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日本周遊紀行(40)熊野 「熊野地方」 ,
熊野市と熊野地方
地域は既に熊野、正しくは「熊野市」に入っていた。
熊野というと、普通、熊野地方のことで紀州・和歌山の地域と錯覚しそうであるが、熊野市はれっきとした三重県である。
三重県は通常は名古屋圏、中京地区で東海地方(東海三県:愛知、三重、岐阜)とも言われるが、こと熊野市に到っては県の最南部、紀伊半島に深く入り込んで和歌山県と接している。
従って、市は歴史、風俗、習慣とも紀州圏・熊野地方の属していると見るべきだろう。
尤もで、市の中心市街地は古くから木本地区で、この地は奥熊野代官所が置かれ、熊野地方一帯の行政の中心であった。
それゆえ明治の廃藩置県で三重県に編入された時には支庁がおかれ、現在も三重県の熊野地方を管轄する官公庁が多く存在するのである。
クマノ(熊野)とは一体如何なる意味をもつのか・・?、
一般に「熊野」とは、熊野三山が鎮座する所謂、熊野地方をいうが、嘗ての紀伊国・
さて、「熊野」という地名が何を意味しているのか、語源としては定かでないが、「クマ」、「カミ」で「神のいます所」や「クマ」は「こもる」で「神が隠る所」の意、又、「クマ」は「こもる」で「死者の霊魂が隠る所」の意、と諸説はある。
いずれにしても「熊野」とは開けた明るいイメージはなく、木々が鬱蒼と茂る、陽のあまり当たらない未開の地という意味合いが強い。
実際、熊野3600峰といわれ、ほとんどが山林に覆われ、平地はほとんどなく、山からいきなり海になるような地形の厳しい所が多く、人が農耕をして暮らすにも不便な場所であった。
飛鳥以前には、それこそ熊野は「神のいます所」、「神が隠る所」で神域であった。
熊野の地名が初めて登場する文献「日本書紀」では、熊野は伊邪那美神(イザナミ)の葬られた土地として登場する。 その墓所は市街隣地「花の窟」というところであった。(次回詳細)
奈良期になって仏教が倭国に入ってきても大和地方の都人から見たら、熊野は山のはるか彼方にある辺境の地であって、大和とはまるで違う異界として意識されていた。
従って、人々は熊野を死者の国(死後の世界)に近い場所と考えていたようで、この事が高じて後に死者の国である「浄土」と結びつけられ、浄土信仰が盛んになったとされている。
後の神仏習合という新しい思想では、熊野三山である「本宮」は阿弥陀如来の西方極楽浄土、「新宮」は薬師如来の東方浄瑠璃浄土、「那智」は千手観音の南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野は全体として現世にある「浄土」の地とみなされるようになった。
熊野が広く世に知られるようになったのは平安期以降で、都・宮中での上皇や女院による熊野御幸(くまのごこう)が行われ、熊野信仰に熱が入り、熊野は浄土信仰の日本第一の大霊験所として地位を確立した。
その後、貴族が止むようになると武士や庶民による熊野詣が盛んになり、参詣道も整備されて遂には「蟻の熊野詣」とも称されるようになった。
現代においても、それらの信仰は曲折があったにせよ世代に引き継がれ、又、これら諸々の施設である遺跡や遺産は、一般無信仰の人々にとっても好奇の対象とされ観光化されてていって、相変わらず多くの人を参集しているのである。
そして、遂には世界遺産:「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されるまでに到った。
世界遺産には神仏習合「熊野」以外にも紀伊山地では修験道の「吉野」、密教の「高野山」と三つの異なる宗教の山岳霊場が選ばれ、それら三大霊場を結ぶ参詣道である「熊野参詣道」、「大峯奥駈道」、「高野山町石道」などが選定されている。
或る著名人が、この紀伊山地の世界遺産の重要性、特徴的で、尚且つ異色なのを次のように挙げている。
『 それは三つの霊場がそれぞれ「異なる宗教」の霊場であるという点です。修験道の吉野、神仏習合の熊野、真言密教の高野山。異なる三つの宗教の霊場が紀伊山地にある。それぞれが在るだけでなく熊野本宮を中心として「参詣道」で結ばれている。このことはとても大切なことだと思います。 神と仏が敵対するのではなく、融合し、共存している。異なる宗教が敵対せずに共生している。この共生の文化こそが世界に誇るべき日本の文化遺産なのです 』・・と。
尚、熊野地方の世界遺産については、別項に記載してます。
日本の世界遺産リンク: 『日本の世界遺産』
熊野の世界遺産リンク: 『紀伊山地の霊場と参詣道』
次回は熊野・「花の窟神社」
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