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日本周遊紀行(38)紀伊長島 「マンボウと古道」 .
「紀伊長島マンボウ」という道の駅・・?、
神武台峠は南島町と次の道程の紀伊長島町の町界にあたる。
峠からヘアーピンカーブを下り、新道の孫太郎トンネルを抜けると、内陸からやってくるR42と合流する。
間もなく道の駅「紀伊長島マンボウ」で小休止とする。
紀伊長島までは判るが、マンボウとはいかに・・?、 聞くところ、マンボウは紀伊長島のシンボル魚となっているとか。
昔、紀州の殿様が領内を見まわりに長島浦(紀伊長島町)へやってきたとき、浦の人びとはお殿様に一番おいしいと思われる「マンボウ」という魚を食膳に出した。
殿様は「 カツオはいつも食べてはいるが、このマンボウとやらははじめてだ。こんなおいしいものとは知らなかった。今後、浜に揚げたなら、必ず和歌山のお城まで届けよ 」と言った。
浦の漁師たちは、すっかり困ってしまい、それ以来、長島浦の浜にはマンボウは一匹も揚がらなかったという・・??。
ところが、漁方の家ではマンボウの肉を相変わらず食べていた。 実は捕まえたマンボウは、沖で切りきざみ形をわからなくしてから手桶に入れて家に持って帰ったからである。
この習慣はずいぶん長い間つづき、戦前までマンボウは魚姿で長島の魚市に出されることはなかったという。
「マンボウ」はフグ科の魚類で、巨体と独特の体型が愛らしいのが特徴である。
全長4m、体重1500kgに達し、身体はタマゴ形で胸ビレが小さくて尾ビレがない。 尾ビレのように見えるのは背ビレと尻ビレが変化したもので、遊泳時はこれを大きく左右に動かして進む。 各地の水族館では人気者で、肉は白身で柔らかく、刺身(肝和え)や天ぷらなどで食べられて美味しいという。
紀伊長島は古来、交通の要衝といわれた。
紀州の南海道を熊野古道の「大辺路」(おおへじ)と称し、新宮より東の「東熊野路」を経て紀伊長島に達する。
更に、ここより北方内陸へは「伊勢路」で引き継がれ伊勢、松坂へ通じている。
総じて大阪・住吉から伊勢までを熊野街道(熊野参詣道)ともいっている。(何れも2004年:平成16年7月世界遺産に登録されている。 世界遺産ついては後述)
現在は国道42号にある「荷坂峠」が紀州の玄関口となっているが、昔は荷坂峠の西に位置するツヅラト峠が熊野古道の主役であったという。
紀伊長島の北方、R42と紀勢線が交差する荷坂トンネルの北方に「梅が谷」(紀勢線の駅名でもある)があり、ここより西方向の栃古を経て「ツヅラト峠」へ至り、志古より紀伊長島に到る。
峠は、大内山村と紀伊長島の町境であるが、昔は伊勢-熊野の国境でもあった。
ツヅラトの名は「九十九折れ」に由来し、山道はまさにヘビのように曲がりくねっている。
ツヅラト古道は約千年の昔、伊勢神宮より熊野三山詣での道として開かれた信仰の道であり、海抜357mの峠は熊野古道有数の難所でもあった。
峠の南側は約300mにわたって階段状の石畳が続くが、10世紀頃から民衆の力で築かれたものといわれている。
山間の大小さまざまな坂を上下しながら進む道は、容易に通行でなかったことが窺える。
様々にして坂道を登りつめ、この峠に立って初めて熊野の海、「浄土に続く海」を見ることができたという。
山脈の遥か向こうに補陀落(極楽浄土、「補陀落」については後述)の光る海を眺め、巡礼の人々は信仰の聖域に辿り着いた実感に、疲れも吹き飛ぶ心地になったといわれている。
だがしかし、ここ紀伊長島の峠から熊野までは、まだまだ道のりは遠い・・!!。
伊勢と熊野の国境にあたる荷坂峠が、熊野街道のこのルートに転じたのは江戸初期の頃であり、昔からの難所でトンネルも多く樹林に囲まれた荷坂峠には、かつて茶屋も店開きしていたという。
江戸時代に刊行された「西国三十三所名所図会」には、
『 向こうを眺望すれば東海の蒼海・びょうびょうとして、風景言語に絶す 』
と、遠く広がる熊野灘への想いが綴られてる。
現在は、地元のボランテアの人々によって古(いにしえ)の古道はよく整備され、ハイキングと古道を偲ぶ歩道として人気があるという。
今は国道42線が走り、海よりの荷坂峠越えに変わっている。
紀伊長島町と海山町(みやまちょう)の2町が合併し「紀北町」(きほくちょう)となる、時に平成17年10月。 海山町は文字通りの海と山の街であった。
海山の路は尾鷲に向かっている。
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