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日本周遊紀行(51)和歌山 「加太半島」
賑やかな、でもチョッと薄気味な「淡島神社」
奇態(けったい)なお宮・「淡島神社」
紀ノ川の紀ノ川大橋を渡って、加太の岬へ向う。
途中、広大な住友金属の製鉄工場群を見ながら、南海加太線が並行する。 道路脇に淡島神社という案内板があったのでチョッと寄ることにした。
加太の港町から左手の海岸線を辿ってみると、正面に大陸のような淡路島が横たわっていて、手前に友が島が浮かぶ。
間もなくお目当ての神社正面に達した、こちらは「淡島神社」である。
淡島神社は、名の通の淡路島に関係ありそうだが、そうではなさそうで、手前の友が島を大昔は淡島と呼んでいたらしく、神社もこの島から遷座したらしい。
朱色の鳥居の向うは数件の門前市をなしていて、高台へ向う白の階段の向うに、これまた朱色の社殿が鎮座していた。
この神社は、由緒ある神社ではあろうが、実に面白くて、なかなかユニークで珍奇なのである。
建物のいたる所にダルマさん達、七福神とか、干支の人形、市松人形、花嫁人形、お面群、境内の一角にはタヌキさんと、一面に土間であろうと、通路や階段であろうと、玄関(・・?)であろうと夥しく、数え切れないくらい安置・・?されていて、いやはや賑やかなのである。
そして今度は、社殿の中は、こと如く雛人形が満載であった・・これにもまたびっくり・・!!。
最近では人形の他に「ぬいぐるみ」なども納められ増える一方で、人形供養の名目で人形やぬいぐるみを不法投棄していく者もいて関係者を悩ませているという。 このためか、神社では珍しく夜間に参道を閉鎖し立入禁止としている。
この神社は、薬の神様とされる少彦名命を祭神とし、婦人病や安産祈願など「女性のための神様」として昔から信仰されているらしい。 現在は女性の信仰と雛流しの神事が有名であるとか。
お雛の節句とは、自分に憑いた悪気を祓う日で、けがれや災いを人形に負わせて流す風習がある。 奉納される人形を、白木の船に乗せて加太の海に流す、早春の神事が今も残っている。
神社の祭神である、神功皇后(ジングウコウゴウ)と少彦名命(スクナビコナ)の男女一対の御神像が男びな、女びなの始まりという。
余りに稀有な神社で目を白黒させながら先を目指す。
加太海水浴場の先、城ヶ崎岬付近から「友が島」群が勇壮に望まれる。
実は友ヶ島と呼ばれる島は無く、「地ノ島」、「沖の島」、沖の島に寄り添うように「虎島」、「神島」の小さな島があり、この四島を総称して「友ヶ島」と呼んでいる。
向こうに見えるは淡路島、紀淡海峡、又の名を「友ヶ島水道」と呼んでいる。 島々の海峡「加太の瀬戸」、「中の瀬戸」は1km足らず、沖ノ島の西端から淡路の洲本・由良港の成ヶ島までは凡そ4kmである。
淡路の南端、鳴門海峡では同時に巨大な渦潮を起こすことはよく知られるが、こちらの海峡も同様で、太平洋の大海が瀬戸内海へ向って動き出すとき強力な海流を引き起こす。
因みに「瀬戸」とは「狭門」(セト)の意、幅の狭い海峡のことで、潮汐の干満によって激しい潮流を生ずる。 「瀬戸際」は激しい潮流に立つ:「生死の瀬戸際に立つ」である。
この地は、大阪湾から太平洋へ抜ける交通の要衝でもあり、難所でもある。
紀伊国屋文左衛門が、大阪、江戸へ帆船を巡らしたのは加太の地でもあったとされ。
その、みかん船の帆柱が淡島神社に奉納されていて、願い事を唱えながらこの帆柱の穴をくぐり抜けると、願い事が叶うと言われている。
嘉永7年、米国艦隊司令長官ペリーが率いる黒船4隻が浦賀に来航してから1年後、紀州藩は、幕府の命により加太に友ヶ島奉行を置き、友ヶ島に藩士を常住させている。
それ以来友ヶ島は国を守る上で重要な島となった。明治21年には陸軍の用地になり、明治期に要塞、砲台が築かれてから第2次大戦の敗戦まで一般人は近づくことも禁止されていた。
現在でも要塞、砲台の遺構が残り、昭和24年に、瀬戸内海国立公園の一部となって以後、全国的な観光地として開発が進められた。
次回からは、いよいよ大阪に入ります、先ず世に知られる「岸和田・ダンジリ」
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