2002年11月、「全国豊かな海づくり大会臨席時」)ベアトリクス女王(オランダ女王)、秋篠宮文仁親王・紀子妃夫妻、有名人にはマイケル・ジャクソンなどもいる。
西九州道よりR205へ、早岐瀬戸大橋を渡り(当日は、正直、この地が早岐瀬戸とは全く気ずかず、普通の川でと思って通過している)、案内板に従ってハウステンボス方面へ向かと、間もなく、緑の中に煌びやかな建物群が現れた。
様子を伺いながら奥のほうのガラガラの駐車場へ車を置いて全貌を眺める。
手前の水辺に回遊船であろうか、十数隻の船が、暇そうに係留されている、尤も、今日あたりはウィークデイの平日である。
その向こう遠方にシンボルタワーの『ドムトールン』とかいう十字架が天を指す高層の建物が聳えている。
高さ105mのタワーは、敷地内のどこからでも見える“道しるべ”的存在であろうか。
それにしても平日のせいとはいえ、人の姿は殆ど見受けられない。
この「ハウステンボス」は1992年3月25日にオープンし、建設などにかかった費用は総額2千数百億円といわれる。
巨額の投資でオープンした、さしものテーマパークも、時勢というか不況の煽りで、2003年2月26日、遂に会社更生法を適用し事実上倒産した。
負債総額は2289億円といわれる・・が、更生法適用後はスポンサー企業の申し出も殺到しているそうである。 総合保養地域整備法(リゾート法)の適用も受けているらしいが、ガンバレ・・!!「ハウステンボス」。
西海パールライン、眺めのいい針尾の瀬戸の西海橋をわたり、国道202から更に国道206南下する。
大村湾の西部、西彼半島の北部に位置する西彼町(せいひちょう)にやって来たところで、今度は赤レンガの洒落た洋風の建物群が現れた、こちらは「オランダ村」である。
ところが、ハウステンボスとは違って、ここは人気は全く感じられず静まり返っている。
それもそのはず、当地は2001年に閉鎖していたのである。
長崎オランダ村は、町役場職員の神近義邦氏によってバブル(泡、気泡、泡沫、転じて実体のない見せかけだけのものという意味)景気絶頂の時期の1983年に開園している。
彼は「長崎県にゆかりの深いオランダの街並みを、路面に敷かれたレンガ一つまで忠実にそっくりそのまま大村湾の入江に再現する」という大胆な意気込みで、国内旅行需要増加も手伝い長崎観光の新しい目玉にした。佐世保市のテーマーパークのハウステンボスのルーツとなった施設でもある。
だが、バブルの波が去った2001年には閉園し、現在も跡地利用のめどは立っていないといわれる。
最終日の10月21日には、新聞報道によると6500人という入場者があったそうである。
乗り物や釣などもみんな無料で、土産屋は安売りなどもされていたが、ちょっと寂し気であった・・、と来場者は語っていた。
その日は生憎の雨となり、オランダ村がなくなるのを惜しんでいるようでもあったという。
西彼町は大瀬戸町、西海町、大島町(島部)、崎戸町(島部)の計5町は2005年4月に合併して、新しく西海市(さいかいし)が誕生している。
次回から、「長崎市」
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